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前編

 大好きな姉が結婚すると母親が話しているのを偶然聞いてしまい、僕は家を飛び出した。

 姉は贔屓目なしでも美人で、愛嬌が良くて、すごくモテる。

 弟の僕はいつもそんな姉にべったりとくっついて回っていたし、シスコンの自覚はある。

 この村は子供が少なく、僕ともう二人、女の子がいるぐらいだ。

 姉とは年が離れていて、僕よりも九つも年上だ。

 僕の世話は母親に代わって姉がしていた。

 姉は子供の頃からしっかり者だったらしい。

 勉強も出来たし運動も得意で、天は二物を与えずとよく言うけれど、姉は神様に愛されたような人だ。


 僕はまだ十二歳で、姉はもう二十一歳。

 とっくに成人して自由に動けるはずなのに、姉は大学には行かず村からバスと電車で二時間近くかかる会社に就職した。

 家のことが心配だから、が姉の口癖だった。

 そんな姉に、合コンで知り合った彼氏が出来た。

 休みの日は街に出かけるようになったし、家でもよく彼氏の話をしていた。

 僕はそれを面白くない顔でずっと聞いていたわけだけど、まさか二十一歳で結婚するなんて思わなかった。

 心のどこかで、姉はずっと僕のそばにいてくれるものだと思っていたのかもしれない。


 分かってる。こんなの子供の癇癪だ。

 来年には中学に上がる男がするようなことじゃない。

 でも、姉が出ていくあの家にいることがどうしても嫌だったんだ。

 僕も着いていく、なんて。

 もっと小さかったら姉を困らせるわがままも言えたのかもしれない。


 夢中で走っていたらいつの間にか木々に囲まれていた。

 空は夜を見せ始めていて、不安や心細さが顔を出す。

 どうやら村近くの山まで来てしまったようだった。

 山には蛇が出るから近付いてはいけないと母親からも姉からもよく言い聞かされていた。

 だから今までは興味のかけらもなかったのだけど、闇に溶けるような不気味な姿に好奇心が刺激される。

 怖いもの見たさかもしれない。

 踏み入れてはいけない場所に入るような背徳感に気分が高揚した。


「うわぁ……」


 山の中は思った以上に暗かった。

 足元もよく見えないし、空から見守る月の光だけが頼りだ。

 ガサガサと草をかき分ける音がやけに大きく聞こえるほど、静かな空間だった。

 こんな獣道を歩いてどこにたどり着くというのか、僕はどこに行きたいのか。

 何も分からないまま、ひたすら前に進む。

 やがて開けた場所に出た。

 そこに出た瞬間、今まで聞こえなかった虫の声や風のそよぐ音が耳に入り、不気味さに拍車をかけた。


「おや? 子供のお客さんだ、珍しいね」

「え……」


 大木の下に、子供が座っていた。

 よっと声を出して立ち上がり、静かにこちらに向かってくる。

 どこか妖しげな雰囲気に思わず一歩足を引く。

 迷わず近付いてきたその子供は夜を切り取ったような黒髪が背中まで流れ、月の光を浴びて赤みを帯びた黒目をキョロリと動かした。

 クリクリとした丸い二つの目にじっと見つめられ、ここに居てはいけないような不安に襲われる。

 落ち着かない気持ちになり目を泳がせると、女の子はクスリと小さく笑った。

 

「おいで」


 歌うように誘われ、ゴクリと唾を飲み込んで僕は後を追う。

 さきほどまで女の子が座っていた大木の下まで来て、くるりと振り返った目はいたずらっ子のように三日月に細められていた。

 間近で見て、女の子の額にゴツゴツとした角が生えていることに気付く。

 額を突き破ったようなそれは鋭く尖り、夜の中で白く浮かび上がる角はとても作り物には見えない。

 ーー鬼だ。

 本の中でしか見たことのない生き物。

 人を食う、恐ろしい存在だ。


「……キミ、は……」

「ねぇ、ここ、素敵だろう。ーー明日も、来てくれるかい? この大木の下で、待ってる」

「え」

「独りぼっちはそろそろつまらなくなってね。話し相手がほしいのさ。さぁ、今日はもう帰りなさい、夜道に気を付けるんだよ」


 そう言って女の子が人差し指を立てると、そこに小さな火が灯る。

 ゆらゆらと揺れる灯りは風が吹いたら消えてしまいそうなのに、夜道を照らすほど明るい。

 火が道標のように僕を導き、灯りに着いていったら家の前だった。

 まるで狐に化かされたような気分だ。鬼だったけど。

 僕を送り届けたら闇に溶けるように消えてしまった。


「和……! 貴方こんな時間までどこ行ってたの!」


 玄関を開けて駆け寄ってきた姉を見ても、結婚して家を出ていくというショックは沸いてこなかった。

 母や父に叱られている間も、頭の中はずっとあの女の子のことでいっぱいだった。

 あの子は独りぼっちだと言っていた。

 鬼に仲間はいないんだろうか。

 独りぼっちで、あの暗い山の中で生きているんだろうか。

 そんな想像をしたら、少しだけ胸が痛くなった。


「やぁ、来てくれたのか」


 大木の下で座っていた女の子が、僕の姿を見るなりぱっと立ち上がって駆け寄ってくる。

 その顔は分かりやすいほど嬉しそうで、なんだか居心地が悪い。

 こんなにも歓迎されるとは思っていなかった。

 いや、でも。まだ油断してはいけない。

 だって鬼なのだ。人食いかもしれない。


「……キミ、本当に鬼なの?」

「ああ、そうだよ」


 僕の問いかけに女の子はなんてことないように頷いた。

 むしろ、なぜそんなことを聞くのだろうと不思議な顔すらしている。

 角があるし、見て分かるけどさ……。

 でも、人間そんな簡単におとぎ話みたいな存在は信じられないのだ。 

 本人が認めてしまったのだから、この子はたしかに鬼なのだろう。

 そして、本題とも言える質問を口にした。


「人を……食ったりもするの?」

「ん? ああ、まぁ、食うこともあるな。前食ったのは何十年前だ? ええっと……」

「い、いいよ、思い出さなくて」


 拍子抜けするほど簡単に肯定され、逆にこっちが慌ててしまう。

 子供らしい小さくぷくぷくと丸っこい指を二本、三本と立てて数え始めるのを言葉で遮る。

 人を食う、と聞いたのに、心臓は思ったより落ち着いていた。

 角が生えていること以外、普通の人間と変わりないように見えるからだろうか。

 僕と同じ年のように見えるのに、何十年前に人を食うほど年上のようだ。


 そう聞くと、途端にまとう空気が落ち着いたものに感じるのは気のせいだろうか。

 祖母のような穏やかで静かな雰囲気がする。

 話し方も少し変わっているというか、女の子というよりは男の子のような乱暴さを感じる。

 明るい場所で見ると、可愛らしい顔をしている。

 肌は白く透き通っていて、手足は折れそうなほど細い。

 背は僕より十センチは低いように思えた。


「ねぇ、何して遊ぼうか」

「え、遊ぶの?」

「え、遊ぶために来たんじゃないのか?」

「あ、いや……」


 自分でも、何で会いに来たのか理由はハッキリしていないのだ。

 人食い鬼だったら危険だって分かるのに、独りぼっちという言葉が胸に引っかかっていたからかもしれないし、村に子供は少ないから僕も話し相手がほしかったのかもしれない。

 それに、鬼だけどこの子は一緒にいてなんだか気が楽なんだ。

 姉のこともあって、家にいるのは息が苦しい。

 だから、逃げるようにここに来た。


「……何して遊ぶの?」

「そうだな、じゃあかくれんぼでもしようか。はい、じゃんけん」


 じゃんけんポン、で僕がグー。女の子がチョキ。

 負けたほうが鬼だと言うので、僕はかくれるために走り出した。

 本物の鬼が遊びの鬼をやるというのはなんだか可怪しい。

 木の隙間を通り抜け、どこにかくれようと辺りを見渡す。

 大木のある場所から少し下ったところに、くぼみがあるのを見つけた。

 迷わずそこに入って息を殺す。


「もーいーかい」

「も、もーいーよ」


 この声でかくれている場所がバレそうな気もするけど、お約束なので仕方ない。

 それに、周りを見れば背の高い木に囲まれている。

 草もかきわけるほど長く、かくれんぼをするには最適だ。

 しばらく待つと、ガサガサと草木のこすれる音がする。

 身を縮め、ドキドキと鳴る心臓の音が聞こえる。

 音が遠ざかっていき、ほっと息を吐き出す。


「あ、みぃつけた!」

「うわぁ!?」


 ヒョコッとのぞかせた顔に驚いて後ろに下がる。

 にんまりとイタズラが成功した満足げな顔に、むっと僕は唇を尖らせた。

 こんな絶好の場所に隠れたのに、どうして見つかったのだろう。

 それに、たしかに音は遠ざかっていたのに。

 女の子は僕に手を差し出し、その手を握って立ち上がる。

 

「何で分かったの?」

「ふふふ、私は鼻がいいんだ」

「え、なにそれズルい!」

「ふっふー、まぁ鬼である利点かな。さぁ次は私が隠れる番だ」


 そう言うと、走り出した女の子の姿はあっという間に木々の中に消えた。

 十秒数えた後にお決まりの「もーいーかい」「もーいーよ」のやり取りをして探し始める。

 三十分後。

 ゼェハァと荒い呼吸を繰り返す僕はその場に座り込む。

 あちこち探し回ったけど、山の中ということもあって傾斜が急で何度か転んだ。

 おまけに高く伸びた草木をかきわけ続けるのも地味に体力を使う。

 

「こうさーん。出てきてよー」

「ふふふ、どうやら私の隠れ技術に敗北したようですな」

「う……どこに居たのさ」

「ん、木の上?」

「はぁ!? なにそれズッル!」


 まだ息が上がっている僕をよそに、女の子は平然としている。

 思ったより簡単に見つかった僕とのかくれんぼはあまり楽しくなかったらしい。

 今度は鬼ごっこをやろうと言い出した。

 もう少し休憩させてと言うと、少し残念そうな顔をする。

 しかし今の状態で鬼ごっこをしてもまともに走れそうにないのだから、仕方ない。


 一度大木の下に戻り、地面に腰をおろした。

 さっき草むらに入った時に刺されたのか、手足のあちこちに赤い膨らみが出来ている。

 気付いてしまうとかゆくなってくるのだから、不思議なものだ。

 初夏の日差しはじわじわと熱を上げてくる。

 今日はまだ風があるし、日陰にいるからまだマシな方。

 これで日向で走り回ったらあっという間に汗だくだろう。


「ねぇ。そう言えばキミ名前なんていうの?」

「ん? んー……えーっと……」


 女の子は上を向いたり下を向いたり、視線をあっちこっちにさ迷わせ始める。

 んー、んー、と考え込むようにゆらゆら体を左右に揺らす。

 もしかして聞いてはいけないことだったのかもしれない。


「あ、言いたくないなら別に、いいけど」

「いや、自分の名前なんてしばらく聞いていないから、忘れてしまってね」


 名前を忘れる、なんてことがあるのか。

 普段家族や学校の先生から当たり前に呼ばれる名前を忘れるなんて、僕の中では考えたこともないことだ。

 それほど長い間、この子は自分の名前を呼ばれていないのだ。

 ーー独りぼっちはつまらなくてね。

 ずっと、独りだったのだろう。


「そっか……じゃあ、なんて呼ぼう」

「なんでもいいぞ。好きに呼ぶといい」

「ええ……うーん、じゃあ、鬼っ娘なんてどうだろう?」

「おにっこ? 鬼の子供か?」

「ううん、鬼の娘。安直かな」


 言ってから恥ずかしくなる。

 我ながらセンスがないと思う命名だ。

 もっと他になにかなかったのかと数秒前の自分に聞きたい。

 鬼っ子はまんますぎるから、せめてと捻りをくわえた結果が鬼っ娘だ。

 何も捻れていない。


「いいや、いい名だ。よし、これから私は鬼っ娘だ」


 ニコニコと嬉しそうに笑う姿に、気まずくなって僕はうつむく。

 ……そんなに喜んでくれるなら、もっとマシな名前を思いつけばよかったなぁ、とひどく後悔した。

 それに、鬼っ娘を名前と呼んでいいものかと首をかしげるしかない。

 次来る時までにもっといい名前を考えておこう。

 そう決め、体力が回復したので鬼ごっこを始めることにした。


 膝に力が入らなくなるほど走り回され、転びそうになりながらなんとか山をおりた。

 家に着く頃にはヘロヘロだった。

 帰ってすぐベッドに倒れ込んだ僕を心配そうな顔で母が見ていたけど、気にならないぐらい疲れている。

 布団に顔をうずめ、うとうとと眠気におそわれながら明日図書室に行こう、と考える。

 図書室に行けば名前の本とかあるだろう、多分。

 なかったらバスで三十分はかかる図書館まで行かなきゃいけないけど。


 次来る時までに、と決めたものの中々いい名前が思いつかない。

 結局名前が決まるまで鬼っ娘と呼ぶことにして、呼んでいるうちに慣れてしまった。

 頻繁に山へ行くとバレて怒られそうなので、曜日を決めて会いに行くことにした。

 火、金、日は遊びに行く日。ただし雨が降ったら翌日に会いに行く。

 鬼っ娘はいつでも来ていいと言ったけど、家族の目もあってそういうわけにはいかない。


「カズ、見ろこれ」

「わぁ、花?」


 帰り際、鬼っ娘が手に持ってきたのは白色の花。

 山に生えていたんだろうか、しおれることなく元気よく咲いている。

 花なんて気にして見たことがないから、なんの花かまったく分からない。

 じぃっと見ていると、ずいっと花を持った手を差し出される。

 

「やる」

「え、いいの?」

「ああ、カズにプレゼントだ」


 嬉しそうに口角を上げる顔を見て、こっちもなんだか嬉しくなる。

 しおれないようにそっと持ち、鬼火と言うらしい鬼っ娘の出す灯りに送られて家に帰る。

 拾った、と嘘をついてコップに水を入れて部屋に飾ることにした。

 机の上で小さな花が控えめに存在を主張している。

 たまに視界に入ると、鬼っ娘の笑顔が頭に浮かんで一人でふふふと小さく笑ってしまう。

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― 新着の感想 ―
[一言] けっして相容れない生き物が、それぞれの生態を崩さないままで心の絆が生まれている点が、とても印象的でした。
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