注がれた毒
「ニキータ殿下。第一皇子の手の者でした」
お仕着せに飛んだ血飛沫とテーブルの上に投げ出された肉のついた爪を代わる代わる見て、不快げに眉を寄せた男に少年は肩をすくめた。
「新しいのを支給していただけますか? 給金から引いていただいて構いませんので」
「必要経費だ。後でメイドに届けさせる。ハティ、それより、こんな物を部屋に持ち込むな。それと、身なりを整えてから来い」
「処分しますか?」
「ザハールに送ってやれ」
「承知しました」
「凌遅刑に処すのも忘れるなよ。見せしめだ」
「申し訳ありません。すでに責め殺してしてしまいました」
チッとあからさまな音を立てて舌を打ち、不機嫌な声で男が尋ねた。
「……なんで聞いたんだ?」
「処分されないと言われたら困るな、と思いまして」
埃でも払うかのように手を振った男に恭しく頭を下げて、部屋を下がり、言いつけを済ませてから、少年はあてがわれた使用人の部屋に戻った。
暖炉に、サイドテーブル付きのベッドが二台と共用のデスク、鍵付きのチェストが二台の二人部屋だが、主人の意向で少年が一人で使えている。
手袋やシャツ、ジャケット、ズボンと返り血の掛かった服を全てまとめてゴミ箱に突っ込み、下着一枚で少年はベッドに寝転び、腕で顔を覆った。
キシュケーレシュタインを皮切りに、おおよそ一年でヴィルヘルムはノーザンバラの力をも利用して、さらに数カ国を平定、あるいは恭順させ、メルシア王国からメルシア連合王国と国名を変更した。
フィリーベルグの辺境騎士団は、彼等の一族を称する悪名である赤狼の名を冠した傭兵団を立ち上げ、ヴィルヘルムに金で雇われる道を選んだ。
メルシアの王都においては、オディリアは心神耗弱の末に亡くなり、イリーナは子を孕み、さらに王宮でオディリアの介護と赤狼団との連絡役のために召された少年の姉はヴィルヘルムと誼を通じて庶子が産まれたらしい。
らしい、というのは、ヴィルヘルムの意向に従い、彼の友人だという裏稼業の男に預けられて諜報や暗殺、拷問の方法などの後ろ暗い仕事を仕込まれ、各地に潜入して手を汚しており、王都にほとんどいなかったからだ。
その働きの影だけが周囲に見えるようになると、いつしか少年は、赤狼と呼ばれるようになっていた。
そして、今、少年はハティ・ヴァナルガンドと名乗りノーザンバラのニキータの元に身を寄せていた。
ニキータは人当たりと血筋は良かったが、パッとした功績は無く、軽薄で皇帝の器ではないとされ、次代の争いに遅れを取っていた。
それもあってメルシアに嫁いだ異母妹を利用すべくわざわざ王の葬儀へとやってきたのだ。
あの時は訣別していたが、イリーナの妊娠を期にヴィルヘルムはニキータと友誼を結んだ。彼を王位に付けるため、食料を安価に卸し、赤狼団への紹介状も書き、最終的に少年をノーザンバラの皇宮へと送り込んだ。
第一皇子を始め、急速に力を伸ばしたメルシアを警戒する動きもあったが、貴族にも庶民にもふんだんに与えられた食料は警戒を解かせるのに充分な威力で、ほんの二年の間にノーザンバラはメルシアに依存するようになり、ヴィルヘルムはニキータが皇位につけばそれが続くかのように嘯いた。
大きな後ろ盾を自ら育てた皇子と評価されたニキータは、第一皇子をはじめとする有力だった候補を押し退けて皇太子に最も近い位置まで昇り詰めていた。
その結果、それらの皇子達から暗殺者を差し向けられていた。
そのせいで少年はここのところ毎日、護衛としても、拷問官としても、作業のように人を虐げ殺めて生活していた。
罪悪感こそ感じずとも、さすがに苦痛を与える為に人を切り刻んだり、それを相手に送りつけたりといった行為は悪趣味極まりなくて、少々疲れる。
こうやって寝転んでいると、いつまでこんな事を続けるのか、これが正しいのか、と、余計な事を考えてしまう。
大きくため息を立ち上らせたところで、ドアが叩かれた。
「服、持ってきたよ。着替えたら早く戻ってくるようにって」
飛び起きてドアを開けると、自分より数歳上のメイドが目を逸らしながら洋服を突き出してきた。
「ちょっと、何か着て出なさいよ!」
「ああ、二度着替えるのが面倒だったから。ありがとう。服、ストックしてるのがなくなってしまって」
口元だけで笑ってそれを受け取ると、服に紛れ込ませた何かがかさりと音を立てる。
小さく頷いて扉を閉め、お仕着せに挟まれていた手紙の封を切って、それを一瞥し、暖炉に焚べた。
絹の靴下とトラウザーズを履き、白いシャツの上に黒いジレとジャケットを着込んで、クラヴァットを締めて、薄い柔らかな布で出来た手袋をはめると年若い侍従見習いのように見えた。
「失礼します」
再びニキータの私室に向かった少年は恭しく頭を下げた。
「少しはマシになったようだな」
「おかげさまで。先程の暗殺者ですが、ニキータ殿下の皇位継承がほぼ確実になり、焦っているようですね。早く手を打たなければ、足元を掬われるかもしれません」
「……それは兄上にも刺客を差し向けるという意味か?」
「そこではありません。上です」
「上?」
察しが悪い男の耳元に少年は毒を注ぎ込んだ。
「皇帝陛下を弑し奉り、それを第一皇子に擦りつけるのです。それで貴方の皇位は確定します」
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