旅立ち
目を覚ました時、ケインは王の庭のコテージの寝室で寝かされていた。
「死んでいない?」
「よく眠れただろう。おおよそ一日寝ていたから少し不安になったぞ。だが、少しはマシな顔になったな」
「ヴィル……?」
落ちる前よりも更に荒んだ人相のヴィルヘルムに尋ねられ、ケインは首を傾げた。
死ねと言われたはずだ。首に衝撃もあった。
なのに、自分はまだ死んでいない。
「あまり時間がない。支度しながら簡単に説明するから、寝台から出ろ」
促されて傍に置かれた洗面器で顔と手を洗い、歯を磨いて寝台から出ると、ヴィルヘルムはケインに押し付けるように簡素な衣類を渡した。
のろのろと着替えをしていると、待ちきれない様子でヴィルヘルムが話し始める。
「ケイン=メルヒオール=トレヴィラスは死亡したとして神殿に届けを出した。死体は犬に食わせたと言って押し通し、食われたことを偽装するのにお前の髪を使った」
言われて少年は違和感のあった首の後ろに手を伸ばした。いつの間にか括っていた髪が切られている。
「それで誤魔化せたんですか?」
「王が白といえば黒も白だ。ほら、そこに座れ。その赤毛は特徴的だから違う色に染めれば、ぱっと見は分からん。髪の染め方を教える。難しい事はない」
真顔で言ったヴィルヘルムに小さな容器に入った染め粉と思しき物を髪に塗りたくられて揉み込まれる。
「このまま少し待てば染まる。染まれば、洗い流しても色は留め置かれる。俺が素性を隠してふらついてた時に教わった方法だ。何色かあるから渡しておく。薬草の調合も書いてあるから、足りなくなったら自分で作れ。まずはお前の叔父に書状を書いたから、それを届けろ。フィリーベルグ辺境騎士団を尖兵に、冬のフィリー山脈を踏破して隣国を攻め落とすから、冬に入るまでに出兵の準備をしておけ。資金は為替で預ける。お前も戦力として数えている」
「……分かりました」
冬のフィリー山脈を越える事は難しいが、シュミットメイヤーの一族にはその方法が伝わっているから事前準備をしっかりしておけば不可能ではない。そしてそれが成功できれば、フィリー山脈を背中の守りにしている隣国の首都を押さえることができるのも知っている。
固い顔をして頷くと、ヴィルヘルムはマントや剣、荷物を入れる背嚢などの旅の支度一式を少年に差し出した。
「都市に入るのに必要な旅の手形も用意しておいた。他の名前も必要ならば適宜用意してやる」
ケインが愛用していた剣とマントを身につけて、ごくごく平凡な名前が記されたそれを一枚懐に入れる。
「これは当座の路銀と先ほど言った為替だ。これを神殿に持っていけば、年間、金貨12枚まで引き出せる。この国、いやこの大陸の神殿全てで金を引き出せるようにしてあるし、何か連絡があれば神殿で手紙のやりとりが出来るようにもなっている。準備資金に使うように」
銅貨と銀貨と共に渡された金の鎖に吊るされた二つの指輪のうち、大人サイズの物が兌換の符牒になっていると説明をされた。指輪の内側を見ると神聖皇国語と思しき文字が彫ってある。それを合わせることで金を引き出せるのだという。
「小さい方は?」
「ユリアの形見みたいなもんだ。兄貴がお前との婚約を決めた時、ユリアにねだられて作ったそうだ。リア……義姉上が持っていたが、彼女からこれの思い出は消えてしまっているからな。お前が持っていくといいだろう」
少年は眉間に皺を寄せて首から下げた指輪を握りしめる。すでに枯れ果てたのか涙は出なかった。
「他に何かありますか」
「宿の取り方や外での物の買い方はわかるか?」
子供を心配するような男の言葉に苦笑が漏れた。初陣を済ませたのは八歳の時で、養子に入るまでは一人で外を出歩いていたし、父と共に領地と王都の屋敷を馬で往復した。下町で買い食いの経験だってある。なによりこれから復讐の為に何もかもを踏みつけるつもりの男の言葉だとは思えない。
「分かりますし、そんなつまらない心配しないでください。貴方はこちらの事は気にせずに命じればいい。フィリーベルグに向かい、シュミットメイヤーの恨みを浴びながら冬のフィリー山脈踏破の準備をおおよそ半年で終わらせろ、と。ノーザンバラは何もかもを踏みつけにしないと辿り着けない。情などケインを殺した時に捨てたのでは?」
「……そうだな。だがお前は特別だ。復讐の為の半身、お前がいなければ復讐はなしえない。そもそも踏みつけにしたくないし、踏みつける必要があるならば、なるべく優しく踏みつけたい」
「……そんな生ぬるいことを言ってたら、復讐など成し遂げられませんよ」
「この程度の情も持てないような復讐ならどのみち失敗するだろうさ。さあ、そろそろ支度をして去った方がいい。人払いもそろそろ限界だろうから」
そう締めくくったヴィルヘルムは少年を隠し通路の入口に誘った。
「枝道の分かれ道は覚えているな。そこを出てこの間来たのと逆方向にまっすぐ行けば外に出る。特に仕掛けはないが一方通行だから出られても入れない。出口の建物に馬を繋いでおいた。リヒャルトから預かっていたシュヴァルツだ。お前が使うのがいいだろう。地図に印を入れておいたが、そこから街道に出て北西に進めばフィリーベルグだ。もしも何かに襲われたら躊躇いなく切り捨てろ。国内に限り、捕まっても罪に問われないようにしておく」
少年は頷くと荷物を担ぎ、手を差し出した。
「では、しばらくお別れです。お互い上手くいきますように」
ヴィルヘルムの大きな手が自分のそれを包み込むと、そのまま少年は引き寄せられ、その広い胸に顔を埋める事になった。
「復讐を遂げるまで死ぬなよ。お前がいなかったら、成しとげられる気がしない」
「はい……。貴方も気をつけてください」
髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜられ、すっと身を離される。少年は小さく頭を下げて、隠し通路に身を踊らせた。
あけましておめでとうございます。1月3日から仕事でバタバタと更新が遅れておりました。春先まで多忙ですが、なるべく1週間に一度の更新を心がけていきます。
佳境に入っていますので、最後まで応援していただければありがたく思います。
エピソード応援、評価、ブクマ等モチベーションになっています。
今年もよろしくお願いします。




