復讐
シュミットメイヤー=ケインの実家の一族
王の部屋の前の廊下。歩哨が二人立っているのを確認したケインは小さく息をついて歩哨の前に立つ。
騎士団の訓練で見かけたことがあったが、あまり知らない顔でほんの少し安堵した。
知ってる顔はやりづらい。
「ヴィルに会わせてもらえませんか?」
「このような時間に通すわけにはいきません。侍従を通じて面談をお申し込みください」
慇懃にしかし高圧的に告げた歩哨に、ケインはためらわずに隠し持った短剣を一閃させて喉を突き刺し、返した手で同じようにもう一人の喉も切り裂いた。
激しく噴き出した血が壁や天井に飛び散って床に滴り、美しく磨かれた王の私室の前の廊下は鉄錆のような匂いが充満する。
顔に掛かった血のぬるさに不快感は覚えたが、それだけだ。もっと恐ろしい事かと思っていたが、人を殺す事になんの痛痒も感じないし、思っていたよりもずっと簡単だった。
そう自覚しながら、崩れ落ちた男達を扉の前から除け、ケインはドアノブに手をかける。
掛かっていると思われた鍵は掛かっておらず、ケインは扉を開けてヴィルヘルムの部屋に忍び込むと、書類の山積みになった机に向かい背中を丸め、目を近くして何かの資料を読む部屋の主人がいた。
息を殺し、気配を殺してナイフを振りかぶったところでヴィルヘルムが突如傍らの剣を抜き、短剣を弾き飛ばした。
もう一太刀くるのを予測して、剣の軌跡から一歩離れて避け、さらに来たもう一撃を抜刀した長剣で抑え込んだ。
「よく気がつきましたね」
「なんのつもりだ?!」
問われてケインは激昂した。丁寧に話そうとした口調があっさりと崩れ落ちる。
「ユリアの敵討ちに決まってる! いびり殺した子供が死んだ気分はどうだ? 祝杯でもあげたか?」
鍔に鍔を当てて競り合いながら尋ねると、男の顔が歪んで力が緩む。
「いびり殺す? 祝杯?」
「かはっ……」
押し切るつもりで力を込めたが、その力をいなされて剣を跳ね飛ばされ、強い腕を首の下に入れられて床に叩きつけられ、押しつぶされた気道から空気を吐き出した。
頭がくらくらして体勢を立て直せないまま、上にのしかかられ腕を押さえつけられ頭の上で束さえられて、ケインはヴィルヘルムに拘束された。
一撃を躱された時点で勝ちの目は尽きていたのだ。
「お前、イリーナの歓心を買うためにユリアを殺し、俺の命を狙ったのか?」
聞いたことのない威圧に満ちた声に肝が冷えたのは一瞬、そのあまりの内容に再び頭に血が昇る。
「そんな、わけあるか!! ユリアの仇だって言っただろ!!」
拘束されていない足を振り上げて、蹴り上げようともがいたが、馬乗りになった男の拘束を解くことは出来なかった。同年代の子供からは頭ひとつ出ているが、大柄なヴィルヘルムに比べれば、所詮子供の体格に過ぎないのだ。
「落ち着け!!」
ばちん、と頬を張られて、ケインはヴィルヘルムを視線をやった。
凪いだアイスブルーの双眸がケインを見下ろしている。
「落ち着いたか? 俺はお前がそんなことをするとは思っていない。だが宮廷の貴族の一部は、恥知らずの赤毛の仔犬が王妃と庭で密会し、思いを拗らせ、婚約者の命を奪ったに違いないとしたり顔で語って糾弾していた。お前もノーザンバラ出身の妃も迂闊に罪に問えないから事故で収めた。後で秘密裏に調べられるよう資料は取ってあるし今後も調査は進めるが、追い詰め、断罪するだけの決め手をまだ掴めていないからな。なのに、それを無駄にするかのように正面から俺を襲撃してくる? 歩哨を二人も切り殺されたら誤魔化せない。お前はもっと賢いと思っていた。なんのために秘密の通路を教えたと思ってるんだ」
怒涛の勢いで情報が入ってきて処理しきれない。なんとか噛み砕くと、顔から血の気が引いた。
「あ……そんな……。だって……」
冷静になったとたんに震えが止まらない。狂乱のような憤怒はその身から去り、戸惑いが駆け抜けて、恐怖と悔恨がその身を絶望に染める。
「落ち着いたか?」
力が抜け、表情が変わったのを感じたのだろう。拘束が緩むと抱き上げられて男の温もりに包まれた。
小さな子供のように背中を叩かれてあやされ、ケインは泣きながら訴えた。
「もちろん、そっちから入るつもりだった。けど、庭に……大きな獣がいて入れなかった。だから正面を突破した方が簡単だって……」
「ノーザンバラから友好の印だと送りつけられた狼犬か。危険だからどこか迷惑にならないところに繋いでおけと指示したんだが……王の庭に放すとは」
苦く苦くそう言った後、ヴィルヘルムは独り言のように、正面突破とはシュミットメイヤーの血筋は、ためらいがないなと乾いた声で笑った。
「あの女と庭で会っていたのは事実です。辛い時に優しくされて少しの好意は持っていましたけど、入れあげてなんていないし、赤の他人ならばともかく、ずっと兄として騎士として婚約者として慈しんできたユリアの命を奪う事なんて出来ない」
「お前がユリアを殺すなんて俺だって思っていない。お前こそ俺がユリアを殺したと思っていたのか?」
「疑いたくはなかったけど、何度会いたいと伝えても無視されて、使用人達は僕達を虐げて、服も食事もまともに与えられなくなって、さらに毒を盛られ、意識を取り戻した後に訴えても妄言だと切り捨てた。だから、貴方があの女を使って僕達を殺そうとしたと思っていました」
「お互いにノーザンバラに踊らされていたようだな……」
歯を軋ませて、憎悪に満ちた低音を響かせたヴィルヘルムは涙に濡れたケインの頬を硬い掌で拭った。
「……ケイン。俺はお前達が辛い目にあっているのを知らなかった。どうしても手が回らなくなったから、王妃の権利と義務として内廷の采配を任せたんだ。国の運営に関わらなければ問題なかろうとな。侍従長から、二人の様子はなにも問題ないつつがなく過ごしていると報告は受けていたし、お前の訴えは一度も届いていない。知らなかった事は言い訳にならないが、もっと気にかけるべきだった。すまないことをした」
「……ユリアが辛い思いをして命が失われた以上、その謝罪は受け入れられません。ですが、それは僕の罪でもあります。僕も一人で先走ってヴィルの配慮を台無しにしました。ごめんなさい」
せっかく拭ってもらった涙が、再びケインの眦に浮かび、子供らしさがほんのりと残る丸い頬を濡らす。再び強く抱きしめられ、ケインはヴィルヘルムの広い背中に腕を回して抱きしめ返した。
そうやって互いの温もりをほんの少し分け合うと、ヴィルヘルムがケインから身を離した。
「ケイン、ユリアの暗殺の件やその前にお前達を虐げていた事についてはまだ調べが進んでいないが、オディリアの子が亡くなった件については、産婆がノーザンバラの手の者に金を貰って縊り殺したと調べがついた。国同士の力関係もあるからイリーナを排するところまでは至れないが、お前達を虐げるように差配した侍女長は排除できる」
ぎらりと目を光らせたヴィルヘルムは、ケインがそれに対して口を挟む前に言葉を続けた。
「だが、俺はそれでは気が済まない。大切な家族を奪われて泣き寝入りする事など出来ない」
「どう、するんです?」
「ノーザンバラという国に復讐する。隣国を落として山の向こうに橋頭堡を築き、小国郡を突っ切って、帝国を瓦解させる」
復讐は予想できたから驚きはしなかったが、国を平らげる決意があるとは思わなかった。
「出来るんですか?」
実現可能とは思えないが口に出したなら勝算があるのだろう。
「いくつか難しい部分があるが、おそらくはできるだろう。兄貴の形見の中に、大陸側に勢力を広げるための研究の書きつけがあった。新大陸に行くのか、この大陸の版図を塗り替えるのか試算して計画を立てたようだ。結局兄貴は新大陸行きを選んだが、兄貴が断念した武力面での問題はシュミットメイヤーの一族の助けを借り、俺が先頭に立って剣を奮えば十分勝算のある内容だった」
ヴィルヘルムはそれを思い返して、唐突にケインに告げた。
「その計画を実現するため、死んでくれるか? 必ずお前の恨みは晴らす」
真摯に問われてケインは膝をついて首を垂れ、自分で上手く切れずに伸び始めて括っていた髪を解いて持ち上げ、うなじを差し出した。
「もちろんです。復讐心は俺も同じだ。この命で有利に働くならば、首を刈り取り復讐の礎にしてください」
「その言葉に嘘はないな?」
ヴィルヘルムの確認に、ケインはもう一度自分の命を差し出すと告げた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
年末の多忙とキリのいいところまで書くために更新が遅くなりました。申し訳ありません。
年内31日まで仕事があるので、目標2回、実現ベースあと一回の更新となります。
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