得られぬものを得る者に人は嫉妬する
ここまでイリーナ視点。次話からはアレックス視点に戻ります。
暗殺者から何度も襲撃をうけ、まだ稚い子供と共に精神をすり減らす毎日を送っていたある日、夫であるヴィルヘルムが新たにつけた護衛がランスだった。
元隣国──現在はメルシアに併合されてメルシア連合王国の一地域であるが──の出身で、その辺り特有の癖のある黒髪に琥珀色の瞳の若い男だった。
身長は長身のヴィルヘルムよりもさらに高いが、骨太の夫よりもすらりとしていて、ヴィルヘルムが獅子だとすれば、黒豹のような印象の男だ。
最初は射すくめられそうだと思った眼光も隙のない立ち振る舞いも、彼がイリーナとレジーナを身を挺して護ったことで信頼のできる強さとしてイリーナには好ましく映るようになっていた。
城の衛生室で包帯を巻かれ、詰襟の上着を肩に羽織ったランスが、見舞いにやってきたイリーナの頬を撫でた。
「王妃たる貴方がこのようなところに足を運んではなりません」
「でも、私のためにこんな怪我を」
「貴方のことは私が命にかけてもお守りすると誓ったでしょう。それにこれくらいはかすり傷ですよ」
「どうしてそこまで…! 身を挺して私を庇うのは三回目よ!?」
「薄汚い暗殺者の手に貴方を渡したくないからです。お分かりでしょう。私の気持ちを……」
思わせぶりに言った男の瞳には仄暗い熱がある。夫とは子供を持った後から私的な交わりは全くないお飾りの妃とは言え、主君の妻に対する思いは口にできないのだ、と、イリーナは思い至った。
「……! 私のことを……?!」
曖昧に微笑んで指先で唇に触れた男にイリーナは抱きついた。喉の奥で押し殺した声に慌てて身を離すと、唇を歪めた男の顔があった。
「貴方のことをどう思っているかは口にしてはいけない事ですから。だが、貴方にそれが通じていればいいと思いますよ。可愛い人」
身体に震えが走り、頬が上気して瞳から涙が溢れた。
「ランス……私、嬉しいわ……私の事を大事にしてもらえて、そんな事を言ってもらえて……そんな事、はじめてなの……。いけないと分かっています。でも、言わせて欲しいの。わたし、貴方を愛しています」
すうっとランスの目が細まり、その唇に笑みが浮かび上がる。
「……そう言ってもらえて、とても嬉しい。イリーナ」
手を取られて、てのひらに口づけを落とされる。
「いつかここを出て、私だけのモノになって欲しい。王には気づかれぬように算段するから」
熱い告白に胸を躍らせて、イリーナは頷いた。
※ ※ ※
かつての約束通り二人で王宮を出た後、紆余曲折こそあったもののランスと再会してエリアス島で過ごすイリーナの生活は満ち足りていた。
イリーナが砦に着いたのは、ナザロフの襲撃直後の混乱の最中だったが、そんな時でもランスは再会を喜んでくれたし、その後は総督邸にランスと二人の部屋を用意してもらえた。
駆け落ちで逃げているのに平気なのかランスに確認したところ、ごまかしているので大丈夫との答えだった。
たまに仕事と称してランスは外に出かけたが、それ以外の時間は二人、時にはレジーナと三人で夢のように穏やかな毎日を皆で過ごした。
刺繍をし、物語を読み、時折散歩として砦の中を歩く。
だが、イリーナが砦の端まで歩いたある日のことだ。堡塁から海を眺めそろそろ居館に戻ろうと歩くうちに普段来ない建物の側に出た。
好奇心で近づくと内容までは取れなかったが、聞き覚えのある声が聞こえた。
咄嗟に物陰に隠れて、その声の主達を見つめる。
壁にもたれて座っている司祭服の人物はイリーナをこの島に連れてきた私掠船団の団長アレックスだ。
そしてもう一人はイリーナの恋人であるランスだった。
ランスが壁を背に座り込んでいるアレックス手を差し出した。その顔はイリーナが見たことのない柔らかな表情をしている。
「───────?」
「────────────────」
話は聞こえないが、ランスが立ち上がったアレックスを抱きしめ、腰や頬を撫でた。
その仕草は優しく、甘やかで、愛情を抑えているかのようだ。
その行為自体にではなく、その行為が二人にとって自然であるといった雰囲気を醸し出していたことに、イリーナは衝撃を受けた。
立ち去れば良かったのに、立ち去れなかった。そのまま覗き続けていると、話し込んでいたランスが躊躇うようにアレックスから一歩離れ、その顔を見つめると、手を伸ばして、髪を梳いた。
前髪が後ろに流れ、普段はうまく隠されているアレックスの素顔がはっきりと見えた。
(……!!! エリ、アス)
叫びそうになるのを押し殺して、イリーナは男を見つめた。
それは、死んだはずの男だった。
最初に会った時は気がつけなかった。
イリーナにとってエリアスは、隙のない美貌と存在感だけであたりを圧倒し、空気すら彼の色に染め上げるような男だ。
目立たないように装った、気さくで無頼な海賊紛いと結びつかなかった。
だが、髪を上げて現れた、形の良い額と柳のように上品な眉、涼しげに切れた流麗な目元、日差しをまぶした木漏れ日のような相貌の完璧な調和を見てしまえば、アレックスとエリアスが同じ人間であるという事を認識せざる得ない。
知らず噛み締めた歯が軋み、小さく音を立てる。
あの頃の圧倒的な迫力こそないが、彼はやはり昔のまま、誰からも慕われ愛されていた。
競売人はほんの少し話しただけで彼の魅力に取り憑かれたかの様に頬を染めていた。背負ってくれた彼の部下もアレックスに心酔していた。総督は言うに及ばず、娘も彼に懐いていた。
そして……。
イリーナはランスをじっと見つめた。
こちらに気がつく風もなく、ランスの顔が唇が触れそうなほど近くアレックスを覗き込む。
そして、子供のように無邪気に笑って手をとった。
そんな顔を見たことがなかった。
誰に対しても表情を変えず、ただ、自分を見るその時だけは滴り落ちそうな熱の籠った目で見てくれるだけだった男が、彼には子供のような素直な顔を見せて、手を引いて、まるで恋人同士の様に歩き始める。
エリアスのことが嫌いだ、否、ずっと気に入らなかったと、イリーナは強く自覚した。
妬ましかった。
彼はいつだって、自分が役に立って初めてお情けのように与えられたものを無条件に誰からでも得ることができる。
ランスから与えてもらった唯一の無条件の愛。相手からの無言の好意。献身。熱意。
なのに彼はあれほど煤けていても、知り合って幾許もないのにすでに好意を向けられている。
いつもそうだ。彼は誰にでも無条件に愛されて、自分は役に立たなければ愛されない。
「──────たら、俺の告白を聞いてくれ」
「今────ダ──な──か?」
「──── 全部終わ……ら話す」
切れ切れに二人の会話が聞こえて、イリーナは耳を塞いだ。ここまで彼と来たのに、もう他の何もかも頼れないのに、自分は彼に捨てられてしまう。
このまま黙って見ていたら、やっと、手に入れた、愛した人を奪われてしまう。
だからイリーナは、エリアスの事を、己の手を汚してでも、排除すると決めた。
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