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another 2

 最悪だ。

 昨日兄の上司であろう人をぶっ叩いてしまってから、家に帰り我に返った。

 ………………………あぁこれは、本気でまずいのではないか。

 貴族の端っこの、それも分家。

 貴族というくくりに指ひとつで引っかかっているような立場の自分が、どう考えても上位だろう男性をぶっ叩いてしまった。

 最悪だ。ぶっ叩いてしまった私をぶっ叩いてやりたい。

 私が不敬罪で処されるならまだしも、兄や家族に迷惑がかかるのは本当に申し訳が立たない。

 真っ青になり、食事の準備をしていた母にどうしたものかと相談すると、母はあらあらまぁまぁとぽかんとするだけ。絶対ことの重要さを分かってない。

 あぁ兄さま。不出来な妹を呪ってください。

 父様。私の事などお捨てになってでもおのれを、家族をお守りください。

 そう本気で考えるくらいには頭がやられていたと言えるわね。

 日が暮れてから帰宅した父に相談した所、彼は泡を吹きそうな表情で話を聞き、全て聞き終えたところで「謝罪文をしたためてこよう…」と書斎に向かっていった。

 その時、書斎から「私の大切な妖精が……なんてことだ…………そんな……」との呟きが聞こえてきていたと、後の母は語った。

 ちなみに、荷物を殴られた本人から受け取ったかもしれないし、荷物を受け取ることすら出来なかったかもしれない兄の生存確認はまだ行われていない。


 それまでが昨日の出来事。

 しかし昨日は昨日、今日は今日と割り切れるような思い切りのいい性格をしていないため、私はたまった洗濯物を干しつつ何度目かのため息をついた。

 本当に私はなんてことをしてしまったのかしら。

 残念ながら数々の夜会をこなしてきた私でも、あの方の顔は見たことがなかった。

 あの歳でデビュー前はないだろうから、余程の夜会嫌いか、おそらくもう婚約者がいらっしゃるのだろう。

 それだと言うのに。

 申し訳ない。しかし、申し訳ないものの、引っぱたいた事、それ自体には後悔していないのだ。

 だってそれをされるだけの事を口にしたと思う。相手が私の事情を知らなかったとしても、罪となることもあるのだ。


「はぁ………」


 もう二度とあそこには行きたくないわね。

 たとえ大好きな兄に呼ばれたとしても。

 そうやって憮然とした表情で洗濯物を片付けていると、メイドの一人が大慌てで駆け寄ってきた。


「お嬢様!!」

「どうしたのよ、そんなに慌てて」


 このメイドはいつも落ち着いて、毅然と構えているのだけれど、何故こんなにも慌てているのかしら。

 息を整えた傍から、彼女は私の手を引っ掴んで。


「お客様です。それも上流の」

「……あら……………………」


 上流のお客様ですって。

 まぁ、こんな貧乏貴族になんの御用かしら。

 どなたか存じ上げないけれど、今それどころではないのよね。最近社交界には出ずっぱりだったから、どこから人が来てもおかしくはないのだけれど。


「お嬢様には、昨日の男と言えば伝わるだろうと仰っておりましたが……」

「………」


 バシャン、と音を立てて、せっかく洗って絞ったシーツを洗濯桶の中に落としてしまった。あぁ、やり直しだわ。

 今会いたくない、むしろ金輪際会いたくない人ナンバーワンが、昨日の今日でいらっしゃったらしい。

 本当に会いたくない。顔を見たくない。精神的に、身分的に。いたたまれなさ的に。

 そのままおかえり願いたいところだけど、身分的にそれも良くない。さぁどうしたものかしら。

 結局、私は数秒の葛藤の上、諦めて、お客様を応接間に通すようにとメイドに告げた。

 彼女が案内してお茶を用意しているあいだ、さっさと自室に引っ込む。

 今着ているのは、およそ令嬢と呼ばれる女性が袖を通していいものではない。

 メイドたちとはまた違う生地や縫い方ではあるものの、パッと見で、大した違いはない。お客様の、それも上流の方に会う時に着てていい服ではないのだ。

 しかし無駄にしっかりとしたものを着て、時間がかかるのはよろしくない。結局、華美でない無難なドレスに袖を通した。

 いそいそと応接間にむかい、扉を開けると、そこには銀の髪が印象的な男。

 振り向いた瞳には赤が埋め込まれ、女神のように整った顔立ち。

 紛れもない、昨日引っぱたいてしまった隊長だった。






 今仕事で出ている父の代わりに、私の隣には母が腰掛け、目の前で優雅に紅茶を飲んでいる男性を見つめる。

 まぁ綺麗な人ねぇ、と入ってきた時に零していたが、まさか見とれている訳では無いわよね。やめてちょうだいな。

 一方の私といえば、顔面蒼白のまま全く身動き出来ずにいた。

 ………これから何を言われるのやら。聞きたくない。しかれど聞かねばならないことも分かっている。でも聞きたくない。

 グルグルと思考回路を回していると、目の前の男性がひとつ息をついて、ティーカップを置いた。

 その仕草で、私と母の視線が彼を向く。


「突然の訪問、お許しください。何分急いでいたものですから」


 昨日も聞いたけど、本当に見た目と相違ない美声だこと。澄んだ響きながらも、男性としての魅力も感じる。言い方を変えれば、色気がある声。

 その声を受けて、母がふわりと口を開く。


「いいえ、構いません。ただ、特別なお菓子などは何も用意できていませんの。それでも良ければ、おくつろぎいただけると嬉しいですわ」


 昨日の私の失態を知り、それをやらかした相手とも知っているのに、こういった時の母は本当に頼もしいことこの上ない。

 そんな母の言葉にひとつ頷くと、男性は改めて、と腰を上げた。

 それを受けて私が席を立つ。それを見てから、彼は右手を胸に当てた。


「私はロルフ=トラステッド。王族騎士団に所属しております」


 まぁ、と横で感心するのはいいのですけれど母様?

 この人今トラステッドって言いました?

 ………………………………まさか、ですわよね?


「驚きましたわ。まさかトラステッド侯爵様の嫡男様でしたなんて」


 しれっと言ってのける母様。あぁそうですわよね、やっぱりそうですわよね!

 トラステッド侯爵。まさか侯爵の爵位を持つ人を引っぱたいていたなんて!

 私の本家が持つ爵位は男爵。しかし本家が持つものであって、本当は引っかかっているかもあやしい男爵。

 ……あぁ本当にやってしまった。

 私が、昨日のことを謝ろう、しかしどうやって切り出したものか。変に切り出してまた気を損ねてしまったら、なんて考えて何も動けなくなっている中。

 俯いていた顔に、影が降った。

 ふと顔を上げると、1歩前まで迫ったロルフ様。

 その冷たい視線を向けられて、悲鳴をあげなかったのを褒めて欲しい。

 カチンと、まるで氷の彫像のように固まった私の手を取ると、何を思ったか、彼はそっと私の前に跪いた。


「突然で申し訳ない」


 そう前置きした彼は、相も変わらず固まる私の手を撫でて、そっと、自然にその右手の甲に、キスを降らせた。

 その行為に復活しかけた私は再びカチンと固まる。

 微かな音を立てて離れたその形のいい唇は、私を見上げて開かれる。

 ルビーの瞳に見つめられつつ紡がれた言葉は。

 想像もしていなかった。






「ヴィオラ=マーロン嬢。どうか私の妻になっていただけませんか?」





「…………………………………え?」









 あぁお兄様。私の騎士様。






 どうか助けてくださいませ。




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