北の菫
過去回想編 登場人物
ケイン…ランス。元辺境伯リヒャルト・シュミットメイヤーの息子でエリアスの養子、エリアスの娘と婚約している。
エリアス…アレックス。海賊に襲われて死亡した事になっていて、この頃はラトゥーチェフロレンスで身をひさいでいる
ユリア…エリアスの娘、ランスの婚約者
オディリア…ランスの妻。妊娠中
ヴィルヘルム…エリアスの弟でメルシア王。レジーナの父。
イリーナ…ヴィルヘルムの妻、ノーザンバラの皇女の第11皇女
ニキータ…イリーナの異母兄
二人目の孫の誕生を待たずして、メルシア王ジークムンドは亡くなった。
国王の葬儀を内々に済ますわけにはいかず、国内外から来賓を招いて威儀を正して国葬が開かれた。
各国各地から弔問客が訪れ、ノーザンバラからもイリーナの異母兄、ニキータが葬儀に参列した。
葬儀後、諸国からわざわざ葬儀に来てくれた来賓をもてなすための晩餐会がはじまった。
白いクロスの敷かれた長テーブルの真ん中の席に主賓としてニキータが座り、それを挟むようにヴィルヘルムとイリーナ。イリーナの隣にユリア、その隣にはオディリアが座り、ヴィルヘルムの隣にはケインが座り、ケインの隣はジークムンドの弟の公爵が座っている。本来であればケインとユリアはこの様な席につくには幼いし、儀礼に則った席次ではないのだが、ニキータにパートナーがいなかった事と、皇太子とその配偶者として顔を見せるために変則的な席次になっていると担当の儀礼官が教えてくれた。
「ジークムンド陛下のご逝去、お悔やみ申し上げます。立て続けの不幸のご心痛、いかほどばかりか」
ニキータの通りいっぺんの弔辞に同じく社交辞令の仮面を貼り付けて、ヴィルヘルムがそつなく答えた。
「お心使いとお悔やみ、感謝いたします。父は長患いの末で覚悟していましたので、私も、国も民も落ち着いています」
妹と似ぬ酷薄な容貌に、うっすらとした侮りと馴れ馴れしさを浮かべたニキータが小さく盃をあげて返す。
「ああ、エリアス殿の非業の死は遠くノーザンバラまで嘆きの声が聞こえるほどでした。ご家族には到底受け入れられるものではないでしょう。エリアス殿とは一度お会いした事がありましたが、容貌も才覚も優れた方で感銘受けました。佳人薄命というのは俗信ではなかったようで、本当に残念だ。ヴィルヘルム殿も本来であれば王を支える身であったはずだったのに、突然の事で苦労も多いでしょう。義兄として、無理をされていないか心配していますよ。私個人としても、ノーザンバラとしても支援は惜しみません。なんでもご相談ください」
ヴィルヘルムの口許が一瞬、引き攣ったかのように持ち上がる。
「お気持ちだけは、ありがたく」
「義兄弟なのですから、遠慮は無用ですよ。ゆくゆくは両国の血を継いだ者がこの国を継ぐのですから。早く甥の誕生を寿ぎたいものです」
「こればかりは授かり物ですから。天に祈っていただければ」
相当苛立っているのを硬い口調で隠して慇懃に返したヴィルヘルムに、口の端を持ち上げたニキータが容赦なく当て擦った。
「撃ってもいない弾が当たる奇跡までは、叶えてくれないのでは?」
それが閨事の事だと、少年でも分かる。
ケインは赤らみそうになる顔をさげ、俯いて食事に集中したが、ごくごく私的な会話は嫌でも耳にはいってきた。
「妻の周りには口さがない者いるようだ。彼女の恥を軽々と口にするとは。ああ、一応、擁護しておきますが、突然王位を継ぐ事になったせいで、妻の元を訪れる時間も取れないのです」
ついに不愉快さを露わにして相手に反発したヴィルヘルムに、ニキータはワインを傾けながら微笑んだ。
「後継を儲ける事は、王のもっとも大切な責務ですよ。ノヴォセロクは多産の家系ですから、召して頂ければ、すぐに天も願いを聞き届けるでしょう。統治が落ち着いて来たら、北の国の菫も愛でてやってください」
「元々花を愛でる様な性格をしていませんので、今は中々気持ちが花に向きませんね。ああ、失礼。他の方にも挨拶をしてこないと。気持ちばかりの食事ですが、ごゆっくりお楽しみください」
食事の皿にほとんど手をつけないまま立ち上がったヴィルヘルムを、ちらりと一瞥した男はフォークで皿の上に盛られたフェルトザラードと呼ばれるチシャ菜を突き刺した。
「ノーザンバラではこんな真冬に青野菜など望むべくもない。堪能させていだきますよ。羨ましいかぎりだ」
品良くそれを口に運んだニキータはぽつりと言ったが、それにヴィルヘルムはなにも返さず、他の賓客の元へ向かってそのまま食事の終わりまで帰ってこなかった。
62話公開しました。
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