皇女イリーナ
ここから3話イリーナ視点の話になります。
イリーナ・ノヴォセログ、ノーザンバラ帝国皇帝の第十一皇女は、皇帝の為に集められた側妃の産んだ娘の一人だった。
母は特に皇帝の寵愛を受けていたわけではなく、気まぐれな訪れの末に根付いた種であり、すでに、立場の強い家門出身の母を持つ兄姉が何人も揃っていたため、特に目をかけられる事もなかった。
皇女として最低限の教養と淑女たらしめる教育を与えられ、そこでも特に目覚ましい成果をあげることもなく、成長後は少し顔が可愛いらしいことと従順がとりえの凡庸な娘と見做されていた。
皇女であっても誰からも顧みられる事もなく、ただ日々を寂しく過ごしていたイリーナの立場は、ある日突然変わることになった。
珍しく父である皇帝に呼ばれて、母と共に皇帝の元に赴くと、彼は重々しくメルシア王国の第二王子との婚姻が決まった旨を告げたのだ。
小国とはいえ他国の王族と婚姻出来るなどとは思っていなかった。条件の良い婚姻は母親の実家が強い皇女のものだ。
「私がですか?」
「そうだ。メルシアの第一王子の娘と娶せたいと打診したところ、第二王子ヴィルヘルムとの婚姻ならばと返信がきた。年齢は現在18歳でお前と年回りが合う」
「年齢だけならば、私よりも身分の高いふさわしい方がいるかと思うのですが、どうして私を選んでいただけたのですか?」
「メルシアの要求だ。穏やかであまり気の強くない娘の方が第二王子と相性がいいと。本来こちらが気にかけてやる事ではないが、他の者はこの国から遠く離れた小国に嫁ぐのを厭ったからな。向こうを慮ったと見せるのにもお前が適当だと判断した」
皇帝の言葉尻に混じる苦さにイリーナはすかさず首を垂れた。
「謹んでお受けいたします。このような栄誉を私が受ける事が出来るとは思っておらず、姉妹達を差し置いて受けても良いのか不安だったのです」
「メルシアはフィリー山脈を超えた僻地にある小国だが、豊かな国だ。属国に組み入れることが出来れば優良な食糧庫になり他の小国群を挟撃する事もできる。とても重要な婚儀であるというのに、奴等は母方の家門を笠に田舎の王位継承の目もない粗野な放蕩王子との結婚などしたくないと宣った。愚昧だとは思わぬか?」
父の怒気にイリーナはさらに深く頭を垂れた。震える唇で紡いで許されるのは肯定だけだ。
「仰せの通りです」
「お前は他の娘達よりも聞き分けがいいな。それは嫁する上で美徳であろう。優秀と評判の第一王子と違い、ふらふらと放蕩する阿呆だ。一歩引いて第二王子を立て、おだてあげて我が国の利になるように操り、第一王子とその妻子を亡き者にして実権を握れ。手足となる者は潤沢につけてやる」
さらりと言われた命令は諾々と従える中身ではない。だが父に逆らう事はもっと恐ろしい。
彼の意に反した事によって、酷い嫁ぎ先に下賜された姉や、自死を命じられた兄、首を刎ね落とされた臣下や、車裂きにされた民を見てきた。
しっかりとした後ろ盾のある姉妹達ならともかく、自分が逆らえばそれらの後を追うに違いない。
「御心のままに」
「そうか。私はいい娘を持った。近くに」
イリーナが言われるままに近くによると、機嫌を直したらしい父は喜色を浮かべてイリーナを抱きしめ、頬の左右に祝福の口づけをしてくれる。
「おとう……さま?」
「我が娘よ。期待しているぞ。お前は役に立つ私の特別な娘だ。嫁ぎ先でもノーザンバラのためにしっかり励めよ」
イリーナは優しい言葉も期待の言葉もかけてもらった事がない。
だからこそ、父の奨励は飢えた心に染み渡った。恐怖は父への愛情に塗りかわった。
「は……! はい! 身命を賭して励みます」
「では下がるといい。婚儀は一年ほど後だ。それまでにメルシアの作法や風習をしっかりと覚えるように」
皇帝の前を辞し、自室に戻ると母がイリーナに抱きついて来た。
「お母様、急にどうなさったのですか?」
「イリーナ、誇らしいわ。わたくしたち陛下に認められたのよ! わたくしの皇宮での地位もこれで安泰。大好きよ。イリーナ! 娘を産んでよかった。いいわね。メルシアでもノーザンバラの為の存在であり続けなさい」
十五歳になる現在まで、そんなことは一度も言われたことがなかった。抱き寄せられたこともなかった。何かを話しかけても面倒くさそうに受け流されていた。
だが、今は父も母も自分を気にかけて愛してくれている。
役に立つ事で愛されると知らなかったから、今まで損をしていたと気がついた。
だから決めたのだ。両親に、家族に愛されるために、また自分の事を見てもらうために、家族の望む通り動くことを。
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