ペテン師
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イリーナを保護したアレックス達は部屋を出て、廊下を足速に歩いていると、階段が見えたところで、銃を構えた若い男に出会った。
「ちょっと待った。その人を連れていかれると俺達の命が危ないんだ。置いていってもらおうか」
後ろに流した濃茶の髪に銀縁の眼鏡をかけ、シャツにリボンタイを結んでベストとミドル丈のジャケットを羽織っている。
新大陸で流行っている洒落者の格好だ。
こんなところでそんな格好をする人間はそういない。
アレックスは彼が誰か予想して口を開いた。
「競売人だな。物騒な歓迎だ」
「ああ。あんたがポン引きのアレックスか。なるほど、女を誑かす顔をしてる」
「私掠船団のアレックス。だが、アレックスと呼んでくれりゃあいい」
「アレックス、そのお姫さんを連れていかれるとこっちの命が危ない。置いてってもらおうか」
「残念ながらこっちも彼女を連れていかなきゃいけないんだ。彼女の恋人が待っているからな。あんたは恋人同士の逢瀬を邪魔してもらっちゃ困る」
アレックスはペロリと唇を舐めた。普通ならいきなり撃つところだ。それをこうして脅すに留めている。
このタイプは与し易い。相手の情報を記憶から引きずり出して作戦を立てる。
「なあ、競売人。あんた競売人になる前は何をしてた?」
「なんでそれを答えなきゃいけねえんだ」
「答えたくないならいいんだ。だが、ここの競売人になって五、六年だよな。お前とは一度ちゃんと話そうと思っていたんだよ。前の競売人と関わりたくなかったから切らせてもらったが、この島を取りまとめた時の逸話は聞いている。あいつを蹴落としてここをまとめたのはすごい手腕だと感心していた」
「世辞は結構。こっちの稼ぎを掠め取れる奴に言われても嬉しかねぇ」
「じゃあ本題に入ろうか。ナザロフの目的は彼女とその娘を連れてノーザンバラに帰る事だ。もしも目的を達してここから出ていった後、お前達はどうなると思う?」
「あいつらが帰ってくれりゃあ俺たちは元の通り商売を続けるだけだ」
アレックスは涼しい顔を装いながら言った。
「出来ると思うのか。あの海賊はメルシア国王とリベルタ総督が血道を上げて殺したがっている大本命だ。それを庇って住まわせていたここが、このまま安泰とでも?」
押し黙った男に駄目押しするようにアレックスは続けた。
「今だって海軍を手勢として連れてきている。今、俺達に協力してくれれば総督に口を利いて今までの状況を維持してやる」
一歩近づき男に腕を伸ばして銃を降ろさせる。
「銃を構えて脅しつけるなんて、色男が台無しだ。お前も俺と同じで武器の扱いよりも頭を使う方が得意なんだろ。あの海賊みたいな男に目をつけられたら大人しく従うしかないから仕方ないよな」
ぐっと身を寄せて相手の懐まで入り込み、肩を掴んで他の者ーイリーナに聞こえないように耳元で囁く。
「今、海賊は海亀島に行ってるな。実は今、近海の海軍全軍あいつを捕まえるために動いているんだ。もうアレは帰ってこない。安心して未来のために手を取り合おう」
「信じられるかっ!」
「不安だよな。あの男は怖いから。何人も部下を殺されたんだろ? うちにもお前の部下が来たよ。捨て駒にされて可哀想に……だが、お前の手下の一部は生きてるんだ。海賊諸島の仲間だろ。おいそれと殺せないと思って生かしている。もちろん待遇もちゃんとしてる。彼らの命運はあんた次第。お前が望むなら返してやる」
ほんの少し脅しのスパイスを効かせつつ餌を撒くと、銃を取り落とす音と喉の鳴る音が聞こえる。横目で男の顔を見て落ちるのを確信して、優しく続ける。
「さて、仲間の手を取るか、余所者の手を取るかの結論、そろそろ欲しいんだ」
「いや……だが……」
「競売人……いや、もっと親しく呼びたいな。名前を聞かせて。俺達の仲が進展するための第一歩だ」
舌が届きそうなほど耳を寄せ、熱い吐息混じりに囁くと、競売人は背中を強張らせた。
「離れてくれ。あんたが雌猫って呼ばれている理由がよく分かった」
「失礼。距離の取り方がヘタだってよく言われる。で、名前は教えてくれないの?」
ほんの少しだけ離れて満面の笑みを浮かべて首を傾げると、顔を赤らめた競売人は視線をあちこちに飛ばしながら口を開いた。
「……ノア」
「ノア。選んでくれてありがとう。とりあえず今後の事は日を改めて話そう。俺達を行かせてくれるよな?」
「あ……ああ。落ち着いたら連絡をくれ」
「ありがとう。お前の手下は返すように手配しておく。その時に手紙を持たせるからそこで会う日を決めよう。よければこちらに遊びにきてくれ。ラトゥーチェ・フロレンスで歓待する」
駄目押しに手を包み込むように握ってすりすりと指先にごく軽く力を込めると、少年のような表情で男は何度も頷いた。
「そうだ、アレックス。あの男はエリアス島に行くと言っていた。総督府が目当てだと思う。ここに来たあんたの島の男が総督がパトロンだって言ってたから、そっちから潰すみたいだ」
「本当か?!」
握っていた手に力を込めてしまい、男の顔が赤らんだ。
「おっと、悪い」
手を離して謝ると、真っ赤な顔のまま男は首を振った。
「本当だよ。あんたに嘘はつかない」
「ありがとう。ノア。じゃあまた連絡する」
「待ってるから……!」
階段を降りたところで待っていたディックが肩をすくめた。
「あの男、俺達がさっさと先に行ったのも気が付かなかったっすね」
「俺に夢中だったからな」
上に聞こえないように気を使って眼を細める。
少し知恵の回る上昇志向のある成り上がりが、最もアレックスの持つ詐術や魅力のようなものにあてられやすい。
「撤収だ! 目的は果たした! 競売人ノアとも話がついた。戦闘は終わりだ!」
声を張り上げて仲間を呼び、集合を待って船を泊めた海岸を目指す。
「悪いが……少し、急いでくれ。心配事がある」
最後尾を走りながらの掛け声はあまりにも締まらなかった。
「いや、一番頑張らないといけないのは、あんただろ」
同じように後ろを走っていたルークがすかさずツッコミを入れてくる。やはり軽く息が上がっている。
「お前にだけは、言われたく、ない。飲み過ぎとヤニの食い過ぎで臓腑が痛むんじゃねぇか?」
「あーあ。若い頃に戻りてぇな。見ろよ、ディックのあの軽やかな様を」
アレックス達の前を走るディックはイリーナを背負っているにもかかわらず、足取りも軽やかだ。
「女のためならいくらでも力を出せる男だからな。あいつは」
決して褒め言葉ではなくそう言って重い足を進めていると、先頭を走っていたはずの海尉が海兵を連れて戻ってきた。アレックスと同じ年頃だが、息も乱しておらず、鍛え方の差を見せつけてくれる。
「アレックス殿。よければお運びいたします。総督にアレックス殿は病み上がり故、特に気を使うよう申しつかっております」
「よろしくお願いします」
アレックスは即座にその申し出を受けて海兵の背中に身を預けた。
「そういえばさきほどの心配事とは?」
併走する海尉に尋ねられて、アレックスは答えた。
「ああ、競売人が、あの海賊が『総督府を襲う』と言っていたと聞いたそうだ。俺が罠を張ったのは海亀島の逆位置に当たるから、少しまずいなと。まあ、総督府の砦にはある程度戦力が詰めてるから大丈夫だとは思うんだが」
「ああ、なるほど。それは少し心配ですね。おっと、だが、海岸が見えてきましたよ」
「待て。船が多くないか?!」
「確かに。どこの船だ?」
「うちの船が同じ場所に泊まっていそうだから、敵じゃないとは思うが……ハーヴィー、いるか? 見てこい。味方のようなら合図を送れ」
「りょーかい」
夜目の効くハーヴィーが駆け出した。しばらくするとカンテラが明滅するのが見える。
「海軍の信号だな」
「読めるんですか?」
「ああ、まあな。……って! おい! どういう事だ?!」
「うちの留守番部隊がなんでここに……」
海尉も信じられないものを見たとでも言いたげに声を振るわせた。
「とりあえず急ごう。おろしてくれ」
「いえ、俺が担いで走った方が早いのでこのまま。しっかり掴まっていてください」
海兵が猛スピードで走り始めたのをアレックスは必死で耐えた。
エリアス島を守るはずの彼らがここにいて、あの男達は総督府に向かっている。
一刻も早く戻らなければレジーナがどうなるのか想像しなくても分かることだった。
土日お休みします。
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