禁術
長い階段を一段登るごとに身体中が悲鳴を上げる。骨が軋む音がして、ナイフで貫かれたような、耐え難い痛み。
けれど、それを受けてなお、アレンの足が止まらなかったのは、おそらく彼女と彼への罪悪感からだろう。
彼女を助け出そうとしておいて、更に危険な状態へと導いてしまった。
彼をあそこまで追い詰めたのは、元をたどれば自分なのだ。せめて、この手で止めなくては。これ以上、取り返しがつかなくなる前に。
そのとき、ふと自分より前を行く男の足が止まる。
それにようやく追いついて、壁にもたれるように手をつく。レイの前には重厚な壁。紛れもなく、この塔の最上階へと続く扉だ。
ただ、鍵は内側からかけられるもので、その鍵はイオが持っているものが唯一だ。
魔術で爆破させようにも、今のアレンの腕には、魔力が集まってもすぐに散ってしまう。
情けなく震える腕を持ち上げた時、レイの右足が上がった。
そして、助走をつけて蹴り上げた扉は、鍵が軋む音がするものの、壊れる様子はない。
手を貸そうと壁から離れると、レイが再び足を上げる。今度はより助走をつけて。
しかし、突然彼の動きが止まる。なんだろうかと眉をひそめて彼の視線を追うと、扉の下、僅かな隙間から黒いモヤが湧き出ていた。
その異様な気体で、濃厚な魔力が渦巻いているということに気がつくと、途端に全身の力が抜けそうになった。
……遅かった。彼は、飲んでしまったのだと直感した。
早く、リィゼだけでもと扉に手を伸ばしたアレンの前で、レイの足が動いた。
直後、大きな破裂音とともに扉が叩きつけられるように開く。
まさかこの重厚な扉を蹴破るとは、とあ然と崩壊された扉を見つめる。
かろうじて壁にくっついているが、それは半分崩れ落ち、ぐにゃりと変形していた。
…もしこの蹴りが人間に当たっていれば、運が良くて骨折、打撲。最悪死ぬだろうことは予測がついた。
扉を蹴破った瞬間、眼の前に飛び込んできたのは、怯えて膝を抱えるリィゼと。
赤い目を血走らせて、黒い霧に包まれたイオの姿。
異様な彼の前には、鉛のような球体。そこから黒い気体は溢れ出していた。それにより、球体がもとは透明なものだったと気がついて、なお恐ろしくなる。
元々色の濃い魔力をもっていたとしても、黒という色の魔力は、存在しないはずなのだ。ただ一つ以外は。
「リィゼ!!!」
レイが声を上げ、彼女に駆け寄ろうとする。
しかし、その瞬間、レイの目の前に黒煙の壁が出来る。それを蹴りひとつで粉砕させたレイは、視線をイオに移した。
「邪魔、するな…!!!」
そのとき、イオの腕が割れた。
文字通り、割れた。肉が裂けるように割れ、そこから鱗のようなものが覗いている。
パキパキと音をたてて鱗が全身に広がるイオは、それを見て、笑みを浮かべた。
「すごい、すごい!!禁術は成功だ!!」
禁術。イオの言葉に、やはりかと目を閉じる。
先程、リィゼをさらっていった時に自分に浴びせかけた大気の質量をあげ、圧をかける術。あれは元々の彼の魔力ならば、せいぜい自分の膝をつかせるのが限度だったはずた。
しかし、 実際は倒れ込み、指一本動かせない状態になり、それによる骨と身体の歪みにより、今も足がおぼつかない。
それだけの魔力を使ってさえ、彼は平然と彼女を抱えて立ち去った。
あのときから、禁術に手を染めていたのだろう。
『他人の血を取り込み、魔力を増やす』
それは昔、よく使われていたものであるが、他人の魔力とも等しい血を取り込むのは、身体にひどく負荷がかかるものだった。
自分に適応しなければ、その魔力は身体の中で暴れ周り、内側から食い潰される。
しかし、適応できれば、他には手に入らぬ膨大な魔力を手に出来る。
それを求めた魔術師たちが、こぞって魔力持ちの奴隷や平民、時には同業者から血を受けて、飲み込んでいた。
しかし、その多くは悲惨な最後を遂げた。
あるいは、魔力が尽きた瞬間に耐え難い痛みを伴い、のたうち回って死に。あるいは精神が崩壊し、自ら命を絶った。あるいは………人ならざるものに変化し、自分が誰かすら分からなくなった。
鱗に覆われた彼の姿は、まさしく、その人ならざるものである。それを、イオも分かっているはずであるのに。
嬉々として鱗を撫で続けているイオは、おそらくもう正気ではない。先に、精神が崩壊された。
「…………どう、すれば……」
怪物と化した者達は、どうなったか。たしか、多くは死んでいったが、少数は戻ってきたのではなかったか。
何故、何故戻れた?その差は…?
痛みで動かない頭を手で抑えると、レイが動いた。
腰に下げていたサーベルを抜き放ち、イオに向かって突き立てた。
「っ、かは……っ!!」
意識が他に移っていたイオは、呆気なく心臓を貫かれた。
そして、レイがサーベルを抜くと、血を吐いて地面に倒れた。
レイは、それを見ても、動かない。
一瞬の事で、息が止まってしまう。まさか、そんなと否定してみるものの、イオは動かない。
「…そん、な」
助けたいと、止めたいと思った。自分の手で、引き戻してみせると。何度も困らされたが、結局は大切な弟だったのだ。
アレンの膝が崩れる。そこに座り込んでしまう。動かないイオを、屍体として動かすことは出来る。しかし、それをすれば自分の何かが変わってしまう気がした。
項垂れるアレンの耳に、奇怪な音がした。パチパチと、火の爆ぜる音。そして、気体の漏れる音。
顔を上げたアレンが見たものは、イオの周りを取り囲む黒煙。その霧から漏れる赤い炎。
動けないのは、アレンだけではなかった。
イオを貫いたレイも、隅で縮こまっていたリィゼも縫いつけられたかのように、動けなかった。
そして、少しの時間は後。
霧の中から、ゆらりと立ち上がる影。
血走った目をギョロリと回した、イオの姿だった。その胸には、貫かれたなど嘘だったかのように傷がなかった。
「……やはり、死にはしないか」
レイの呟きが聞こえ、そちらにイオが目を向けた。
「………お前なんかに、負けてたまるか…!!」
そう吐き捨てたイオは、手を振りあげる。勢いよくそれを振り下ろした場所から、洪水のように水が溢れ出た。
飲み込まれる寸前に身を引いたレイの手にはサーベル。
しかし、イオは何度刺されようが再生する。魔力が尽きるまでは。どう考えても、レイが劣勢だ。それに。
もう、兄弟が倒れ込むのは見たくない。
アレンは心を決め、地面に魔法陣を描き始めた。




