因果応報
この話はナザロフ視点で進んでいます。
ナザロフは合流した船員達に奴隷島に戻るように指示し、操舵手に船を任せて出航させた。
船長室に船医を呼び、斬られた腕の手当てをさせて痛み止めの煎じ薬を飲んだが、薬が効いてなお、疼いた痛みが男を苛む。
これは失った腕の痛みだけではない。
屈辱と怒りで腑が煮えくりかえって、痛みをいや増させているのだ。
命を獲られる危機を感じ、逃げを打たざるえなかったことが腹立たしい。
ナザロフにとって、戦闘とは相手を一方的に蹂躙し収奪するものだったから、あれほど追い詰められた事は今までなかった。
メルシア王太子の船を襲い、護衛の手練れに片目を奪われた時もそれなりに痛手だったが、得たものも大きかったからここまでしてやられたという気持ちにはならなかった。
しかし、とナザロフは思考を切り替えた。
狂犬に阻まれて目的の王女奪還こそならなかった。が、総督府や総督邸から大量の財貨を奪えた。
いくつかの建物に火もつけてきたから、混乱を収めるのに時間がかかるはずだ。
そもそもあの砦には船もなかったから、あの男が追ってくることは出来ない。
一度奴隷島に戻り、財貨を原資に人を雇って体勢を立て直して、奴らが体勢を整える前に王女を再び奪いに行けばいいと決め、男は船長室の硬い寝台に身体を投げ出した。
疲れもあり、そのままうとうとと微睡んでいたナザロフの体を突然の轟音が揺らした。
慌てて飛び起き甲板へ向かうと、マストが1本落ち、葡萄弾によって甲板にいた船員は倒れ伏して苦痛に呻いている。
「なんだ……と」
顔を見せ始めた朝日を反射したきらきらしい船が目を灼いた。
白で塗装された船体に黒の差し色と金縁と同じく金色の船首像が眩しい美しい帆船。
一瞬見惚れてしまったが、それはナザロフの大切な船の横腹に接舷しようとしていた。
「逃げられねえか?!」
「無理だ! 囲まれてる!」
周りには軍艦と思しき帆船がこちらを囲んでいて、逃げ道が断たれていた。
いや、この白い帆船一隻だとしてもマストが折られた時点で既に逃げるのは難しい。
「総員、戦闘態勢を取れ! 逆に乗り込んであの船を奪え!」
腕を失って戦闘能力が下がっているとはいえ、部下もいるし、頭は回る。普通の海賊や艦船程度ならばなんとか蹴散らせるだろう。
ナザロフの号令に、怪我を負っていない部下達が湧き立ち、剣や斧などそれぞれの武器を構えて接舷された船へと向かう。
一斉に乗り込んできた敵と部下達が乱戦になった。その隙を突いて、ナザロフは敵船に乗り移り、船尾にいるであろう相手の船長の元を目指す。
船尾の甲板には、ナザロフも知る美貌の男が立っていた。
これは偶然か、神の配剤か。
あれを殺すか捕まえるかすれば逆転の可能性がある。
そうだ、と男はほくそ笑んだ。
あの男は自分の為の供物。こちらが一方的に蹂躙していい美しい生贄だ。
ナザロフはアレックスに襲いかかった。いや、正確には襲い掛かろうとした。
だか、その体はアレックスに届くこともなく、この船の乗組員達と海兵達に阻まれる。
「くそっ! 一対一でやり合おうって気はねえのか?」
それに対して、目の前の男はこちらをまるで塵芥でもみるような瞳で一瞥しただけだった。
「なんだよ! 前は可愛い声で啼いてくれたってのに。無視とはつれねえなあ」
安い挑発だ。だが、男の瞳が憎悪と恐怖にぐらりと揺れたのをナザロフは見逃さなかった。
「なあ、ヒメサマ。二人っきりで楽しもうや」
ナザロフは誘いだすようにさらに声を掛ける。
男は目を閉じて、上を向いた。綺麗な形の喉元が露わになって、ナザロフは色々な意味で息を呑んだ。
顔を戻した男はナザロフを無視し、朗々とした声を辺りに響かせた。
「メルシア連合王国国王、ウィリアム一世より、海賊掃討の認可を受けた代理人として、私掠船団団長アレックス・ラ・トゥーチェがこの海賊船の掃討及び、一味の捕縛を命じる。常ならば生死問わずだがこの一味は定期船の乗客及び乗員のほぼ全てを殺戮し、船を沈めた大罪人だ。公の場でしかるべき刑に処するため、可能な限り生きたまま捕縛する事を希求する」
それを合図に海兵の一部がナザロフの包囲を狭め、輪から外れた兵はあちこちに散って部下達を捉え始める。
あらかじめ決められていたと思しき呼笛の音が鳴り響き、次いで大砲や銃声があたりに響いた。
囲みを破ろうと、ナザロフは抵抗を試みる。
普段なら蹴散らせる程度だが、体力も尽き、利き手を失った男にはそれを突破できる余力がなかった。
諦めずに1番弱そうな部分を執拗に攻撃したが人の壁に阻まれ、投網のようなものが頭の上に降ってきてナザロフはついに捕えられた。
その上から縄をかけられて、船底に連れていかれ、最低限の下着を残して装備を剥ぎ取られ、船の最下層の檻の中に部下と共に押し込まれる。
排水だまりが近いのだろう。辺りには耐えがたい悪臭が漂っていた。
薬が切れて腕の痛みが疼痛から刺すような痛みになった頃、上甲板でバタバタと人が走り回る音と、錨が下ろされる揺れをナザロフは感じ取った。
それからさらに一刻ほど経った頃、人が降りてくる音が聞こえ、海兵と半日程前にナザロフの片手を奪った男が檻の前に立った。こちらが切った目はすでに治療され、きれいな包帯が巻かれている。
「思ったよりも早い再会だったな」
皮肉げに話かけてきた男にナザロフは唾を吐いた。
それを雑に拭って唇を歪めた男は鍵を開けるように海兵の1人に命じて、檻に入りナザロフの無事なほうの腕を後ろ手にねじり上げた。
「つっ…!!」
「おや、血も涙もないかと思っていたが、痛みは感じるらしいな。さて、お前ら全員、総督府の牢に送る。その後は略式で裁判を行い量刑が決定する。せいぜい同情を買える程度の謙虚さを見せてくれよ。まあ、リベルタ統治領での海賊への判決は酌量の余地なく絞首刑と決まっているそうだが」
くくっと喉を鳴らす音にナザロフは唇を歪めた。
ノーザンバラ北方地域の防衛と、海から各地への侵略を担い、四十年近く最前線で戦ってきた。
死への覚悟は出来ている。だが、それは戦場で戦って散るか、武人として誇り高く頸を落とされる姿であって、こんな南溟の島で海賊として惨めに吊られるものではないのだ。
「俺はノーザンバラ帝国、北方将軍、ミハイル・ナザロフだ。リベルタ総督と政治的な話をしたい」
国同士の問題にすればここでの処刑を避けることが出来るかもしれない。
微かな期待をもって口に出したそれに、男は吹き出した。
「ふはっ……くっ……お前が将軍なら、俺は王子でアレックスは王様だよ」
冗談めかした言い回しに海兵達がどっと湧いた。
だが、ナザロフはその端々に潜んだ憤怒に身震いする。
自分が将軍なのは事実だし、エリアスは王位につくと言われていた。
だが、この島の人間にとってエリアスは今、王でなくて女衒だ。
女衒のアレックスを王、自分を王子と並べて呼ぶことでナザロフは将軍とは認めない、縛首が相応しい海賊にすぎないと吹聴してる。
「総督と話をさせろ。お前じゃ話は通じない」
「総督は海賊と話す口は持たない。特にエリアス王子を手にかけた海賊とはな」
どん、と背中を乱暴に突かれて歩くように促される。
そうしてナザロフは潮とかびの匂いに満ちた総督府の監獄に部下と共に放り込まれた。
お読みいただきありがとうございます。
そろそろ佳境に入ってきました。今しばらくお付き合いいただければと思います。
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