another 7
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
自室のベッドで横になっている私に近寄ってきたシエナは、そう聞きながら私の額に手のひらを当てた。
あの場面を見てしまった私は、その後どうやって帰ってきたか覚えていない。気が付けば自分の馬車に揺られて、家に帰ってきていた。
ぼーっとして家に入り、そのまま自室に引っ込んだ私を母様は心配して、夕刻に帰宅した父様に相談したらしい。
慌てて私の部屋に来た父様に、具合が悪いのかと詰め寄られたけれど、私はそれに首を振って答えた。
少し疲れたから眠らせて欲しいと言ってベッドに入ったはいいけれど、頭にあの場面が過ぎり、まったく寝付くことが出来ずに翌朝を迎えていた。
「うーん、お熱はないようですね…」
「大丈夫よ、ただ寝付けなかっただけだから」
そう言っても、心配そうな顔をするシエナは、ならせめてお昼までお眠り下さい、とずり落ちかけたシーツを直した。
お言葉に甘えてベッドから出ないでいるのだけれど、眠気は一向にやってこない。
昨日の出来事が頭の中で回って仕方がない。
……………なんだったのかしら。
私を特別に思ってくれていると言ったロルフ様の言葉は嘘ではないと思う。でなければ、あんな優しい顔は出来ないはずだもの。
なら、昨日のはなんだったの?
オークリー様とロルフ様のデートだと、野次馬達が言っていた。
デートということは、やはりそれなりの関係があるということ。紳士的にエスコートしていたロルフ様も、その手を取るオークリー様も穏やかな笑顔を浮かべていた。
……………………どういうこと?
立場のみで考えた場合、私はオークリー様よりも下にある。つまり、婚約したときの利益はオークリー様の方が格段に良い。
オークリー様は知性的な美人で、控えめな性格をしていらっしゃるそう。スタイルも申し分なく、身分も良い。
それに比べ、私は引っかかっているだけの貧乏貴族で、性格には自信が無い。卑屈で高慢と言われる。見た目は金の髪に紫の目と、人目を引くものであるけれど、スタイルは…………胸は彼女に勝てないし、背もすらりと高いわけじゃない。
……………何一つ勝てない。
そんな私を娶るよりも、と彼女を推薦されたのかもしれない。でも。
でもそれなら、忙しいと嘘をつかなくても良かったのに。
手紙で、彼女とデートをする事になったと知らせてくれていれば、こんな気持ちにならずに済んだのに。
知っていれば、家から出なかったのに。
酷いわ、なんて思っても、それを言える立場に私はない。
私は彼の婚約者でも恋人でもないのだから。
ましてや、彼の周囲に勧められる人間でもない。
私も時期が迫っているけれど、ロルフ様だって適齢期。家や彼に条件の良い令嬢との婚約を進められててもおかしくない。
だからこそ、卑屈なことを考えてしまう。
ロルフ様が、中々答えを出さない私に嫌気がさしてしまったのではないか、とか。
私を捨てて、彼女を選んでしまうのではないか、とか。
そして面倒な性格をしている私は、自分で考えたその可能性に視界が滲んでいくのだ。
あぁもういっそのこと。
好きになる前に終わらせてくれていれば良かったのに。
やがて泣き疲れた私は、引きずられるように眠りについた。
そして、それから3日がたった。
私の中では、もう手遅れとなった感情をどう消化したものかと燻ったまま。
失恋で泣き続けても仕方がない、とどうにかいつも通りの生活をしようとしたのだけれど、気が付けば手が止まりぼーっとしてしまうし、夜は涙が流れるし、その泣き腫らした目で両親やシエナと会うのも嫌だし。
まったくいつも通りじゃないわね……。
赤くなった目元を、濡れタオルで冷やしていると、シエナが深刻そうな顔をして部屋に入ってきた。
どうしたのと問いかければ、彼女はその控えめながらも可愛らしい顔をくしゃりと歪めて。
「私、もう限界なのです。お嬢様が悲しんでいるのに、その原因も分からないなんて、お嬢様は話して下さらないし、なら私は何も出来ませんもの!」
一息で言い切った彼女の言葉は、きっと思っていたことを吐き出したもので、なんだかカタコトになっていた。
徐々に涙が滲んでいくそのオレンジ色の瞳を見て、私は慌てて彼女をなだめた。
「ごめんね、ごめんなさいね、シエナ。その…少し言い難い話なの。けど、私も一人で考えるのは辛くなってきて……聞いてくれる?」
「私はお嬢様のメイドです、お嬢様の為ならなんだって出来るんですよ、」
涙で掠れたその声が、荒んだ心に染み渡り、なにより嬉しかった。
その後、少し落ち着いたシエナに、4日前に見てしまった事と、私が考えていたことなどを打ち明ける。
その間、彼女は急かすことも無く、ただじっと私の前に佇んで聞いてくれた。
そして、全て話し終えた時、シエナは傷付いたような顔をしていた。
何か言いかけては噤んで、また口を開くけれど、音にはならず口を閉じて。そうしてやっと、彼女は一言だけ口にした。
「トラステッド様は、きっとそんな方ではございませんわ………」
その言葉に、どうにか笑顔を浮かべて返す。
私も、そう信じたい。だけれど、胸に突っかかった棘は、抜けることなくそこに有り続けていた。
そして数日後、シエナが泣きそうな顔をして、ある噂を持ってきた。
『ロルフ・トラステッドが婚約した』
当然、私は婚約を受け入れていない。
つまりは、そういうこと。
私は、何度目かも分からない「あぁまたか」という諦めを感じていた。
ただひとつ違うのは、その後に続く耐え難い胸の痛み。
私は、初めて婚約破棄されて涙を流していた。




