皇女イリーナ2
イリーナ視点過去編、イリーナがノーザンバラからメルシアに嫁ぎエリアスとヴィルヘルムに会ったときの話です。
ヴィルヘルムとの婚姻は結ばれ、イリーナは父のつけてくれた従者と共にメルシア王国へと嫁いだ。
雪が降る直前に国を出て陸路と海路を継いで、ノーザンバラが雪に閉ざされる季節に到着したメルシア王国は、秋の花々がいまだに咲き乱れ、故郷から着てきた外套を脱いで、ドレス一枚で過ごせるほどの暖かさだった。
「よくお越しくださった。私はエリアス=マンフレート・トレヴィラス。ヴィルヘルムの兄だ。義兄妹として気安く接して欲しい」
季節の花が飾られたエントランスで、その花々よりも華やかな美貌がイリーナを迎えた。もちろん彼一人ではないが、その場の空気と視線を全て攫ってしまって、他の者は彼の背景に等しい。
「エリアス殿下、ノーザンバラ帝国第十一皇女、イリーナ・ノヴォセログと申します。不束者ではありますが、よろしくご鞭撻ください」
必死に習いたてのメルシア語で、メルシア王国式の礼を取ると、その人は微笑んだ。イリーナについてきた従者達から感嘆のため息が漏れる。
『わざわざメルシア語を練習してきてくれたんだね。ありがとう』
流暢なノーザンバラ語でそう言ったエリアスがイリーナに近づいてきて、不躾でないぎりぎりの位置で抱擁してきた。
頬と頬が触れ合い、ふわりとエリアスの甘い香が鼻腔をくすぐる。
頬を触れ合わせるのは、寒い中暖かさを分け合うのが由来と言われるノーザンバラ式の挨拶で、エリアスがノーザンバラのマナーに知悉しているとわかった。
『ノーザンバラの挨拶は、これで良かったかな。あまり気負わずに生活してほしい。慣れない環境で不便を感じる事があったら遠慮なく言ってくれ』
再び距離が開くと満開の春の花の様な香りが遠くなった。すこし離れるとあまり分からないのに、ごく近くだと良い香りがする。
エリアスはとても不思議な人だった。
近づきがたい程の美貌なのに人を拒まない。距離が近しいのに決して不快感を与えない。
あまり親しくない遠い国から嫁いできた皇女のためにその国の文化を尊重してみせる。
自分の知る皇族でこんな態度をとる人を見たことがない。
常になく気を遣われて、不信感とほんの少しの嫌悪を覚えたが、大国ノーザンバラから嫁した姫だから気を遣ってくれているのならば理屈に合うと結論を出して唇の両端を持ち上げて笑みを作った。
「ありがとうございます。それで、ヴィルヘルム様にご挨拶をしたいのですが」
「長旅で疲れただろう? まずは部屋に案内させる。挨拶は疲れが取れてからにしよう」
エスコートとして出された手を取らずにイリーナは答えた。
「疲れなど……。夫となる方にご挨拶をしないわけにはまいりません」
眉が下がって顔に苦さが走る。胸に手を当て頭を下げたエリアスは、イリーナにだけ聴こえる声で言った。
「……大変申し訳ない。わが愚弟は所用で出かけ、帰城が遅れて先ほど帰ってきたところだ。今、身支度をさせている。ご一行が一息着いた頃に部屋に伺うので、時間をいただきたい」
なるほどエリアスががわざわざ出迎えたのは弟の失態をかくすためだったのだ。予定では娶る本人が出迎え、他の王族への紹介は場を改めることになっていた。
「承知しました。では、お部屋にご案内ください」
了解の意味で手を差し出すと流れるようにエスコートされ、私室に案内された。
落ち着いた色合いの木材の腰壁と薄い水色の壁のコントラストが美しい、明るい部屋だ。天蓋やカーテンの色も壁に合わせて青系で統一してある。
「ありがとうございます。素敵な部屋ですね」
「気に入ってもらえたなら良かった。妻が選んだんだ。何か困った事があったら彼女に相談して欲しい。食事の時に紹介しよう」
「はい。よろしくお願いします」
ドレスの裾を引いて頭を下げると、にっこりと笑ってエリアスは部屋を出ていった。
荷物を解かせて身支度をし直し、用意されたお茶を飲んでいると強いノックの音がした。
返事を返す前にドアが開き、仏頂面の青年が部屋に入って来る。
背は高く肩幅はがっちりとしていて、面立ちこそ整っているが野生みが勝ち、上品な仕立てのジュストコールに着られているような印象で、鎧の方が似合いそうな佇まいだ。
「ヴィルヘルムだ。出迎えに遅れた事お詫び申し上げる」
イリーナの手を取り、形ばかり甲に口づける。先程のエリアスの滑らかな手と違い、剣を握り慣れた者が持つゴツゴツとした掌にイリーナは萎縮した。
「……イリーナと申します。出迎えの件はお気遣いなく」
「そうか。すまない」
お互いによそよそしく挨拶をしたものの沈黙が二人の間に流れ、場を持たせるためにイリーナは口を開いた。
「あ、あの、よければお茶をご一緒しませんか?」
相変わらずむっすりとしたままの表情で、ヴィルヘルムはイリーナが座っていた席の向かいに腰掛けた。
侍女がすかさずヴィルヘルムのティーカップに紅茶を満たして去って行く。
「どちらに行かれていたのですか?」
「野暮用だ」
「そう……ですか」
「部屋」
「へや?」
「部屋は問題ないか? 俺にはよく分からないから、義姉に丸な……頼んで支度してもらったんだが」
不器用な気遣いを見せるヴィルヘルムにイリーナは微笑んだ。エリアスと同じことを言っていても、感情が見える言葉が好もしい。
「エリアス殿下にも同じことを伺いました」
小さく舌を打ったヴィルヘルムは肩をすくめる。
「ったく、兄貴はいつもそうだ」
「仲がお悪いんですか?」
「悪くはないよ。この年齢なりだ。兄貴はソツがないから嫌う人間はいないだろ?」
ノーザンバラの兄弟姉妹の関係は利害相反するならば排除せよ、だ。
同腹であってもそれは同じだった。
先程エリアスに対して嫌悪を覚えたことも加えて、イリーナは唇を歪めたヴィルヘルムの心を読み間違えた。
「あの、私とノーザンバラがあなたのお役に立ちます。なんでも言ってください」
「は??」
首を傾げた男に向かって、イリーナは力強く頷いてテーブルの上の手に自分の手を重ね合わせた。
「お任せください。私だけは貴方の味方です」
「いや、なんだ? それ?」
「これからよろしくお願いします。旦那様」
ヴィルヘルムの心を置いてけぼりに、イリーナは彼の役に立つ、すなわち、エリアスを排除し彼を王位に付ける事を心に誓ったのだ。
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