実験台
階段を降りて登ってを繰り返していると、段々と足が痛くなってくる。なんせ、こんなに歩くと思ってなかったし、というか攫われるとすら思ってなかったものだから、ごく普通のヒールがある靴を履いているのだ。かかとが痛いし、ついにはつま先も痛くなり始めた。
少し迷った私は、その場で靴を脱いで裸足で歩くことにした。
幸い、階段は掃除が行き届いており、裸足でも怪我をする心配は無さそうだった。ただ、階段の先に少し出っ張りがあるので、気をつけなければ転んでしまいそう。
アレンさんが顔を顰めてハンカチを取り出したけれど、丁重にお断りした。流石に人様の物を借りてまで足を綺麗に保とうとは思わない。洗えば綺麗になる。
しかし、こういう考えがまた令嬢として如何なものかと言われるのだろう。
いつだって美しく儚げに生きろ、と母には常日頃言われていたけれど、緊急時は仕方ないと思う。
アレンさんにも仕方ないなぁ、という顔で見られた。
再び歩き始めるとすぐに、アレンさんが足を止めた。
出っ張りを気にして下を向いてた私は、その背中に頭をぶつけてしまった。
謝ろうと口を開くと、その口をアレンさんの指が塞いだ。
何だろう、また何か。と耳をすましてみると、かつかつと階段を登ってくる音。
はっとしてアレンさんを見上げると、彼は初めて見る表情をしていた。
「…彼の言葉だけでは、止められませんか」
苦しげな、けれどどこか楽しげな表情。彼はまた近場で隠れる場所を探す。
そして、少し下がった所に、扉が付けられているのが見えた。
そこに滑り込むように入り、息を殺す。どうやらそこは小さな実験室のようで、中央の大きな机には、誇りにまみれて、古い本がうずたかく積まれ、その横にはビーカーやフラスコがガラスの管で繋がれていた。ずっと使われていないのか、中には何も入っていない。
再び足音が通り過ぎるのを待って、アレンさんが外に顔を出した。しかし、ホッとした表情の彼が振り返った瞬間、その目が見開かれた。
「リィゼさん!」
え、と思う間もなく、頭部に激痛が走った。
急に前触れなく髪を引っ張られた為、一瞬息ができなかった。後ろに下がって気道を確保しようと動くと、今度は上に引っ張られる。
手に持っていた靴を取り落とし、掴まれた髪をおさえる。カツンと、靴が冷たい床に落ちる音が響く。
「った……!」
痛くて目に涙が浮かぶ。堪えるように目をつぶる。
どうにか逃れようともがくと、余計に上に引っ張られる。また一歩後ろに下がると、背中が何かにぶつかった。
「ぐっ、……!」
呻き声が聞こえ、次いで何かがくずおれる音。痛みを堪えて目を開くと、アレンさんが床に倒れ込んでいた。
どうにか身体を起こそうとしているが、直ぐにまたぐしゃりと床に倒れる。
どうやら魔術によって押さえつけられているようだ、と気がついた時、後ろから笑い声が聞こえた。
「くくくっ……あーあ。ダメじゃん、リィゼ。君は俺の実験台なんだからさぁ」
その声は、あの部屋で聞いた少年のもので。
僅かに振り返ると、その少年がとても楽しそうに笑っていた。その手は、私の髪を上に引き上げており、もう片方の手がゆっくりと私の首に回された。
「ほんと、君は今も昔も、俺の思い通りには動いてくれないんだね」
そう言って、彼は残念だと笑った。
「っ!?」
首に回された手に、ゆっくりと力が込められる。ギリギリと絞められたことで、段々と呼吸が難しくなる。手を下に下ろして、彼の手を解こうとするけれど、その手の力も入らなくなる。
視界が爆ぜるように色を変え、やがて少しずつ黒く染まる。身体から力が抜けていく。
打ち上げられた魚のように口を開閉させるものの、まともに空気を得られない。
あぁ、もうダメだと直感した時、耳に届いたのは、とても幸せそうな声。
「まだ、殺さないよ?君には生きててもらわなきゃだからね」
その声を最後に、私の意識は途絶える。
彼の声は、どこかで聞いたような、そんな気がした。




