公正
総督府の牢のある建物を出て、アレックスはへたり込んだ。
地面に腰を下ろし、壁に凭れかかる。
どれだけそこにいただろうか。影がかかって、アレックスはそれを見上げた。
「ランス」
へにゃりと相貌を崩すと、呆れを含んだ目でアレックスを見おろしたランスが手を差し出した。
ほぼ癒えてはいるが、ナザロフにつけられた傷は跡になっていて、今までよりも迫力ある男前といった様だが、呆れていてもその表情はアレックスに対する優しさに満ちていた。
「気は済んだか?」
「ああ。顔を見るのも次で最後だと思うと、気分がいい」
その手を取ってアレックスが立ち上がると、当たり前のようにランスに抱きしめられて、ひとしきり腰や頬を撫でられ、怪我がないか確かめられる。
「特に怪我はないな。手首が赤いようだが」
「怪我と呼ぶほどじゃない。檻の中から奴が出来るのはせいぜい手を掴む事ぐらいだ」
「なぜ、悔悛司祭の役を受けた。神殿騎士が否と言ったんだ。あんたが受ける必要はなかったろ。それに何かあったらどうするんだ。俺がいないうちに勝手に受けて勝手に行って。総督も知らなくて青ざめてたぞ」
「確かめたかった……かな?」
「何を? あの男に対する恐怖心を克服したか、とか?」
アレックスはそれに首を振った。
「ないわけじゃないが……。アレに対して正しくいられるか、だ。いまだに耐えがたいほど恐ろしいし、憎らしい。俺の全てを奪い取って罪悪感の一つも覚えていないあの男が拘束された状態で、一人きりで相対して、復讐する機会を前に、俺はどう思うのかだ。あいつをこの手で殺したくなるのか。恐ろしくてあいつの意に従うのか」
「それをやる必要はあったのか?! 意に従うのはなんとしても止めるが、復讐なら誰も咎めない。あんたにはその権利がある。俺もガイヤールもあんたがあの男を自身の手で殺したいと望むのならば協力するし、後始末だって喜んでする。そんなところで理性的である必要なんてない。なあ、復讐を望まないのか?」
ランスの勢いにたじろぎながらも、アレックスはそれに真摯に答える。
「復讐なぁ……実のところ、少しは誘惑されていたんだ。誰にも邪魔されない、殺すなら今だと。どうせ明日殺されるなら俺が今日やっても問題ないだろう、と。だが、俺にとって不要だ、処刑するべきだと割り切れた。あの男を法の元で裁き、法に則った扱いをし、私刑に処さない自分であれた」
アレックスは胸を張ってランスを見上げた。
「何もかも奪われてこの島に来て、人としての尊厳も良識も切り崩して生きてきた。もうすっかり擦り切れてしまったと思っていたが、まだ昔のように正しく判断を下せたのは嬉しい。ああ、だが……。お前達と出会ったからそういう気持ちが取り戻せたのかもしれないな。ありがとう」
それにランスは陰鬱な表情を浮かべ、口を開きかけて逡巡し、アレックスから一歩離れた。
そしてアレックスの目を見つめると、手を伸ばして、自分が彼にするように髪を梳いて、アレックスの前髪を後ろに流す。
「それは、あなたが昔から今まで変わらず持ち合わせていたもので、俺達が思い出させたわけじゃない。じゃなかったら、いかにも訳ありな行き倒れを助けるものか」
「ああ、あれ。それは……いい服着ていたから、助けりゃ金になるかと思っただけだ」
「それは嘘? それとも冗談? どっちみち下手くそだな」
「嘘でも冗談でもないが」
「あの時ルークはそんな感じだったが、あんたはお人好し全開だったぞ。それにあんたは嘘をつくと目の色が変わるからな。すぐに分かる」
「なんだと、それははじめて聞いたぞ? 表情を作るのは上手い方だと思っていたんだが」
「物理的にだよ。嘘をつくと目の色が翳るんだ。室内だと俺も読めないが、明るいところだと少し緑が濃くなる。ほんの少しだから普通の奴は気がつかないと思うが、目玉を動かさないように少し意識するだろ。多分そのせいだな」
「……そんなことあるか?」
「ああ、冗談だよ」
顔を覗き込んで屈託なく笑い、ランスはアレックスの手を引いた。
子供っぽい動きに苦笑しつつもアレックスはその大きく温かな手を振り払うことが出来ず、獄舎から総督府の本館に帰る小道をランスに引かれて一緒に歩く。
「ところで海賊を処刑したら、すべての片がつくわけだが、その後、お前達はどうするんだ?」
「ここに来る前はリベルタに家と土地を買って、開墾して、農業でもしながら暮らそうかと思っていたんだが、レジーナ様もここで楽しそうだし、私掠船団の切込隊に入れてもらうか、あなたの補佐として置いてくれないか?」
「実のところ、そうしてもらえると助かる。ドルフもお前も抜けたとなると戦力的に厳しいし、手を広げた事業の管理を手伝ってくれる人材も欲しい。俺から言おうと思っていたんだが……」
繋いだ手に力を込めると、ランスははしゃいだ様子で振り向いた。
「決まりだな。よろしく頼む。それと、もう少し落ち着いたら、俺の告白を聞いてくれ」
「今じゃダメなのか?」
「駄目だ。全部終わったら話す」
澱んだ目で、それでもなにかの覚悟を決めた顔でランスはアレックスに告げた。
「お前が話せる時でいい」
鷹揚に答えたが、先に聞いて話すべきだったと後悔する未来をアレックスはまだ知らない。
そして、二人を物陰から見つめる目があったこともアレックスは気がつかなかった。
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