第九話
「セイ。お願いがあるのですが」
珍しく部屋へ訪れたサディの姿に、誠吾は首を捻った。
普段は、誠吾が近衛隊の執務室を訪ねるか、それとも朝稽古の際に捕まえるかで、サディ自身が部屋を訪ねてくることなどあり得なかったからだ。
もっとも、二人きりになるのを誠吾自身が避けていたのもある。
さすがに、愛を告白された男と二人きりになると云うことが、何を意味するかぐらいは誠吾自身も解かっているし、それが今現在の自分の立場的にやばいのも承知していた。
「お願い?」
「ええ。あの弓とか云う武器。兵士の前で披露してはもらえないでしょうか?」
「は?」
「皆、興味があるようなのですが、王子の手前、中々言い出しにくくて」
まぁ、それは理解できる。初めて見た飛び道具だ。戦う手段として有効なら、自分たちも取り入れたいと考えるのは近衛の兵として当たり前だ。
「王子が何だって?」
だが、王子の手前何だと云うのだろう。
「まったく解かっていらっしゃらないのですね。王子にも何度かお願いしたのですが、セイを見せる気は無いと一蹴されてしまいましたよ」
肩をすくめるその仕草も、嫌味なぐらいに決まった男の、その言葉に誠吾はまたしても首を捻ってしまった。
「アデイール。サディがな」
アデイールはまた最近は、誠吾の部屋で過ごすようになっている。だが、それでも夜までいることは無く、夕飯が終わって、少し話をすると、すぐに引き上げていた。話の内容も、これからの行事とか大臣たちの提案とか、味気ないものばかりだ。
以前はもっと、自分たちの話をしていたと思う。
それに少しの寂しさを感じはしても、誠吾はそれ以上の接近を許してはいなかった。
「サディがどうかしたか?」
以前はもっと甘えたような口調だったのが、最近ではすっかりと大人びた口のきき方をするようになっている。まるで誠吾と対等だと云わんばかりだ。
「弓の披露をして欲しいと云われたんだが」
明らかに、機嫌の悪くなったアデイールの顔色を伺うように、誠吾は口を開く。アデイールの眉がぴくりと上がった。
「貴方を見世物にする気はない」
話は終わったとばかりにアデイールが立ち上がる。
「別に俺が見たいわけじゃないだろう。弓が見たいって云ってるだけじゃないか!」
「それでも、貴方を誰にも見せるつもりは無い」
まさに一刀両断。付け入る隙も無かった。だが、それで引き下がる訳にはいかない。城を護るのに有効なら、どんな手段でも用いるに越したことは無い筈だ。
「あのな、アデイール。お前、王になるんだろ。なのに、そんなんじゃ…」
「なれないよ」
断定された誠吾が、目を見開く。『ならない』では無く、『なれない』とはどういう意味だ?
「まったく、解かっていないんだな。貴方が俺の番いじゃないなら、俺は半端者のまま。王候補からは、既に脱落しているさ」
セスリムとしての勤めは果たしているつもりだ。誠吾の何がいけないのだろうか? 誠吾の頭は疑問で一杯だ。
「この間はごまかしが利いたけど、多分、次の新月の晩には、貴方が俺の番いでは無いのは知れ渡るだろう。実際、鼻の利く奴は既に疑っている」
「え? 一体どういう意味だ?」
会話すればするほど、すれ違っている気がする。
「貴方には解からないことだし、解からないままでいいんだ」
自棄になったような投げやりさに、誠吾は唇を噛み締めた。どうしてこうなってしまったんだろう。
何をアデイールが望んでいるのかは解かっている。ただ、それに応えられるかと云えば、答えはNOだ。
「どうしても、占いで選ばれた俺でなければ、駄目なのか?」
「そういう訳じゃない」
はっとしたように、アデイールは顔を上げる。誠吾の真っ直ぐな視線を受け止めて、ふっと力が抜けたように微笑んだ。
「今は、まだ俺が王の代理だ。しっかりしないと。助けてくれるか? セイ」
「ああ。俺で役に立てるなら」
いつもの表情を取り戻したアデイールに、誠吾はしっかりとうなずき返す。
「で、あの…」
「ああ。弓か。何を用意すればいい?」
かなり云い出しにくかったのだが、今度は意外と平静にアデイールは、口を開いた。OKさえ取ってしまえば、こっちのものだ。
「的を三つと、あとレダを用意してくれるか?」
「レダ? 何に使うんだ?」
レダと云うのは、鹿に似た生き物で、この国では馬代わりに使う。馬もいるのだが、山間部で険しい道の多いここでは、いまいち使い勝手が悪く、重い荷を運ぶのに使用する程度だ。
アデイールが、首を捻って考え込む。
「レダは貴重だ。いくら、セイの頼みでもそう易々とは…」
渋るアデイールに、誠吾はアデイールが誤解していることを悟った。
「いや、的にするんじゃ無い。乗るだけだ」
「ああ。それなら、俺のレダを使えばいい」
「ありがとう」
先程とはうって変わって、冷静に事を運ぶアデイールは、この間までのどこか頼りなげな子供では既に無い。
「なぁ、無理はするなよ」
誠吾は部屋を出るアデイールを、戸口まで見送りながら、そう声を掛けた。
無理して大人になる必要は無いんだと云いたかったのだが、そうさせているのが自分だと云う自覚はある。それを云うほど、誠吾は厚顔ではなかった。
「ああ、セイ」
ゆっくりとアデイールが頬に口付ける。それを受け止めて、誠吾は出そうになるため息を押し殺した。
「王子が承知なさるとは。やはりセイに頼んで正解でしたよ」
数日後には、弓の披露をすることとなり、誠吾は緊張して、レダを待つ。サディが話しかけるのも、何処か上の空だ。
控えの間から、広場を見渡すと、各大臣たちまでが揃って見学している始末である。
最初、誠吾は近衛の兵士たちの前で披露するだけだろうと踏んでいたのだ。精々が非番の兵士やらが増える程度だろうと。
ところが蓋を開けてみると、各大臣たちは元より、妙に洗練された物腰の、身分の高そうな連中の姿がある。
「何だ、そりゃ」
「あの方は、貴方にはお甘いですからね」
サディは意味ありげに、誠吾をチラリと見たが、正直、そんな悪乗りに付き合えるような精神状態ではなかった。
「ふん」
あっさりと切り捨て、疑問の解決を試みる。
「サディ。あそこにいる毛皮の連中、俺、見たこと無いんだが」
色とりどりの髪と、同じ色の毛皮を身につけた男女は、大臣たちより偉そうな態度だ。
「一族のお偉方ですよ。貴方の品定めでしょう」
素肌に毛皮という、何処の山賊かと思うような格好なのに、奇妙に上品な着こなしだし、身ごなしもまったく違う。下衣の光沢も上等であることが一目で判る代物だ。
「まだ、王子は貴方のお披露目をなさっていないでしょう?」
「ああ」
そういうことかと誠吾は納得する。正式な番いとしての披露を、誠吾は未だに拒んでいた。だが、自分たちの中から次代の王が選ばれるつもりでいたのが、当が外れた訳だから、その相手を見たいというのは、当然だろう。
「こりゃ、責任重大だな」
「大丈夫ですよ。大臣たちも貴方を気に入っているし、兵だって同じです。貴方は今までのどんなセスリムより慕われていますよ」
「仕事をこなすしか能が無いからな」
誠吾が自嘲気味に笑うと、サディは背後からゆっくりと抱きしめてきた。
「そんなことありません。貴方は国と私たちを大事にしてくださる。それが判るから、皆、貴方を慕うのです」
しっかりと元気付けられるように、抱きしめられた体温は、すごく安心できる。不安を振り払うように、その腕に身を任せた。
「大丈夫、あの連中が何を云ってきても、私たちが、私が貴方を護ります」
サディが熱く、耳元で囁く。そのまま、近づいてくる唇を、誠吾はぱんと手で塞いだ。
「調子に乗るな。俺は男だ。護ってもらうなんて真っ平だ」
「まったく、手強いですね。セイは」
気障な仕草で肩をすくめたサディに、誠吾は、ぎろりとキツイ一瞥を投げかける。
「セイ」
微妙な空気を感じ取ったのか、後ろから掛かったアデイールの声には、幾分かの戸惑いがあった。
それに思わずぎくりとなる。正直、まだ、サディに迫られていることは、アデイールには知られたくない。
レダを引いたアデイールに、誠吾は精一杯の何でも無いふりを押し通した。