第十二話
「え?」
思わず、まじまじと見てしまった娘の視線は、満面の笑みにそぐわない、刺すような光を帯びている。
「ラウラジェスと申します。セイ様」
差し出された手に込められた力は、誠吾に対する憎しみをまんま表しているかのようだ。
「よろしく、ラウラジェス様」
「あら、セイ様。ラウラには様はいらないわ。だって、貴方は王のセスリムですもの」
無邪気な調子で、横合いからレティメイルが口を出す。ラウラは変わらず、満面の笑みをたたえた口元のまま、射殺さんばかりの視線を誠吾に注いでいた。
「どういうことだ?」
いらいらと足音高く、誠吾は城の階段を上がる。
ストレスだらけの茶会が終わったとき、誠吾は引き止めるレティメイルを振り切って、即座に一族のエリアを立ち去った。
「王子には何も?」
早足に近い誠吾の後ろから、コンパスの違いからか、悠々とした足取りで、サディが付いて来る。それもまた、誠吾の苛立ちを煽った。
「兄がいるとは云っていたが。母親のことも、婚約者のことも聞いてないぞ」
「レティメイル様は、王子の母君ではありません」
「は?」
トゥルースは確かに、王のセスリムだと云っていたし、王子と良く似た面差しをしていた。
「王子たちは、レティメイル様の母親・先王の側室のお子様です」
「はぁ?」
誠吾の頭は疑問で一杯だ。王子の母親の子供がセスリムって。
「セスリムって、王の番いじゃ無かったのか?」
城の女主人なら、王の妻と云うことだろう。娘でもいいのだろうか?
「そうですよ。レティメイル様は、王の唯一の正妻です」
「って、娘じゃないのか?」
王子の姉と云うなら、娘だろう。ここでは近親相姦は罪にはならないのだろうか?
「いいえ。先王のクレストス様は非常に艶聞の絶えない方でして、30人近い側室をお持ちでした。ですが、その中で、一族を生んだのは、王子とレティメイル様のお母様のソラリエ様だけです」
じゃあ、何故、王は自分のセスリムの母親となど、関係したのか。
「王は、自分の息子が一族で無いのを、非常に気に病んでおられたらしく、セスリムが決まってからも、一族の娘とは一通り関係を結んでおいでだったようです」
「で? 寄りによって人妻かよ。しかも、自分の妻の母親。悪趣味のきわみだな」
誠吾の胸がちょっとだけ痛んだ。すっかり忘れたと思っていた心の傷。
「何を思っておられたのかは、私たちでは解かりません」
「で、生まれたアデイールに番いがいないとはね。皮肉なもんだ」
多分、王は自分の息子に跡を継がせたかったのだろう。そうまでして手に入れた息子には、番いがいなかった。皮肉な結果だ。
「婚約者だとかいう娘は?」
「あれも、王の差し金です。番いがいなければ、一族の娘と子を作れと」
誠吾は、死んだ相手ではあるが、王に悪態を付きたい気分で一杯だった。子供は親の道具では無いのに。
「本気で怒っておられますね」
「当たり前だ」
レティメイルの無邪気な笑いが、今は寂しさの象徴のように思える。自分の母親と子供を作るためだけに関係した夫を、彼女はどう思っていたのだろうか?
「レティメイル様には、子供はいないのか?」
「娘が三人。いずれも輿入れ先は決まっています」
「有力な一族の男の元へ、だろう」
それは誠吾にも、簡単に想像が付いた。
どうしても一族を存続させたい、先王の呪いのようだ。
「貴方がそういう方だからこそ、王子は貴方を慕うのです。王子は愛情を与えられては来なかった」
娘の夫に、おそらくは強要された側室の座。それで生まれた子供を可愛いと思える訳は無い。王は強要したつもりは無くとも、周囲の状況が拒否を許さなかったに違いなかった。
誠吾は、ふと別れた妻を思い出す。
学生時代は何よりも仲が良かった。お互いの部屋に入り浸って、ずっと過ごすことが楽しかったものだ。周りはみんな恋人として二人を扱ったし、自分たちもそうなるのが当たり前だと信じていた。
そのまま、結婚して、子供が出来たとき、気付いたのだ。
妻に愛情が無いわけでは無い。子供も可愛い。
だが、その愛情が恋愛のそれでは無いと気付いた。
それでも、別れようとしなかったのは、自分の保身に他ならない。
だから、妻が離婚を申し出た時は、ほっとしたものだ。
「好きな人が出来たので、別れてください」
唐突な申し出だったが、腹は立たない。何よりも、そう申し出た妻の凛とした面差しを、誠吾は美しいと感じていた。
そして、この女を輝かせることが出来なかった自分は、結局女を愛してはいなかったのだと。
それぞれの女たちは、子供を作る道具だったのだろうか?
それとも、王にも女たちに対する愛情はあったのだろうか?
誠吾は、考えて陰鬱になる。
「セイ」
沈んでしまった誠吾を元気付けるように、サディの腕が伸びてきた。
ゆっくりと自分の胸に抱きしめる。
包み込む腕の温かさに、落ち込んでいた誠吾は、抱きしめられるまま、頭をサディにもたせ掛ける。
「王子に愛情は無いのでしょう? だったら、俺を選んでくれませんか?」
囁かれた言葉が、誠吾の胸を突いた。また自分は間違いを犯しているのだろうか?
「それとも、貴方が選んだのは、王子ですか?」
「ああ」
誠吾は、真っ直ぐにサディユースを見た。それだけは、うなずける。あの時、誠吾ははっきりとアデイールを選んだのだ。
アデイールが笑うためならば、自分も覚悟を決める。
アデイールが誠吾を必要とする限りは、かたわらにあろうと決めた。
「解かりました。でも、俺は諦めません。貴方がはっきりと王子のものにならない限りは、俺にもチャンスはあると思っています」
射抜くように、サディは誠吾を見つめる。
「勝手にしろ」
部屋へ着いたのをいいことに、誠吾はばたんとサディの鼻先で扉を閉じた。
誠吾にはまったく持って解からない。何故、サディは自分に執着するのだろう。アデイールは何となく解かる。与えられなかった愛情を、求める先が、やっと現れたのだ。執着しない方がどうかしている。まだ、子供なのだ。
だが、サディは番いが無いとは云え、あれだけの男ぶりだ。当然、モテるだろうし、既に成熟した男だ。誠吾のような年上の男に関わる意味が無い。
それとも、サディにも満たされない何かがあるのだろうか?
だが、誠吾にはサディを甘やかす気は無かったし、今は、アデイールだけで手が足りないくらいだ。考えることはいくらでもあった。
誠吾がここへ来て、二ヶ月近い。次の新月が近づきつつあった。