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あいまいな授業

今までの学校生活と、大学生活とで変わったことの一つとして授業の方式も挙げられるだろう。自分で選んで好みの授業を受けられるようになった。だがこれには欠陥もあるように思う。それはまずどんな授業か受けてみないと詳しいことがわからないということだ。シラバスを見ろという。そんな詳しいこと載ってないだろう、と言いたい。先生ごとにやり方違うし、大雑把にしかシラバスに載ってないし。私のとこは1回目の授業は体験みたいなもので、合わなかったら変えてよいという。だが言いたい、最初のそれは概要がほとんどで内容は全く分からない。内容がわからないというのは語弊があるかもしれないが、進め方がわからないというのだろうか、先生たちによってやり方が全く違うのだ。もっと体験的なものを増やすべきだと思う。


ここまで書いておいてなんだが、あいまいな授業というのは上記のことではない。私が言いたいのは、出てくる答えがあいまいなものが多い授業ということだ。

今までの義務教育、高校の授業はどちらかというと暗記に近いものがあった。やり方や答えを覚えて、どうしてそうなったかを考えるというものだっただろう。これらの授業は自分で選択したものではない。学校を選択したのは自分かもしれないが、カリキュラム自体は学校側がすでに決めていて、こちらはただそれをこなすだけだった。

大学の授業は違う。自分で選択するのである。ある程度まで受けると出てくる、答えがあいまいな授業。例えば哲学の授業だ。答えがない。いや、この言い方には語弊があるかもしれない、が、それを言うのも難しい。用語はあるのだ、これはある種答えだろう。だが、偉人達が言ってきた言葉から哲学を学ぶのにあたって色々な答えがある。というより考え方は人それぞれということでこれ!と断定できる正解がないというのだ。ビックリだ。私は哲学者の言葉にはかっこよさを感じるものがあって、好きな言葉もいくつかある。なのでこの授業を履修したのだ。概要を受けただけではこんな感じの授業とは思ってもみなかった。こんな感じで、出てくる答えに正解がない、あいまいな授業は哲学だけではない。それらの授業を受けると戸惑ってしまうのは私だけなのだろうか?


なんか愚痴というか、疑問というかを書いているだけだからか、自分でも何を書いているのかわけわかんなくなってくる。

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