女王のスポンジ
ほのぼの回です。
娼館にいるのが耐えきれず、発作的に向かったのはレジーナのところだった。先触れもなく屋敷に訪れたのに、止められる事なく中に招き入れられ、凄い勢いで出迎えに来た総督の歓待を受ける。
「ウィステリア! 君から来てくれるなんて……! 初めてじゃないか?!」
「ジーノに会いに来ただけですよ」
冷淡に伝えるがそれに気を悪くした様子もなく、ヴァンサンはアレックスの腰を抱いた。
「そろそろ涼しくなってきたからね。中庭でお茶を楽しんでいるところだ。案内しよう」
「やめて下さい」
「倒れそうな顔色でなにを言ってる。少し痩せたようだし、私に支えさせてくれ」
「結構」
一言で切り捨てて腕を振り払い、歩調を早める。
普段以上に突き放した態度に怒るでもなく楽しげに喉を震わせたヴァンサンにアレックスは眉を持ち上げる。
「悪い物でも食べましたか?」
「いやいや、君がいつも通りで安心しているんだ」
「……そう、ですか」
内心はぐちゃぐちゃで、とてもではないがいつも通りとは言えない。だが、付き合いの長いヴァンサンにそう言われる程度には内心を覆い隠せているようで、アレックスは小さく息を吐く。
「お見舞いに来ていただいたと聞きました。総督にもご心配をかけたことお詫び申し上げます」
「当たり前じゃないか! 君は私にとって何にも変えがたいほど大切なんだ。貴方は私の星だ」
鬱陶しい口説き文句に心が動くことはないが、今日はそのいつも通りのおおげさな言葉に張り詰めた何かが緩んで、無意識に笑みが浮かぶ。
「え……へ?!」
撃たれたように動きを止めて顔を赤らめたヴァンサンに首を傾げながら、アレックスはレジーナの元へ足を進めた。
※ ※ ※
「アレク……!」
こちらの姿を認めるなり走りよって抱きついてきた少女をアレックスはよろけながらも抱きとめた。
「え?! 大丈夫? まだ具合わるいの?」
「大丈夫。ちょっといきなりで驚いただけだ」
「ごめんなさい。おけがもお熱もよくなった?」
「ああ……もう問題ない」
「ほんとに? まだ顔色がよくないよ?」
「六歳児にまで言われるんだ。自覚するべきだ。今日は、いや、しばらく君も泊まっていくといい」
話に挟まってくる男に一瞥もくれずにアレックスは断った。
「お断りします」
「即断の上に、声も酷い差じゃないか?」
「暇なわけじゃないですから。私が意識がない時に預けられたから、心配してると思って」
「それはもう心配……」
「心配をかけたね」
あえてレジーナの方を向いて微笑むと彼女の手を取り先程まで彼女が腰掛けていた席にエスコートする。
そして自分もレジーナの隣に腰を下ろした。
「大丈夫?」
違う意味で心配になったのだろう、そっと聞いてくるレジーナを視線で安心させながらアレックスは総督に声をかけた。
「……お茶をいただけますか。ああ、ヴァンサン。貴方も一緒にどうぞ」
「あ……え? い、いいのかい?!」
ぴょこんと飛び上がって空いてる一席に座り、メイドにアレックスと自分の分の紅茶を持ってこさせる。満面の笑みを浮かべる総督にレジーナも安心した様子で紅茶に口をつけた。
「ここのお庭もとてもきれいね。おうちのお庭みたい。アレクのおうちのお庭とちょっと違うのね」
「お家、ね……あそこの庭は、客がいつもと違う場所にいるんだって思えるように作ってあるからな。逆にここは咲いている花こそ違うが、メルシア本国の伝統的な作りの庭だ」
「王宮の庭師だった人間を呼んで作らせたから、見覚えがあると思うよ。この庭はメルシア人に故郷にいる気持ちを味わってもらい、メルシアを知らない人間に我が国の文化を知ってもらうために作られている」
話の内容から考えるに、ランスはヴァンサンにレジーナの正体を話したのだろうか。
迂闊に確かめられないし、ボロも出したくない。アレックスは話題をテーブルの上に並んだ色とりどりの菓子に移した。
「すごいな。いちごのタルトと女王のスポンジじゃないか。ヴァンサン、よく苺が手に入りましたね」
特にアレックスの目を引いたのは艶々とした苺の乗ったタルトと苺とクリームを挟んで粉糖を振ったスポンジのケーキだ。
この辺りではディフォリア大陸でよく食べられている茨苺の類は入手できない。
クリームと果物を砂糖で煮たものを挟み込んで作る女王のスポンジといわれる菓子も、本来のレシピである苺の煮たものを挟んだものを使うのは難しく、この辺りで取れる果物で作られる事が多かった。
「新大陸で栽培に成功したそうだよ。厳密に言えばディフォリアの茨苺とは違う物だが、味はほぼ同じだ。たまたま入手出来たから作らせた。君にも馳走できるなら、タイミングが良かった」
ケーキを切り分けたヴァンサンからそれを受け取ると、アレックスは一口分をフォークで取って口に運ぶ。苺の甘酸っぱい味わいのジャムとなめらかなクリームが挟まったふわふわのスポンジに顔が緩むのを抑えられなかった。
その顔に目を細めたヴァンサンがからかいを含んだ声でタルトも勧めてくる。
「次から毎回用意しよう。ささ、こちらもどうぞ」
タルトも食べて、10年ぶりの苺の味の懐かしさに目元が潤む。
「これならいくらでも食べられそうだ……」
もう一つと、手を伸ばしたアレックスはレジーナがそれらを手をつけていないことに気がついた。
「苺は嫌いなのか?」
レジーナはそれを見つめながら首を傾げる。
「食べたことないの。食べちゃダメってランスに言われた」
「苺を食べて具合が悪くなったことでもあるのかな?」
「そういうわけじゃないと思う。ランス、いちごだけはどうしても食べられないんだって。毒見が出来ないから食べないでくださいって言われたの」
六歳の少女がそんな事を気にしないと生きていけなかったのか、と若干の痛ましさを覚える。
多少は注意されたし、毒物への耐性はつけさせられたが、小国だったころはそこまで緊張を強いられる事はなかった。
「無理に食べる必要もないが、もう俺が食べたから大丈夫。だいたいうちでの食事は毒見なんて一切してないし、ここでの食事だってしてないだろ」
「あ、そういえば! 最初は気にしてたんだけど。あのね、苺だけなんだけどね、すごく強く止められてたから、食べていいのかなって」
と、はにかんだ笑みを浮かべた少女にアレックスは頷いてみせる。
「いただきます」
そっと一口、遠慮がちにそれを食べたレジーナは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「わぁ、美味しい……」
その様に、娘も苺が好きでこんな笑顔で食べていた、と懐かしさと寂しさを覚えた。
「食べたい時に言えばヴァンサンがいくらでも用意してくれるよ」
「ほんと?!」
「喜んで。いつでも言ってくれ」
ヴァンサンが恭しく頭をたれるとレジーナがくすくすと笑い声を立てる。
故郷を偲ぶために作られた庭と懐かしい味わいの菓子。それに娘とよく似た少女。
お気に入りの庭園で執務の合間に子供達とテーブルを囲んでいた時のことを思い返して、義理の息子のケインがいちごのデザートを自分以上に好んでいたことを思い出して安堵する。
だが、それはランスとケインが違う人物だという根拠を見いだしたいだけだと自覚して、アレックスは小さくため息をついた。
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