真実の愛
「嫌だ。ウィステリアを連れに戻る。そもそも私は彼を保護するために呼ばれたんじゃなかったのか」
「そんなこと一言も書かなかった。この子の保護のために呼んだんだ。もう館に着いたんだからごねるな。さっさと降りろ。あんたが遊んだと見せかけるために2時間くれてやったんだ」
「お前まで一緒に来る必要はあったのか?」
嫌そうな顔を隠そうともしないヴァンサンに似たような仏頂面でランスは口を開いた。
「護衛だよ。それにアレックスの様子に動転してまともに話を聞きもしなかったろ」
アレックスが倒れた事と、こちらに馬車を手配してもらいたい旨を伝えたところ、驚くほど早くヴァンサンは娼館にやってきた。
眠っているアレックスに二時間ほどの対面を許してやり、離れたくない、連れ帰るとごねる男の首根っこを掴んでレジーナと一緒に馬車に乗せて、エリアス島の総督の館に戻ってきたところだ。
「アレックスがどうしてああなったか向こうで話したが覚えてるか?」
「覚えてるさ。件の海賊のせいだってな。おいたわしい……当初の計画通り、ここらの島を全て、海賊諸共焼き捨てて……」
「お前がそれを言うな。いろんな意味でな。要件を話させろ。俺も早く戻りたい」
「さっさと言え」
苦々しく先を促したヴァンサンにランスは要件を告げる。
「まず一つ目。この子を預かって欲しい。海賊狩りに連れて行くわけにも、海賊に知られたあの場所に置いておくわけにもいかない。アレックス以上に狙われている。ここならとりあえず安全だろう」
「そうだ。さっき口を挟む隙がなかったが、この子は誰だ? どこかで見覚えのある顔だが……というか、ウィステリアに似ている。まさか、私に内緒で子供を作ったのか?」
「恋人面をするな。安心させるのは業腹だが、アレックスの娘じゃない。ただ、彼にとっても陛下にとっても大切な存在だ。お前が守る理由としては充分だろう?」
「ほう……。何歳だい? 何と呼べば良い?」
予想外に優しい表情を浮かべたヴァンサンはレジーナに尋ねた。
「六歳です。ここではジーノと呼ばれていました」
「……なるほど」
この男はアレックスさえ関わらなければ特に付き合いづらいところもなく、メルシア王が総督として長年の赴任を認める程度に有能なのだ。
こちらがうっすらと示した事を察したろうヴァンサンは、恭しくレジーナを応接のソファーに案内した。
「ご挨拶が遅れて申し訳ない。私はヴァンサン=ガイヤール。陛下からリベルタ総督の職位を賜っております。貴方を賓客としてお迎えします。ジーノ様。宮殿と思ってお寛ぎください」
「ランス、正直に伝えてはいけませんか? 総督はもう気がついているじゃないですか」
「知っていても明言しない方がいいということもありますからね」
そう言ったのはランスではなくヴァンサンだ。蛇のような冷酷な雰囲気を持つ男だが、意外に人好きのする朗らかな態度も取れるのだ、とランスは男の持つ別の顔に感心した。
「ここにいるのも退屈でしょう。総督、早速で悪いが、今から部屋に案内してあげて欲しい」
暗に彼女に聞かせたくない話があると伝えるとヴァンサンがメイドを呼ぶためのベルを手に取る。だが、それをレジーナが強く押し留めた。
「ランス。わたしはここにいます。メルシアとノーザンバラ、それにお父様とお母様の話をするんでしょう」
レジーナは日頃、両親の事をパパ、ママと呼んでいる。だが、王女として両親に接する時はお父様、お母様と呼称を使い分けている。王女として自覚と覚悟をもって話を聞かせろ、と言っているのだ。
「船からにげたとき、あのおおきくて怖いおじさんが、私とお母様がメルシアを獲るためにひつようだから、おじさまの元に連れて行くと言っていました。メルシア語よりはむずかしいけれど、ノーザンバラ語はお母様のうまれた国の言葉だから、大陸共通語と同じぐらいはわかります」
「今から私と彼がする話は大人の話です。あなたに聞かせる話ではありません」
「ランス! わたしの事よ! こどもだから、分からないからって、のけものにしないで!」
追い詰められた顔でレジーナは強く返した。
「私も賢しいと言われる子供でした。そしてあなたはその頃の私と同じかそれ以上に聡い。だから、子供だから、大人の言うことを理解できないと侮っているわけではありません。世界は綺麗で優しいわけではないのは、すでに分かってらっしゃる」
物心つかないうちからその命を狙われてきたのだ。彼女はすでに裏切りと策謀と死を何度も垣間見ている。
ランスは硬い顔で頷いたレジーナの頬をそっと撫で、髪に触れる。
「生まれもったその血と地位のために、まわりの大人は貴方のことを子供として見てくれなかったでしょう。だが、貴方は子供だ。しかもたった6歳の。綺麗で優しいものをたくさん感じて、楽しいことや嬉しい事を重ねて、年齢なりの嫌なことも体験して健やかに育って欲しい。だから連れてきたのです」
「ここに? それともリベルタに?」
「……両方です」
「ランスがそう思ったの?」
「リベルタ行きは貴方の御父上の意思です」
王が王妃との間に子を成したのはノーザンバラに侵攻する口実のためだった。
ヴィルヘルムは子を成した後、王妃イリーナの父であるノーザンバラの皇帝を暗殺し、新帝が即位した後の皇太子争いにレジーナをねじ込み、帝国と連合王国の境の穀倉地帯を掻っ攫った。そこまで落としてしまえば、貧弱な北方の領土しか残されていないノーザンバラと、各種資源を背景に最新の武器と練度の高い兵士を揃えたメルシアの差は覆らない。
「ママとランスは秘密のこいびとで、パパに内緒でにげたんじゃないの?」
「それが許されると思いますか? 父上はご存知ですよ」
「ほんとうにそうなら、やっぱりパパにとって……」
レジーナは逡巡するように言葉を止めて、それでもランスに視線をまっすぐと向けて尋ねた。
「わたしはいらない子だからすてられたんじゃないの?」
ヴィルヘルムにはレジーナの腹違いの兄にあたる長男がいる。メルシアの王位はノーザンバラと違い男子優先だから、その子がいる限りレジーナはメルシアの王位につく事はないが、二つの大国の継承権を持つ彼女は王宮にいる限り火種となる。
だが、彼女の言葉はそういう事情からくるものではないように感じられてランスはレジーナに尋ねた。
「なぜ、そんな風に思ったのですか?」
「……パパは私を見ると、ぎゅーってまゆげの間にしわが寄るの。いつも怖いお顔をしてるけど、私を見ると、かならずそういう顔になるの」
胸の前で右手を握りしめ、爪先に視線を投げて、こらえるように思いを吐き出す。
「あのね、アレクが言ってたの。パパはきさくだったって。きさくって明るくてたのしい人のことだよね。パパはわたしのこときらいでいらないから、怖かったんじゃ……」
「それは違う!」
被せるようにレジーナの言をランスは否定した。
「あなたのことは嫌ってなどいません。愛しています。ただ、彼はそれを許されない事だと思っていたから、あなたを大切だと言えなかった。それが苦しかったのでしょう。私は貴方を彼に代わって守れと託されました。普通の子供として身分も何もない新大陸で自由に過ごすようにと」
ヴィルヘルムは打算で得た子だとしても、それに情愛を覚えない薄情な人間ではない。だがそれを表に見せる事は彼の立場ではできなかった。
「でも……」
「大丈夫。あなたは愛されてますよ。だから、安心して子供でいてください。無理に大人になる必要はない」
ランスは父親が子供にそうするように、頭を優しく撫でて笑いかける。レジーナは不安そうに揺れる瞳で、それでも同じように笑顔を返した。
「……ありがとう。ランス。総督、わたし、別の部屋でまつことにします。案内をお願いしてもいいかしら」
「もちろん。快適な生活をお約束します」
ヴァンサンに呼ばれ、いくつか指示を出されたメイドがレジーナを伴って部屋を下がると、ランスは肩の力を抜いた。
「実に薄汚い大人らしい操り方だ。子供らしく首を突っ込まずに無邪気にそこにいろ、という大人の振る舞いをやんわりと強要するとは」
おかしげに喉を震わせた男を睨みつけ、出されたコーヒーに口をつける。
「アレクの淹れてくれるコーヒーの方が美味いな」
「神の飲み物と比べてくれるな。これだってそこらで飲まれている泥水よりははるかにマシだと思うがね」
「文句を言ってるわけじゃない。毒が入ってなければなんでも構わない」
「効くなら入れればよかった」
「まあ、ほとんど効かないが」
「だと思ったよ。ところで、それでごまかされると思うなよ」
「では正直に伝えろと?」
男の追求が苛立たしい。低い声でランスはヴァンサンに返答を求めるでもなく尋ね、この男以外の気配がないか確認して続けた。
「あなたの父親はあなたには情があるが、あなたの母親のことは憎悪している。母親も実家に帰って、あなたを旗印にして戦争を起こそうとしている。だから、新大陸で母親の方は始末しろと言われてるんです。だがあなたは彼の子供だから平民として生きることを許された。それは間違いのない愛情です、感謝しろと」
「たしかに……どんなに聡くても六歳の姫君に聞かせる類の話じゃないな。実に利発で、ちゃんと育てれば立派な後継になりそうなのに、もったいない」
本国の情勢も全て把握してのヴァンサンの言を無言でいなしたランスは目的を告げる。
「だいたいの事情は察しただろ? そこで二つ目だが、この海域の海軍をこちらの指揮で動かす仲介をしてもらう」
「ウィステリアはまだ貴様らに話していなかったのか? お前が迎えに来た日に彼が頼んできたのがまさにそれだよ。なのでもう根回し済みだ。手足として使える状態にしてある」
「もうそこまで考えてたのか…」
「ただ、赤狼が動くなら、根回しの必要もなかったな」
大変だったのに、とソファーに背を投げ出してため息をつき天井を見上げたヴァンサンに、ランスは返した。
「俺は私掠船団員の立場で動きたかったから、根回しはありがたい。そもそも海賊退治は本来の任務から想定外に派生した事だ。王妃の救出もあるから自身の権限で海軍を動かすのも考えていたが、駆け落ちしてきた表向きの話とどう辻褄を合わせるか頭を悩ませていたんだ」
「救出? 先ほど始末すると言ってなかったか?」
船に乗ってから切っておらず、この島に来てからさらに伸びて、ついに目元にかかるようになった前髪を掻きあげて、ランスは口を開いた。
「湖の騎士の物語を知っているか?」
「もちろんだとも」
「俺たちはあの話のように、真実の愛を貫いて王から逃げ、遠い地に旅立つ騎士と王妃という風に見えている。そろそろ本国にはそう噂が流されはじめている」
「まあ、人によってはそうだろうな。運命の恋に憧れてそうした夢物語を支持するバカは少なくない」
運命の恋という自嘲も交えて皮肉げに肯定するヴァンサンにランスは続けた。
「そこに、逃げた先で海賊に襲われて王妃は死んでしまった。十年前、やはり海賊の手で王位につく直前の第一王子が死んでいる、という情報がついたらそれは誰の仕業で、元々王妃に冷淡だった王はどんな役回りになる?」
「海賊に手を回し、自分の今までの態度を棚に上げて裏切った王妃を赦さず殺す非情な男。いや、それどころか世界を獲るために実の兄に手を掛け、不要になった妻を始末する非道な暴君…か」
「あちらがその考えに至ってないようで助かったよ。いや、レジーナ様が向こうの手に落ちていたら、その筋書きを使ってくる可能性もある」
ヴィルヘルムが兄エリアスが受けた襲撃に関わってない事は海賊に対する憎しみを見れば明らかだし、エリアスの妻子の件は王妃と背後のノーザンバラの独断であることも今は知っている。
だが、それは自分が知る立場にあったからの話で、知らない人間はそうは思わない。
ヴィルヘルムは兄の一家を殺した簒奪者だというきな臭い噂は今でも流れているのだ。海賊討伐は兄殺しの口封じだったと邪推される可能性もあるだろう。
「だから俺は駆け落ちした護衛のランスとして『助け出したお姫様と末長く幸せに暮しました』という結末を夢見させる再会を果たさないといけないんだ。本当はもっと穏当に統治領に逃げて愛を貫いた二人を王が認める、といったような筋書きだったんだがな」
「めでたしめでたし、の続きが本当かは誰も知らないということか。夢がないな」
「物語の結末の方がずっと幸せだよ」
冷淡に言ってランスはコーヒーを飲み干した。
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