邪魔者
総督邸の晩餐はいつも豪華だ。海亀のコンソメ、卵黄とバターを混ぜナツメグを加えたソースをかけた野菜、白身魚に香り油をかけ皮をパリッと焼きあげた魚料理、口直しに柑橘のジュレ。メインの肉料理は渡鳩を葡萄とベーコンと共に蒸し焼きにしたものだ。
それらが、順を追って供されアレックスの舌を楽しませてくれる。
量の調節も完璧で、健啖とは言えないアレックスでもほどよい満腹感で楽しく食事を取ることが出来ている。
ブランデーの効いたクレープにナイフを入れながら、アレックスは口を開いた。
「この島でやらなきゃいけない仕事も落ち着いたし、ラトゥーチェフロレンスの改装も終わったから、俺は海亀島に引き上げる。お前達の家としてこの島にある私邸を整備させたから使ってくれ。海亀島よりも治安がいいから暮らしやすいだろう」
レジーナとガイヤールの銀器が皿に当たって小さく音を立てた。
「そんな!! 私と末永くこの邸で暮らしてくれるのでは?!」
「やだ。海亀島に帰ったら、毎日会えなくなっちゃう! お姉さん達もいるし、それなら私も向こうに帰る」
アレックスはガイヤールの戯言は無視をして、レジーナに向き直った。
「ラトゥーチェフロレンスの営業は夜だ。その時間に合わせて海亀島へ通うのは難しい。それに、あそこは子供の住むところじゃないからな。週に一度は顔を見せるから」
「住んでた! やだ! アレクと一緒がいいの!!!」
娘と違って癇癪など起こさないと思っていたがレジーナは、どこか必死な様子でアレックスと一緒に住みたいと訴えてきた。
「どうした。ずっと会えないわけじゃない。そうだ女手がきるだろ。デイジーを侍女として私邸に遣わそう。一番仲が良かったろ。俺も毎日来るは言えないが顔を出すようにする」
「違うの……。嫌なの……。アレクと暮したいの。ね、アレク。部屋から出ないし、いい子にするから!」
べそべそと泣き出したレジーナに顔を強ばらせたイリーナが強く言った。
「レジーナ。三人で暮らすのに不満があるの?」
「違うの! アレクも一緒がいいだけ」
レジーナにとって、海亀島での日々はただの子供のように父親的な存在に甘えられた初めての機会だった。だからそれがなくなってしまうことが耐え難かった。
「アレックス、納得するまでラトゥーチェフロレンスで暮らさせてやったらどうだ?」
クレープを平らげ、コーヒーを飲み干したランスが口を挟んできて、その意外さと非常識さにアレックスは眉を持ち上げた。
「は? お前だって、あそこがおおよそ子供に向かない場所だと知ってるだろ?」
「分かってる。だが、彼女の願いを叶えてやりたい。それにイリーナと二人きりで過ごしたいのもある」
飲みかけたコーヒーが変な所に入ってアレックスは咽せた。
ランスの脳みそは久しぶりに訪れた春に溶けてしまったのか。と、見ると打算に醒めた目がイリーナに向いていて身体に震えが走る。彼の考えていることが読みきれない。
「ダメよ! 私達三人で幸せになる約束でしょ!」
ランスの目が眇められ、唇の端が持ち上がる。
「君は、俺と二人きりで蜜月を過ごしたくないのか?」
立ち上がったランスに肩に手を乗せられ、首筋を撫でられて耳元で囁かれたイリーナが抗うように首を振った。
「ダメよ! 私と貴方とレジーナの三人で暮らすの。その人はいらないのよ!」
イリーナはランスの手を振り払って、そのまま部屋を飛び出した。
テーブルの上に一口食べられただけのクレープと手付かずのコーヒーが残される。
「どうにも嫌われたみたいだな。追わなくていいのか? ランス」
肩をすくめてランスに問うと、ランスは首を振って再び席についた。
「少し冷静になる時間が必要だろ。食事を続けよう。コーヒーをもう一杯もらえるか?」
ランスのイリーナに対する行動は噛み合わない。見せつけるように甘いが、愛情というには昏い。
だが、アレックスはそれを確認するよりもレジーナの事を優先した。
「レジーナ。今週はここにいることにする。その間に、上手い手段を考えよう」
「……ごめん、なさい! どうしよう……私がわがまま言ったから、アレクを困らせて、ママを怒らせちゃった。それに……」
ランスの方に一瞬だけ視線を流し、困り果てた顔でまた泣き始めたレジーナの目元をハンカチで拭ってやる。
「こんな物はわがままに入らない。仕事の問題は考えないといけないが、一緒に暮らしたいと言われるのは嬉しい」
「ん……」
砂糖を溶かして甘くしたホットミルクをレジーナに勧め、席に戻ってコーヒーに再び口をつけると冷めたはずのそれは温かい物に変わっていた。
それを堪能しているとそっと服の裾を引かれ、首を傾げてそちらを見るとガイヤールがもじもじとアレックスを見つめていた。
「あの、私は貴方のことがいります。常に共にいて欲しいし、伴侶になって欲しい……った!」
額を抑えるガイヤールに、一番上のボタンをむしって投げつけたと思しきランスがこてんと首を傾げた。
レジーナがやれば可愛い仕草だが、溢れる迫力が逆に威圧感をいや増させて地獄の住人の如き迫力がある。
「ガイヤール総督、俺との約束は忘れたか? 伴侶に望むのは見返りを求めない行動か?」
「ひっ……その……そう、例えだよ! 貴方はいらない人じゃない、むしろ必要だという……」
「なるほど? 言い訳はそこで終わりか?」
「ランス、総督閣下のそれは、いつものことだから聞き流してるんだ。絡んでやるな」
ランスを嗜め、どことなく気まずい空気の流れるまま、各々飲み物を飲み終えて部屋に戻る事になった。
ガイヤールは仕事が溜まっているからと食堂を出たところで別れ、執務室のある棟へ歩いて行った。
ランスとアレックスは私邸部分の階段を昇る。
「お休みなさい」
「ああ、おやすみ。ランスもお休み」
「お休み。あまり仕事を詰め込まずにちゃんと寝ろよ。コネクティングドアの鍵は没収してあるから安心して休むといい」
アレックスに割り当てられた部屋はガイヤールの寝室の隣で、ランス達の部屋の一階上だ。
「悪いな。ああ、そうだ」
「イリーナの事か? 気にしないでくれ。ちゃんと話すから」
それを言う前にランスが望む答えをくれたから、アレックスは安心して表情を緩めた。
一人階段を上がり、奥まった部屋に行くとそこにはイリーナが立っていた。
「どうしたんだ? 二人は部屋に帰ったぞ」
「謝罪にまいりました。それと相談したいことがあって……部屋に入れていただけますか?」
「扉を開けておいていいなら」
「ええ、もちろん。先程は不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」
後ろ手のまま頭を下げられて、アレックスは自分の首に手を当てた。
「俺は別に気にしていない。謝罪は不要だ。だが、ジーナとランスとはちゃんと話し合ってくれ。で、相談事はなんだ?」
聞いた瞬間、なにか光る物が視界に入って、アレックスはとっさに身を捩ってそれを避けたが、脇腹に薄い痛みが走る。
「なにを!?」
赤錆のような染みのついたナイフを握りしめたイリーナは目に涙を溜め、口元に乾いた笑みを浮かべた。
「相談は、貴方を地獄へ戻す方法よ。貴方は十年前に死んでいるの。亡霊の分際で私のランスを籠絡して、娘を懐かせるなんて許されない。だから、亡霊は亡霊らしく地獄へ戻ってください。エリアス殿下」
振り下ろされる刃を数度避けて、廊下に出るドアへと足を向ける。
だが、足が突然萎えてアレックスは床にへたり込んだ。
「なんだ……」
ナイフの刃に何か塗ってあったのだ。意識ははっきりしているが、足に力が入らないから痺れ薬の類だろうか。
ドアが閉められ、ナイフが振り上げられる。
アレックスは命の終わりを覚悟して目を閉じた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回も水曜更新予定ですが、可能であればもう少し早く更新したいと思っています。
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