森の奥
馬を走らせつつ、レイは懐に手を入れた。そこからコンパスを取り出すが、邸で見た時と変わらずにぐるぐる、まるで磁気が狂ったようだ。
再び舌打ちをするレイに、何とか並走するロルフが、怪訝そうな顔をした。
「何だ?その役立たずは」
この質問に対して、答えてやる義理はないのだが、何故かレイは素直に口を開いていた。気を紛らわせたかったのかもしれない。
「リィゼのブレスレットに繋ぐ魔術を付加している。ブレスレットが壊された時、もしくは彼女の元を離れた時に俺を強制的に転移させるものを」
「げぇ!そんなの付けてんのかよ!それ、リィゼは知ってんのか?いや、いい。聞きたくない」
yesが出るはずもない口から答えを聞きたくないのか、ロルフとは逆に並走する男が手をひらひらと振った。
ロルフはといえば、言わずもがな、気味の悪いものを見た、とでも言いたげな顔をしていた。
「何でもいいが。…それが発動されないということは、少なくともリィゼ嬢に腕はついているということだな」
「怖ぇーこと言うなよ!」
両サイドの喧しい2人を無視し、コンパスを握る。
「もう一つ」
ワントーン落ちたレイの声に、声を上げていた2人は、どちらとも無く口を閉じた。
「彼女が邸から離れた時、場所を示すように、と」
わかりやすく、2人の顔が強ばった。
このふたりとて、魔術に完全に知識がない訳では無い。騎士団のものは多くが最低知識は身につけている。
その最低知識の中の一つに、『魔術の上書きはそれより高い魔力を要する』というものがある。
これより、魔力の高いものならば上書きできる、ということになる。つまり。
「…………お前より魔力の高い者が攫った首謀者か?」
「首謀者、かはわからないが、そういった者がいることは事実だろう」
レイの答えに、あからさまに嫌な顔をした男は、一つ気がついたように眉をひそめた。
「ってことは、だ。先の壊された時っつーのも、上書きできんのか?」
「いや、それを付加したのは俺じゃない。もっと正確な魔術師を知っている」
ならまぁ、と胸をなで下ろす男を横目で見つつ、コンパスを懐に戻した。
今思えば、後につけたものもアイツにやらせればよかったと思うものの、後の祭りである。
レイは今度は気を散らすことなく、前だけを向いて馬を進める。
その横で、ロルフの呆れた声が聞こえ。
「婚約者にそんな魔術を掛けたものを贈るとは、些か趣味が悪いのではないか?」
「些かじゃねーよ!!」
瞬時に男が突っ込む。
道案内は助かるが、何せ道中ずっとこの調子だ。何度息の根を止めようとしたか計り知れない。
それでも、そんなことに時間を割くほど暇ではない。横2人の声が大きくなってきた時、前方に細長い建物が見えた。
突然湧くように現れたそれこそが、星見の塔である。
そして、その前には、御丁寧にも屍兵が仁王立ちしている。
それを見て、一旦口を閉じたロルフが目を細める。
「ざっと見ただけでも50……いや、100はいるか?」
「こんだけ死体が動いてるっつーのに腐敗臭がしないのは魔術によるもんなわけ?」
「俺が知るか」
「アンタに聞いてねぇよ!」
「黙れ」
レイの一蹴に、すっと口を閉ざした2人は、何も言わず、それぞれの武器に手をかけた。
レイも剣を抜き、馬から飛び降りた。
賢い彼の馬は、重さが無くなったことにより、凄まじい速さで屍兵たちに突進していった。
それに続き、後ろの2人の馬たちも屍兵を散らしていく。
屍兵軍の動きは機械のように一律しているが、統率が取れているわけではなく、指揮をしている者もいない。
馬たちが暴れたことで欠けた前の兵を、後ろの兵たちが埋めることも無く、迷路のような物が出来上がっていく。
素早く暴れつつ逃げ回る馬に切りかかる剣を持った歩兵、弓を引いてこちらに射ってくる弓兵。役割だけはしっかりとしているようだ。
右手で構えた剣を振り下ろし、降り注ぐ矢を落とす。
後ろでは、相変わらずロルフが弓を引いていた。
やはり、簡単には彼女のもとへは行けないらしい。けれど、必ず彼女を連れ戻す。
たとえ、彼女自身がそれを望んでいないとしても。
レイは口元に笑みを浮かべ、威風堂々と剣を構えた。
身体中の骨が軋む音がする。腕に力を入れて立ち上がろうとするが、かなわずすぐにくず折れる。
魔術によるものだと、経験上アレンはすぐに気がついたのだが。
上から押さえつけられる凄まじい圧力は、今まで見たどれよりも強い魔力を帯びていた。
…馬鹿な。彼女の能力があったとしても、触れているだけでここまでの成長が見られるなど、ありえない。
ギシギシと音を立てる首をどうにか動かし、前方の彼を見上げる。
ぐったりと力なく項垂れるリィゼを片手で支える彼…イオは、アレンを酷く冷めた、侮蔑を滲ませた目で見下ろしていた。
「…イ、オ」
「ほんっと、馬鹿だよね。どれだけ償ったって、俺がお前を許すはずないじゃん」
そう言って、イオはリィゼを右肩に担ぐと、こちらに歩いてきて、アレンの前でしゃがみ込んだ。
「それに、お前はリィゼに愛着が湧いてたみたいだし。近いうちに逃がすだろうなと思ってたよ。……俺が気付かないとでも思ってた?」
そう言ってニヤリと笑ったイオは、立ち上がり、リィゼを担ぎ直した。
イオが立ち上がる瞬間、彼の左手が目に入った。彼の利き手であるその手は、微かに震えていた。
それを見て、アレンは目を見開いた。彼はなんと愚かなことをしたんだろう。
「……イ…オ……………ち、を……」
「……………元からお前のことなんて当てにしてない」
眉間に皺を寄せて言い捨てると、彼はアレンの横を通り過ぎ、外へと出ていった。その瞬間、全身にかかっていた圧力がフッと消える。
立ち上がり、今すぐ2人を追いたいが、身体が動かない。どうやら圧力をかけると同時に、御丁寧にも体力まで潰してくれたようだ。
何とか動く腕だけで外へ出ると、階段を上がってくる足音が聞こえた。
その気配を辿り、魔力を確認すれば、見慣れた物が二つ。うちの一つは、自分よりも大きく強いもの。そして、それら以外にももう一つ。それは見たことがないもので、魔力としては無いに等しいが、強い生命力に似たものを感じた。
細い息を吐き出し、階段を利用して、手すりに背を預けて座り込む。目を開けてられず、ぜぇぜぇと荒い息を繰り返していると、足音はどんどんと近づいてくる。
「!お、おい!アレン!?」
呼びかける慌てた声に瞼を持ち上げると、自分の前に走ってきた男の姿。
会うのはどれくらいぶりだろうか、と懐かしさにも似たものを感じつつ、答える気力もなく彼を目で捉えていると、余計に彼は慌てたようで。
「どうした!?おい!っつーか、なんでお前ここに…!!」
「そいつがリィゼを攫ったから。ここにいるのは当然だろう。……覚悟はできているのだろう?」
アレンの代わりに答えた金髪の美しい男が、自分の前にいる男を押しのけて、アレンの胸倉を掴んだ。
そうされて然るべき事をしたのだから、文句を言うつもりはないのだが、死にかけている人にする事だろうか。胸中では中々に複雑である。
まぁ、それが彼だから、仕方ないのかも知れませんがねぇ……。
らしくて良い、と思いもするが、しかし少しくらい手加減してほしいものだ。
流石に息苦しくて咳き込むと、銀髪の見慣れない男が止めに入った。
「おい。気持ちは察するが流石に止めろ。騎士道に反する」
「俺は騎士道でリィゼを連れ戻しに来たわけじゃない」
「いや分かるけど、そこは気にしようよ。アンタ一応副団長なんだからさ…」
何とも気の抜けた会話は仲良さげで結構だが、思い切り場違いではないだろうか。目の前に死にかけがいる時にするべきではない。
ふん、と投げ捨てるように手を離した金髪の男は、それでもこちらを睨む鋭さは変わらない。
「リィゼは何処だ」
酷く苛立った様子は、彼女を心から心配しているのだと告げているようで、安心して少し瞼が落ちる。
「…………イオ…が」
息絶え絶えにそれだけ言うと、舌打ちが聞こえた。
そうイラつかれても、残念ながら彼の居場所は自分にも分からない。候補としては2つ。
第一に、彼女を閉じ込めていたあの部屋。イオがもし、まだ彼女を使うのは早いと判断したとしたら、再びあの部屋に軟禁するだろう。
そして、最上階にある占術部屋。本来は星を詠む為に使用される場所だが、この塔で最も月光が降り注ぐ場所で、儀式などをするにはもってこいであり、月光を浴び続けることで、魔力もある程度は補充できる。
「可能性が高いのは、……占術部屋かと。……イオは、酷く魔力を消耗していたので」
どうにかそう説明すると、3人は各々考える素振りを見せたものの、銀髪と最初に駆け寄ってきた彼は、どちらとも無く金髪の彼に顔を向けた。
その視線に気がついてか否か、直ぐに顔を上げた彼は、2人を振り返って指示を出した。
「リィゼが軟禁されていたという部屋に行け。確認次第こちらに合流しろ」
軽く頷いた2人に、部屋までのパターンを教えると、早速階段を駆け上がっていった。
その背中を見送って、金髪の彼はアレンを見下ろした。
「お前もこい」
それだけ言って階段に足をかけた彼を見上げつつ、アレンは嘆息した。
全く、どうしてこう、グルーフィン家の者は人使いが荒いのだろうか。説明している間に体力が復活してきたと言っても、まだ平常の五分の一に満たないのだが。
手すりを掴んで立ち上がり、彼の背を追う。
一段一段登りながら、考えるのは今までの己の行動。
まだ皆幼かったあの日、思えばあの時から間違っていたのだろう。良かれと思って、悲しげな少女を家に帰した。それにより、図らずもイオを絶望させることになってしまった。
それを償うために彼と共にいたが、また間違えてしまった。
……………今度こそ、間違ってはいけない。
乱れた息を整えて、アレンは顔を上げた。




