拷問吏
闇落ちランス、拷問をするの回。閲覧注意です。15禁ぐらいで薄めて書いています。
サロンに入ったアレックスは床に散らばったグラスの破片を拾いあげてため息をついた。
「気に入ってたのに。やりすぎだ…」
死体こそ荷馬車にまとめて積まれていたが、フロアは血と油で汚れ、床石にはヒビが入って、落とされて破損した鉄製のシャンデリアは隅に寄せられている。
それの片付けを戻って来たスタッフに任せて、娼館の地下に降りた。
かつて娼婦達に奴隷の刻印を彫ったり罰を与えるために使っていた部屋がある。
長らく使われていなかったそこに足を向けたアレックスは血と汚穢の匂いに眉をしかめ、涼しげな顔で立つランスに短く問うた。
「来たんだな」
「ドルフもな。息の根は止めていないから、港に連れて行くといい。それと何人か捕まえて情報を聞き出している。聞き出した情報はそこにあるがまだ精査してない。今は別の奴と交遊を始めるところだ。ご覧の通りな。そこにある情報を確認したら上で寛いでいてくれ。気晴らしがしたいなら、付き合ってもらっても構わない」
彼は古着屋で買い直した己の黒い服を着て、なめし革で出来た手袋をはめている。
その手袋がどす黒く湿って変色しているのが見えて、アレックスは身を震わせた。
黒い服をあえて身につけているのも血が目立たないからだろう。
「お前は人を痛めつけるのが気晴らしになるのか?」
皮肉を纏わせて問うと、凪いだ表情のままランスは視線だけはあわさずアレックスの頬を汚れていない指の付け根で撫でた。
「めくじらを立てるな、冗談だよ。これは作業だから楽しくはないんだ。あんたにそういう趣味がないのも承知している」
淡々とした物言いに首筋を冷たいものが伝う。
嗜虐心は受け入れがたい性癖だが、そういう嗜好の人間は少なくないと身をもって知っている。だがランスからはそういったものを感じない。ただ必要だから拷問にかける、という事を作業と割り切れる程度に常日頃からこなしてきたと推測出来る態度だ。
彼はただの護衛でも駆け落ちでもない可能性が透けて見える。目的もいくつか見当をつけられるが、どれもなかなか胸糞が悪い。
「前から思ってたんだが……お前、冗談がへったくそだな」
ごまかすようにへらりと言うと、ランスの眉間に深い皺が寄る。
「子供の頃はもう少しマシだったんだが」
「本気か冗談か分からないんだよ。表情も変わんねえし」
「表情や雰囲気で感情を豊かに見せて本心を完全に覆い隠しているよりはマシじゃないか? あと、あんたの冗談もそんなに面白くないぞ」
あてこするように言ってランスはアレックスに背を向け、小机に置いてあったペンチを手に取った。
「さて、そんなに時間もないだろ。メモを読んで足りない質問を教えてくれ」
アレックスはランスの取ったメモに視線を走らせる。便箋で十枚ほどの量のあるメモ書きにしては読みやすい。
そしてどこかで見覚えのある手癖をしてる。リヒャルトの文字にも似ているように思うが、彼はリヒャルトではない。
「……あの海賊の名前。それとあいつらが本当に海賊なのかどうか。十年前にメルシアの王太子の乗った船を襲ったのは誰の差し金かを聞いてくれ。こいつは十年前いたような気がする」
「覚えてるのか?」
「人の顔や名前を覚えるのは得意だ。特にあの時の印象は強烈だったからな……忘れたかったんだが」
そうできれば良かったのに無駄に良い記憶力はそれを許さない。
「そうか、それはそれは……友好の深めがいがあるな……」
不意にランスの雰囲気が一転した。
「ラ、ンス……?」
今までの淡々とした様子から、吹きこぼれる怒りから口元にどす黒い笑みを刷き、相手に暴力を振るうギラついた期待感をまなこに浮かべるさまにだ。
「十年前から船に乗っていたんだな? お前の頭の名前は?」
ごま塩頭の男は、ランスが片膝をつき男のブーツを脱がせた時点で恐怖に震える声で質問に答える。
「乗っていた……! 船長はナザロフ、ジェネラルフロスト、ニコライ・ナザロフだ」
だが、ランスの手は止まらなかった。優しげな手つきで男の黒ずんだ足を手に取り、手に持ったペンチを爪先に当てる。
「へぇ、その名前、海賊じゃないなぁ。ノーザンバラ帝国の大物だ。直接対峙する機会はなかったが、ジェネラルフロストの悪名は耳にしている」
「おい、ランス、止めろ!」
静止は効かなかった。野太い悲鳴が上がり、小指の爪が飛ぶ。
「こいつは素直に喋ってるだろ!」
「なあアレックス、邪魔だから上に行っててもらえないか?」
心底鬱陶しげに顔を上げたランスの、嗜虐の溟い悦びを邪魔されるのを厭う表情に戸惑いを隠せない。
「作業……手段じゃなかったのか?」
「ああ、いつもはな。だがこいつは違う。あんたやあんたが乗っていた船の人間が傷つけられ殺された分、報いを受けさせないと」
「お前には関係ない話だろ」
「あんたにはあるよな。だが、お優しい聖人様はそんなことやらないのは分かってる。だから、かわりにやってやるって言ってるんだ」
「情報を得るためなら目をつむるが、俺は復讐なんて求めてない。こいつが血を流すのも好ましくないが、それ以上にお前が俺なんかのためにそういう事をやるのが嫌なんだ」
「俺なんか? 自分の価値が分かってないのは不愉快だ。第一、俺の手は拭いきれない位血で汚れてる。血塗れの狼だよ。いまさら一人や二人拷問相手が減ったって染み付いた血の濃さは変わらない。あんたの代わりに汚すなら釣りが出る」
アレックスの一言を聞き咎めて舌を打ったランスはその苛立ちをぶつけるように俯いて、男の足指の爪をさらに剥いだ。
野太い悲鳴が響き、鉄錆と刺激臭がじわりと漂う。
「それに、あんたのためだけじゃない。あの船に身内が乗っていたんだ。その仇だ」
「身内……誰だ?」
臨時雇いの水夫の家族構成までは分からないが、船に乗っていたのは腹心の部下達だったから家族構成もだいたい覚えている。
だが、当時未成年の身内がいる家庭持ちはいなかった。
長旅になるのが分かっていたから独身の者や、子供がすでに成人している者を多めに乗せたからだ。
そもそもランスの世代の主だった令息達は全員娘の婿候補としてほぼ全て調べ上げたのだ。なんなら優秀な平民まで調べている。遅咲きならば分からないが、彼ほどの武の腕があるなら当時婿選びの俎上に上がらないはずがない。
アレックスが覚えている限り、あの船に身内の乗っていた当時十歳前後の少年という条件に当てはまるのは一人しかいない。
その一人は自分の養子の少年のケインだが、髪の色がランスとは違う。それに彼はすでに死んだと聞いている。公には事故と言われているが、彼の実家の一族郎党はそれと時期を同じくして辺境の代官の任を解かれ離散したという話だから、なんらかの諍いの末に粛清されたのだろう。
「教えない」
ランスはアレックスの静止を無視して、爪を切るかのように片足全ての爪を剥ぐと、血が滴って赤く腫れた肉に力を込めた。
「やめ……助けて……」
「ランス!」
悲惨さに身体を抑えてでも止めようと近づいて、アレックスはランスの髪の生え際の色が違うことに気がついた。
濃い色のグラデーションになって目立たない上に背が高くて今まで気が付かなかったが、つむじのあたりの髪の色が変わっている。
黒の髪は地毛ではなかった。本来の髪は葡萄酒色の赤毛だ。
そしてその色が示すのは、ありえないはずの可能性だった。
自分の知っている彼の名前を呼んで、確かめて、止めないと、そう思っても動けない。
髪の色も目の色も同じ。
そう思ってみれば顔立ちも近い。メモ書きの手癖もずいぶん上達していたが少年のものに似ている。
よくよく考えれば、この間倒れたときに名前を呼ばれたあの声は死者の声ではなく、彼の声だった。
声変わりの前とは似ても似つかないが、今の声は彼の父親に似ている気がする。
それに、アレックスが昔の容姿に近くなったら、父と呼んで風呂場に閉じこもり出てこなかったのもそうだ。
何もかもが彼が養子の少年だと証明するかのようだ。
だが、記憶の少年と今の彼はあまりにも身にまとう雰囲気も目に浮かぶ光も違う。
彼は剣術の才……人を殺す技能に優れてはいたが、それを律する理性と正義感を持っていた。こんなに陰惨な表情で拘束された人間に拷問を課すような人間ではなかった。まっすぐに明るく気づかいが出来、弱い人間にも心配りするような優しい子だった。
いや、そもそも宮廷で王族の代わりの死体を用意することは難しい。死亡したが生きているなんてことは不可能に近い。
耐えきれずに胸を押さえて、アレックスは短く息をつき、踵を返した。これ以上その場に留まる事ができなかった。
有り体に言えば、逃げたのだ。
その弱さを責めるかのように、拷問を受ける男のすすり泣きがアレックスの耳に絡みついて、上階に上がっても取れなかった。
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