正体
本日二話目の更新です。一話目からお読みください。
「化粧品なんて誰が使うんだ? ジーノには早いだろ」
部屋に持ち帰ってきた箱を覗き込んだランスにアレックスは答えた。
「ジーノ用じゃない。枯れた花には虫もたからないからな」
よく分からないという面持ちで、中に入った瓶をレジーナに見せてやるランスに説明を重ねる。きっと自分は苦虫を噛み潰したような顔をしているだろう。
「さっき、総督からの召喚状が届いたろ。定期船を沈めた海賊について申し開けとさ。下手を打てば首が飛ぶ。物理的には括られるんだけどな」
軽口を叩いて笑ってみせると、ランスもレジーナも困惑を強くして眉根を寄せた。
「この間、海賊を掃討して神聖皇国の連中とも話をつけたのにか? こちらが原因ではないと分かってるなら関係ないで押し通せるだろ」
「総督は俺の昔の客だ。金払いは最高だったが、面倒な男でな。ここしばらく避けてたんだよ。神聖皇国の奴らを紹介した時も付いて行かなかったのが、我慢の限界だったんだろう。召喚状は名目で、拗ねて呼びつけてきただけだ。そろそろ頃合いだと思ってたし顔を出そうと思ってな。あいつは俺の髭面が嫌いなんだ」
「公私混同甚だしいな……」
「まあな。ただ役に立つ男なのは間違いないから、ご機嫌伺いに行ってくるさ。明日の午後まで帰れないと思う」
「そうとくに会いに行くのにお化粧するの?」
「偉い人の前に出るときはみんな身なりを整えるだろ。俺もちゃんとすればそれなりなんだよ。驚くなよ」
浴室を長い時間塞ぐことに断りを入れて、苦労して伸ばした顔を隠す髭をあたり、石鹸を泡立たせた風呂で体の隅々まで徹底的に清めると髪に香油を染み込ませて、顔にパックまでして浴槽に浸かる。
たっぷり時間をかけて温まると、全てを落として風呂を出た。
新品の下着の上から薄手のローブを肩を抜いて羽織ると、浮かない程度に白粉を塗って肌艶をよくし、目元を紫の色粉で染めて陰影をつける。唇もかさつきを抑え血色がよく見える蜜紅を塗って、髪の毛は傷んでいる部分をばっさり切って後ろに流し、油で整え、額を見せる。爪も油をつけて綺麗に磨くと背筋を伸ばして見た目を確認した。
「多少は見られるか」
昔のようにはいかないまでも、ならず者感は形を潜めただろう。腰骨と耳の後ろに抱きしめたら香る程度の香水をつけるとアレックスはローブをしっかりと羽織り直して腰紐を結ぶ。
ドアを開けると朝食を終えて本を読んでいたレジーナと剣の手入れをしていたランスの視線がこちらに向いた。
「……なんだよ。どうだ? 見違えたろ」
呆然とした顔で二人はアレックスを見つめ、ランスに至っては剣を取り落とした。
「アレク? だよね? すごい! きれい! パパに似てたのはお髭だったのかな?」
「すまないな、こんな格好で。今、服も着るから。ちゃんと着替えたら王子様にだって見えると思うんだが」
パチリとウィンクしてやるが、キラキラとした瞳で自分を見上げるレジーナと対照的にランスは青ざめた顔で剣を拾うでもなくただ呆然と虚空を見つめていた。
「おい、ランス、大丈夫か?」
足を止めて剣を拾って差し出すが反応がない。
「ランス?」
その様子をやはり不審に思ったのか、レジーナがランスの服の裾を引いた。
「どうしたの? ランス」
「ちち……!」
「乳?」
「あ、いや! そのち、違いすぎて驚いただけです!」
「そこまで驚かれるとショックなんだが……」
剣を渡すとランスは青褪めた顔で視線を外しながらそれを受け取り鞘に戻す。
「なんだよ? ありがとうじゃねぇのか?」
あまりの動揺ぶりにからかってみたくなって、ランスの顎に手を掛け視線を自分に誘導すると、目があった瞬間に抱きすくめられた。
「お、おい! ランス! なにすんだ! 痛っ!」
本当に肉のある身体かどうか確認するかのように力を込めた抱擁に戸惑いを覚える。
「なんだよ。幽霊でも見たような顔して、急に抱きついて」
「いえ、あの、その……そうだ! 亡くなった父に似ていたんです。すみません」
力を抜いて今度は壊れ物を扱うように何度も体を触ってから、ランスはやっと謝罪と共に身体を離した。
「父親が俺に似てるってことは、お前は母親似なんだな」
「そう……ですね。 よく母に似てると言われていました」
「……? なんで口調まで変わるんだ?」
「あ、いや、その。父を思い出したら反射的に崩せなくなって」
「親父さん厳しかったのか?」
「……いえ、その……そんなことは……ありましたね。亡くなるまでは剣も礼儀もそれはもう厳しくしつけられました」
「礼儀作法を教わるほどの家だったのに赤狼団に入ったのか?」
「没落したんですよ。父が亡くなって……俺もちょっと……やらかして、それで赤狼団になったんです」
ランスの剣技を見た時、護衛になってから身につけたにしては綺麗だと感じたのだが、騎士崩れの傭兵ならば納得だ。
第一いくら強くても、ただの傭兵を王族の護衛にはしないだろう。ある程度身元が担保できなければ危険だからだ。
まあ、結果裏切られてはいるが。
「そうか、なら、俺の事は父上と呼んでくれ」
冗談でそう言ってやると、ランスの顔がくしゃりと崩れた。
「……ちち、、うえ……」
絞り出すようにそう呼んで、ランスは耐えきれなくなったかのように浴室に駆け込む。追おうとすると、鍵を掛ける音が聞こえた。
「え……? おい、開けろ」
「少しだけ一人にさせてください」
「いや、それよりなんだってんだ? 大丈夫か?」
「父の事を思い出してしまっただけです。放っておいてください。あなたが出かける時には立て直すので、頼みます」
常にふてぶてしかった彼らしからぬ弱った声に、しばらく逡巡してアレックスは扉越しに声をかけた。
「分かった。出かける時に呼ぶから」
扉から離れると不満そうな膨れ面でレジーナがアレックスを見上げていた。
「ランスだけなんでアレクのことパパって呼んで良いの? 私もパパって呼ぶ!」
「冗談だったんだよ。まさかあんな反応されるなんてな」
予想外のことになってしまったと、アレックスはこめかみを掻いた。
「そうだ。レジーナ。服を選んでもらってもいいか?」
不満を逸らすためにクローゼットを開けて吊るされた服を見せるとレジーナは顔を輝かせる。
「こんなにいっぱいちゃんとしたお洋服があるのにアレクはどうしていつもシャツとズボンでおヒゲをたくさんはやしてるの」
「暑いのと強そうだからだな」
「たしかにこの島はあついね……」
強そう、という部分は綺麗に無視して、じっと顔とクローゼットを見上げたレジーナは、銀糸の刺繍がほどこされた藤色の長衣を指さした。
「これかなぁ。ぎんいろが涼しそうだし、目のところとも同じだから」
「なるほどこれなら文句のつけようがないな」
クローゼットの中の礼装のほとんどが総督からの贈り物だが、これは最初に彼が送ってきた物だったと記憶している。昔好んで着ていたデザインを彷彿として一度も袖を通したことがなかったが、今のタイミングならば効果的に機嫌が取れるだろう。
「いい服を選んでくれてありがとな」
クローゼットから取り出してハンガーに吊るされた一式を身につけ、姿見の前に立つ。
「横に並んでもらっていいか?」
不思議そうに横に立ったレジーナの頭を撫でると一度目を閉じて、覚悟を決めて姿見に映った自分とレジーナの姿を見つめた。過去の亡霊を見るかと思ったが、そこに映っているのはまごう事なくアレックスとレジーナで、アレックスは小さく息を吐いた。
「似合うか?」
「うん! ほんとに王子様みたい!」
はしゃいだ声の様子を伺うように細く開いた浴室のドアが再び閉まった事に二人は気がつかなかった。
浴室に閉じこもったランスが、外に聞こえないように口を塞いで、止めることの出来ない涙を流しながら嗚咽を必死に抑えていたことを。
明日は一話分更新予定です。評価ブクマ、お待ちしています。




