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【完結】自由を取り戻した男娼王子は南溟の楽園で不義の騎士と邂逅する  作者: オリーゼ
南溟の楽園

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約束ー過ぎし日の悪い夢

15禁程度まで濁していますが、性暴力を含む暴力的なシーンです。トラウマ等ある方には閲覧をお勧めできません。お含み置きいただきお読みください。

 ハードタックと呼ばれる堅パンの角を、ろくに掃除もされていない床に何度か叩きつけると、小さな虫が中から這い出して逃げていく。

 青年はわずかに与えられた薄めたラム酒で唇を濡らし、震える手でそれを割って欠片を口に運んだ。


「……まずっ……」


 先ほど散々自分を嬲った男が檻を出て行く際、餌でも与えるかのように置いていった物だ。

 船底に近い檻に、鎖付きで閉じ込められてから結構な時間、食べ物を口にしていなかった。それでも今だにこれが不味いと思える自分のふてぶてしさが可笑しい。

 だが、食べなければ死ぬ。逃げられる機会があっても体力がなければ生かせない。これが手に入っただけでも僥倖と思うしかない。


 口の渇きを少ない水分でやり過ごしながら、堅パンを食べ切り、痛む胃を抱えて、檻の隅で横になって裸の身体を丸めた。なぜこんな事になってしまったのだろう。衣服どころかまともな食べ物すら与えられない、こんな状況に。


 新大陸へ向かう航路はそれなりに順調だったはずだ。変わり映えのしない景色こそすぐに見飽きたが、執務に追われる必要のない海の旅はとても気楽で、久々の自由を満喫していた。

 持ち込んだ本や書き付けで新大陸の事を学び直したり、船長や船員と交流して操船を習い、航海術を学んだ。釣りも初めて体験して魚を捌くやり方も教えてもらった。

 苦手な護身の稽古が毎日あるのには辟易していたが、大変だったのはその程度だ。

 嵐が来て船酔いで寝台から出られなくなった事も、無事に越えた後スープを食べながら良い思い出だと笑っていたのだ。


 だがその嵐が原因で船団を組んでいた船が故障し、途中の島で修理をする必要が出来た。本来ならそこで修理を待って一緒に行くべきだったのだ。だが、新大陸まで目と鼻の先だという事実と、少しでも早く着きたいという欲に囚われて致命的な失敗を犯した。

 到着が遅くなるのを嫌って、自分は他の船を置いて先行する決断をしたのだ。


 いや……そもそも旅に出たのが間違いだったのか。


 疲れ果てて目を瞑ると、ここに拘られる前の地獄が色褪せずにフラッシュバックする。


 砲撃を受けて音を立てて倒れるマストに何人もの船員が下敷きになった。鉤縄を船縁にかけて乗り込んできた海賊達に、乗り込んでいた護衛達も必死に抵抗したが、不意打ちを受けたせいで手も足もでなかった。


『何かあっても守ってくれるんだろう?』


 身の安全に対して無頓着だと嗜められた時、そう言って笑い飛ばした自分の愚かさに臍を噛む。

 自分の軽率な発言の通り、生真面目な彼は身体を張って護ってくれた。彼よりも強い人間などそういないのに、足手まといの自分に傷一つ負わさないように無理を重ねて立ち回った。


 自分を護ってずたぼろになって、海の上の狭い船の中、逃げ場もないのに執拗に自分を狙う海賊達から逃げ、船倉まで自分を連れて行って鞘ごと剣を渡された。


「これでご自身をお護りください」


 失血で息も上がって、利き手も満足に動かせず、視線だってまともに合わなくなっていたのに、いつも通りの口調でリヒャルトははっきりと言った。


「リヒャルト……私にどうしろというんだ。これはお前の物だろう。護ると約束したじゃないか!」


「申し訳ありませんが、重すぎてこの剣をもう振れそうにありません。基本は覚えていますね」


 これぐらいならまだ扱えますから、と懐から短剣を取り出してみせて、彼は眉根を寄せた。


「与えられた役目も果たせない情けない臣ですが、最期に一つ願いを聞いてください。エリアス様」


「最後、というな。一つと言わず全部言え。私を情けない主にするな」

 泣きながら言うと、震える指で涙を拭われ、厚い掌でエリアスの顔貌を確かめるように触れられる。


 無骨な顔に浮かんだ透明な微笑みはかつてないほど優しい。何もかも悟った顔でリヒャルトははっきりと告げた。


「生き延びてください。あと何人狩れるかわかりませんが、出来る限り減らします。あなたが生き残る事だけが私の望みです」


「そんなもの、願いじゃない。私の事を心配してるだけじゃないか。だが、お前が望むなら生き延びると約束する」


「ああ、一つでなくていいのならば、ケインの事をよろしく頼みます。大人びてよく出来た子だが、それでもまだ子供なのです。我々の祖先は山岳の土着民でメルシアでは異質だ。疎まれる事も多い。辺境の護りと、護衛としてついた王族の威光でなんとか立場を守ってきた家門だ。他の家族はともかく、王族に名を連ねてしまった彼は、今回の件で辛い目にもあうでしょう。あなたの子として、守ってください」


「守るに決まってる! すでに実の息子も同じだ。他に何かないのか?」


「それならば、誓いを破り、あなたをお護りできずに置いて逝くのをお許しください」


「それは、許さない。死なないで……私を護ってくれ」


「なんでも聞いてくれるんでしょう。……ああ、そろそろ奴らが来たようです。さようなら。必ず生き延びてください」


「リヒャルト!!」


 渾身の思いを込めて呼んだのに、彼は振り返らなかった。船倉の扉が閉められ、怒号と銃声が聞こえて、剣撃が続く。恐怖で砕けてしまった腰を持ち上げることも出来ずに、ただリヒャルトから渡された剣を抱きしめる。


 やがて音が消え、船倉の扉が開けられ何かが投げ入れられた。


「……リヒャ……ルト?」


 彼の赤毛は飛び散った血飛沫で一段濃い色に染まっていた。そして、開いて淀んだ瞳孔は彼がすでに命を落としたと告げている。


 彼に這い寄って手を伸ばし、まだ暖かい頬に触れたところで、差した影にエリアスは動きを止めた。


「これがメルシアの至宝か」


 カンテラの明かりに目を細めると、扉を覆うほどの巨躯がそこに立っていた。片目は完全に潰されて血が滴っている。


「なるほど、目を一つ持ってかれたが、釣りが来るな」


「あ……」


 もつれる手で剣を抜こうとしたが抜けるはずもない。あっさりとそれを取り上げた男は部下にそれを投げ渡した。


「良さそうな剣だ。端金にはなんだろ」


「たす……けて。しにたく……ない」


 抵抗する手段を奪われたエリアスは躊躇なく男にすがりついて命乞いをした。

 情けなくてもなんでも、『生き延びろ』と言われたから。矜持もなにもかも、生き残るために不要ならば捨てるしかない。

 男の大きな手がエリアスを床に留めて着衣を剥ぎ取り、手下と思しき海賊にそれを投げ渡す。


「姿の似た死体に着せて顔を潰して海に流せ」


 殺戮の後のぎらついた興奮を湛えた男の舌に首を舐められた。

 けだものが味見をするようなその動きにエリアスの身の毛がよだつ。


「本来なら皆殺しだが、下手な女よりもそそんじゃねぇか。死にたくないなら楽しませてみせろ」


「なんでもする! だから……!」


 殺さないでくれと紡ごうとした顎を手で押さえられ、口腔を蹂躙されて、苦しさと気持ちの悪さに男から逃れようともがいて顔を背けると、リヒャルトの濁った眼窩と目があった。


『生き延びて下さい』


 再び彼の声が聞こえた気がして、エリアスは抗うことをやめた。生き延びる事を呪いの様に心に刻みつけて、嫌悪しか湧かない蹂躙に抵抗せずに身を任せる。

 気を失いかけたところで海水をかけられて汚れを流され、荷物の様に抱えられて男達の船に連れて行かれ、足腰も立たないのに鎖つきで船底にある檻に放り込まれた。


「私はどうなるんですか?」


 しばらくして、再び檻にやってきた隻眼の男に尋ねると、男は馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「国に帰してもらえませんか? 相応の金品はお支払いできます」


「そんな危ねぇ橋渡れるか。お前は海賊諸島で売っぱらう。あっちの具合は相当なもんだ。安心しな、高い金で買ってくれるとこに売り飛ばしてやるから。王子サマ、いや、これからはお姫サマになるのかな?」


 娼婦を姫と呼ぶ事があるのに絡めて嘲られ、ついでのように組み敷かれる。


 メルシアの至宝や宝玉、美術品、芸術品などと嬉しくもないあだ名で呼ばれていた。

 もしも女だったらその美貌を得るために国を滅ぼしたかもしれないと冗談混じりに言われた事もあるし、交渉ごとで他国の王に関係を迫られ口先で躱した事もある。男女問わず愛を乞われた事など多すぎて覚えていられない程だった。だが、実際にこうやって劣情をぶつけられるような状況に陥った事はなかった。


 それは単に立場に護られていたのだ、と今ならば分かる。手を出せば物理的に首が飛ぶ人間に、許可も得ずに不埒な振る舞いをするほど胆力のある者がいなかっただけだ。


 この獣のような男に侵食されるごとに今までの穏やかな生活で築いてきた全てが壊れていく。

 だが、生き延びるという彼との約束がある。それを果たせれば自分の最低限の矜持は守られる筈だ。

 虚ろに媚びた微笑みを浮かべ、卑屈にエリアスは礼を述べた。


「命を助けてくださるんですね。ありがとうございます。どうぞ好きにしてください」


「生き汚え奴だ。お前みたいな腰抜けがメルシアの次の王だったとはね。こんな面倒な搦手じゃなくとも、国ごと潰しちまった方が早かったんじゃねえのか」

 

 まるで誰かに仕えているかのような男のノーザンバラ訛りの言葉に違和感を覚える。


 だが、エリアスはそれ以上の事に気が付けなかった。いつもの彼であればその一言でノーザンバラ帝国の謀略を嗅ぎつける事が出来ただろう。だが、ここまで起きた出来事で彼の持つ思慮深さや洞察力といった物は蓋をされてしまっていたし、男に激しく蹂躙されてもう何も考えられなかった。

 細い悲鳴しか口から出てこなくなった。


 ただ、気がついても気がつかなくても、何一つ変わらなかっただろう。


 エリアス自身が持っていたものは、名前も地位も家族も一才合切奪われてしまったのだから。


お読みいただきありがとうございます。評価ブクマお待ちしています。

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