喪失
前に、外から王の庭に入る道を見つけていた。大人は通れないが、ケインならばなんとか通れる植栽に隠れた柵の隙間だ。そこから王の私室に行き、ユリアと二人、ヴィルヘルムの帰りを待つ計画だ。
庭に入ってコテージの方へ向かうと、獣の唸り声のようなものが聞こえた。
ユリアを後ろに庇って声のした方を振り向くと、そこには革の首輪を付けた巨大な獣がいた。
体長六フィート半はあろうかという大きさで、銀色と茶の混じったふさふさとした毛皮に覆われている。
見てくれは狼のようだが、ケインの知る狼よりも二回りは大きいかった。
剣どころか木剣も持っていない。ケインは着ていた上衣を脱いで腕に巻いた。
「ユリア! 逃げろ!」
獣が耳を下げ、歯を剥き出しにして地を蹴る。
ケインは布を巻いた腕で獣の一撃を受け止め、そのまま鼻面を地面に打ちつける。
甲高い悲鳴を上げた獣は、それでも動きを止めず、飛び跳ねるようにケインから距離を取って唸り声をあげると跳躍する。
自分を飛び越え、もたもたと逃げるユリアに襲い掛かり覆い被さるそれに向かってケインは履いていたブーツを投げつけた。
「こっちだ!!」
ユリアに噛み付く寸前に激しくブーツをぶつけられ、咆哮と共に再び獲物をユリアからケインに変えた巨大な狼が襲いかかってくる。
それを素早く避けて渾身の力をこめ、ブーツを履いていた方の足で腹を蹴り付けた。
ギャウン! という鳴き声と共に吹っ飛んだ狼を横目にケインはユリアを抱え上げると全速力で走り、先程入った柵の隙間から外に出た。
「ユリア、大丈夫?」
獣は追って来なかった。
首輪もしていたし、王の庭から出ないように躾けられているのかもしれない。一息ついてユリアを下ろしてそう尋ねる。
「こわ……かった。ひどい! 秘密ってあの狼のこと?!」
珍しく怒りめいたものを見せたユリアだったが無理もない。
獣に押し倒された時に付いた傷があちこちにつき、胸元は垂らされた涎で濡れていてひどい有様だった。
「違う。この間行った時はあんな獣は居なかった! あそこにある王家の隠し通路を教えて、それで、ヴィルの部屋に言って、僕達の置かれた状況を……」
「そんなの無駄! ヴィルは私達が邪魔なのよ!」
吐き捨てたユリアは涙を落とす。
「そんな事はない。ヴィルは君が後継だと明言していたし、隠し通路を教えてくれたんだ」
武門であるシュミットメイヤーの性質はヴィルヘルムと合ったのか、出会った時から兄のような気やすさで接してくれた。親しみという観点で言えば、憧れや畏怖の気持ちがあるエリアスよりも近しかった。
「きっと気が変わったのよ。だから、その隠し通路を守るための獣を放したに決まってる」
昏く決めつけるユリアに、ヴィルヘルムはそんな事をしない、そう反論したかったが、できなかった。
オディリアが死産してからの自分達に対する扱いの断片を繋ぎ合わせれば、ユリアと同じ結論になったから。
「部屋に帰ろう。傷の手当てをして、汚れを落として服を替えないと」
硬く強張った顔で涙を流しながら俯いたまま、ユリアは動かなかったから、ケインはユリアのことを背負って、部屋に連れ帰った。
そして、その日からユリアは外に出るのを拒否して、部屋に引きこもった。
泣き暮らす彼女にほんの少しだけうんざりとして、嫌気がさして、一人で苺の庭で過ごした。
そして罠にかかって、ケインは少女を永遠に失った。
※ 41話、「回想 罪と罰」直前の話です。次話はその後の話になりますので、併せてお読みいただければ幸いです。
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