意図せぬ覗き
晩餐が済み、オディリアとユリアとケインは一足先に王族の住居にあたる内廷に戻された。
自室に戻って最低限の勉強をしてから、日課の剣の修練をこなしていないことを思い出して、寝衣から稽古用の簡素な私服に着替えると木剣を持って部屋を出た。
廊下を曲がった所で激昂した男の声が聞こえ、ケインは咄嗟に身を隠してそっと声の方向を覗き見る。
「どう言う了見だ! 実家の兄弟に閨事の不満を伝えるなど、恥を知れ! 待遇に文句はないはずだ! 王子妃……いや、王妃として扱っているし、普通は他国から来た妻に母国の侍女を許したりしない! 不満があるなら俺に直接言え!」
ヴィルヘルムが壁に強く手をついてイリーナを囲ったところだった。
晩餐会での一件がよほど腹に据えかねたらしい。自室に戻って話を始める冷静さもなく、他の者の目につかない私的な空間に戻ってきた途端に彼女を壁際に追い詰めたようだ。
イリーナは震えながらではあったが、ヴィルヘルムに言い返した。
「嫁いで二年以上経つのにいまだに子を成さぬ事を責められて、侍女が見かねたのです。それに政略結婚であり、貴方も王になった以上世継ぎは必要でしょう」
壁を割るのではないかと思うほど、ヴィルヘルムの手に力が入るのが遠目でも分かる。一歩分圧を詰めた男は、低く響き渡る声で言った。
「俺は中継ぎだ。だから子を成すつもりなどない。本来の後継たる兄貴の子達がいる。小さいから今はおれが玉座の面倒を見ないといけないが、リアの腹の子が男ならばその子に、女だったらユリアに王位は譲る。重ねて言うが俺は子を成さない。必要ないからな。まして、ノーザンバラの血の混じった子など、火種にしかならない。分かったら諦めて、大人しく飾りとしての役目を果たせ」
潤んだ目で声もなく頷くイリーナの顎を持ち上げ、ヴィルヘルムは警告するかの様に念を押す。
「いいな。二度とこんなつまらん話を俺にさせるな」
唇同士が触れるかと思えるほど顔の距離が近づいたが、寸前で離れ、ヴィルヘルムはイリーナをその腕から解放した。
よろけながらイリーナが自室へ入って行ったのを視線で追っていると、ヴィルヘルムの硬い誰何の声が廊下に響いた。
「そこで覗いてるのは誰だ! 出てこい」
常になく殺気のこもった声にケインはびくつきながら機嫌の悪そうなヴィルヘルムの前に移動した。
「ヴィル……僕です。ごめんなさい。剣の稽古をしようと思ったんですけど、もめていたから出られなくて」
「ああ、悪い。こんなところでやる話じゃなかったな」
表情を緩めてこめかみを掻いた男にケインは笑いかけた。
「お気になさらず。じゃあ、僕は稽古に行きます」
慌てたように葬儀用の黒衣をはためかせたヴィルヘルムはケインの腕をとった。
「今日は客が多い。まだ歓談をやめない連中もいるから、王の庭で稽古するといい。というか、精神的に疲弊したから、剣の手合わせに付き合ってくれ」
「休んだ方がいいんじゃないですか?」
王の庭というのはその名の通り、王のためだけに作られた庭のことだ。
「鬱屈の解消だよ。肩の凝る衣装で立ったり座ったりしてただけだ。体力はありあまってる。な、頼む。付き合ってくれ」
眦を細めて冗談めかして言うヴィルヘルムに、久しぶりに自分の知る彼らしさを見た気がしてケインは頬を緩めた。
「他ならぬヴィルの頼みなら仕方がないですね。僕もあなたに稽古をつけてもらえるのはありがたいですし」
「言うようになったな!」
「子供扱いはやめてください!」
ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられて、ケインはあたたかな気持ちで頭を押さえた。
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