赤狼
書き溜めている分が減ってきたので、しばらく毎日1話更新予定です。
「はじめて見る顔だな。ウィステリアは?」
身支度する為に寝室に戻ったアレックスと入れ替わるようにして、廊下側のドアからノックもせず部屋に入ってきた男が誰なのか予想をつけて、ランスはおざなりに礼を取った。
「アレクですか。部屋で身支度をしてくると奥の部屋に戻りました。私は新しく入った私掠船の船員です。よろしくお見知りおきを。総督閣下」
煽るような気持ちでアレックスのことを愛称で呼ぶと、その瞬間、男の細い眉が不快げに吊り上がる。
その神経質な面差しと、背は高いが痩せぎすといっていい細身は蜥蜴を彷彿とさせる。
「マーティンの息子が入ったと聞いているが、お前か?」
どうりで腹立たしい顔をしている、とぶつぶつ一人呟いているリベルタ総督の経歴を頭の中から呼び出し、ランスは唇を歪めた。
ヴァンサン=ガイヤールはメルシア近隣の小国の下級貴族だった。
その国の外交官の補佐としてメルシア旧王国に赴任したのは第一王子が外遊に出る直前のことだ。
その後ヴィルヘルムが王位につき、その小国に牙をかけた際、祖国に戻って貴族達を切り崩して連合王国への恭順に力を貸し、その功をもって伯位に叙されてリベルタ総督に任じられた。海賊嫌いの王に従って温情もなくそれらを処し、また、私掠船団によって得た莫大な富で国庫を潤すよく出来た忠臣と評判だった。
「はい、閣下。私の義兄を迎えに来ました」
「兄! ウィステリアを兄と呼ぶとは厚顔な野良犬め。お前の父は彼を金で無理やり身請けて、盗んだんだ! そのせいで彼はいらない苦労をしている。私が私掠の許可を取り付けなければ今頃生きていたかも怪しいんだぞ!」
「それはそれは。父と義兄に代わり謹んで御礼申し上げます」
慇懃に言うと怒りで頬を染めた総督がランスの胸倉を掴んだ。
「ウィステリアに乞われて温情を与えているに過ぎない事を学ぶんだな」
柔らかな動きで胸ぐらを掴まれた手を外して深々と礼を取る。
それは先程と違って文句のつけようのない完璧なもので、ヴァンサンは毒気を抜かれたようにランスを見つめた。
「申し訳ございません。浅薄な痩せ狼ゆえ、総督の意に添える自信はございませんが、肝に銘じておきます。ところでアレクが昨日着ていた礼服は総督のご趣味ですか? 素晴らしいですね」
「ほう……あれの良さが分かったのなら、君はあの下品な父親より多少はマシだな」
「メルシア旧王国の宮廷で、昔流行した形ですね。美貌で鳴らした時の第一王子があの色とデザインを好んで着ていた事で宮廷で爆発的な人気になったと記憶しております。あの形は流行遅れと見る向きもありますが、アレクが着るとそう見えません。彼の為に生まれてきたようなデザインだ」
「よく知っているな。仕立て屋でもしていたのか? だが彼によく似合うだろう。わざわざ本国の職人に作らせたのだ」
「ええ、あれを着た彼は、まるで美術品……いえ、宝物……いいえ、それですら足りませんね。至宝と言って過言じゃない」
多少は訝しげだったものの昨日アレックスが着ていた服を褒められて気分良さげだったヴァンサンの顔色が、あえて強調した一言で白く醒めた。
「至宝……」
「ねぇ、総督」
ランスはヴァンサンの肩を悲鳴をあげるに至らないぎりぎりの強さで掴んで、耳元に唇を寄せた。
「先ほど見た彼は貴方の欲にまみれてましたが、さぞ燃え上がったんでしょうね。新しい服が必要になったと言うことは、昨日の服は着られない状態にでもなりました? 感想を聞かせてもらえませんか」
「お前は、何者だ? マーティンの息子ではないな」
恐怖に震える様が滑稽で怒りを覚えた。ヴァンサンがこちらに赴任したのは全てが終わった後だ。だからヴィルヘルムが彼の生存を知ったところで確かに何も変わらない。むしろ死んだはずの兄王子が出てくる事で混乱が巻き起こっていたかもしれない。だがそれでも……。
「正解。マーティンとは眼の色がたまたま同じだけだ。気がつかなかったか。俺が誰か、先ほど名乗ったも同然だが。それよりも質問に答えろ。──様を囲い込んで、恩を着せながら思うさま凌辱するのは楽しかった?」
小さな呟きで伝えた名に、ヴァンサンの喉が笛の様な音を立てた。まだ平静を保とうとする胆力があるのは都合がいい。
「彼に苦労させたくないなら、本国に連絡すれば良かったのに、それをしなかった。マーティンよりなお悪い」
「メルシア王国に赴任した時、遠目から見た彼に、一目で恋に落ちたんだ。高貴で清らかで美しくて……せめて彼の仇をうちたかった。陛下に従いその褒賞でリベルタに赴任してみたら、娼館でウィステリアを見つけた……これを運命と言わずになんと言う?」
身を捩ってランスと距離を置いたヴァンサンが叫んだ。その声には恐怖を凌駕した狂気と執着が滲んでいる。
「お前は知っていながら彼を貪りたいが為に隠していたんだ。メルシアの至宝を掠め取った薄汚いトカゲめ。お前と海賊と何が違う」
にちゃりと湿った笑いを浮かべて男はそれを認める。
「ああ、そうだ。運命が、彼を私に与えてくれたんだ! だから、私は彼を本国から秘匿した。誰にも渡したくなかった……!」
「薄汚い独占欲には共感しなくもない……が、さっきも言ったろ? お前の秘密は『狼』にバレたぞ。さあどうしよう?」
「せき……ろうか! ほんとうにいたのか」
狼という単語に男の手が震え、狂気が再び恐怖にすり替わる。赤狼団は庶民や外国人にとっては単なる傭兵団に過ぎないが、メルシアの貴族、特に後ろ暗い所と関わりがある者たちは、『赤狼』と呼ばれる存在が単純に赤狼団員を表す言葉ではない事を噂で知っている。
メルシア連合王国の暗部を全て掌握する存在。王直属の密偵にして手を汚す存在だと。
腰が砕けてその場にしゃがみ込んだヴァンサンを立ち上がらせ、ソファーに座らせると、ランスは優しげに手を握る。
「おっと、すこしカッとなって驚かせすぎたようだ。俺は別の任務で定期船に乗っていただけで、お前を粛清に来たわけじゃない。偶然アレックスに助けてもらった。運命的だろう? だから恩を返すために、俺も彼を助けたいんだ」
八つ裂きにしてやりたいと思う感情をランスは抑制したらいつかはヴァンサンを潰すにしても、今ではない。あの人の努力を無駄にできないし、それを差し引いてもヴァンサンは理想的な駒だから、使い潰せるだけ使い潰すにかぎる。
「実のところ、俺が本来の任務外に関わってると知られると面倒でね。あの方に今後も二心なく見返りもなく尽くしてくれるなら、今までの罪には目をつぶるし、身体の関係以外は今の状況を維持できるよう取り計らおう。悪くない落とし所だと思うが」
「ほ、ほんとうか?」
「安心してくれ。俺も子供の頃に見た彼の姿を見て憧れた一人だ。だからあの人の害になる事はしないと約束する」
ランスは口先を弄しながら、お前の害になる事はしないとは約束できないがな、と心の中で嘯いた。
お読みいただき、またブックマークありがとうございます。引き続き評価ブクマお待ちしております。




