無謀な賭け
皇太子様たちが帰ってから、私は一つの賭けをしようと決心した。
心配そうに私の顔を覗き込むモニカさんに大丈夫と笑いかえし、リビングのソファに浅く座る。
じっと動かずに座り続ける私に、他の使用人さんたちも不思議そうな顔をしていた。
そして、時はやってくる。
カタカタと馴染みの音がして、少し経つと扉が開く音。
そして、リビングの扉が開かれ、ガフィクさんが、その後ろからレイ様が入ってきた。
彼は私を見て僅かに目を見開いたものの、しかしすぐに元の表情に戻ると、腰元のベルトごと剣を外し、上着を脱いでガフィクさんに渡した。
「リィゼ?」
近づきつつ呼ばれた名前は、涙が滲むほどに優しく柔らかい。
嬉しいはずなのに。呼ばれたのは私の名前のはずなのに。
彼が本当に呼びたいのは『リィゼ』じゃないんだと思うと、胸が潰されそう。
あのね、レイ様。
私、やっぱりいい子じゃないの。貴方のために、そばにいられるのなら身代わりでもいいなんて、思えない。
貴方には、私を見て欲しかった。
だから、許して。
私は、そっと下げていた顔を上げ、精一杯微笑んでみせた。
「…………結婚式、いつにしましょうか」
私の口から出た言葉に、こちらに伸ばされていた手が止まった。
そして、青い目が微かに揺れる。
「………………何故?」
「だって、婚約して何年にもなります。そろそろ式をあげないと、私、適齢期逃しちゃいますから」
私の言葉一言一言を聞き逃すまいとして耳を傾けていたレイ様は、私が口を閉じると、私の前で片膝をおると、私の手を握った。私の、右手を。
「リィ。適齢期など気にしなくていい。俺という婚約者がいるのだから、」
「でも、いつまでも婚約者のままでは、私きっと逃げたくなるわ」
意図して口にした棘は、彼も、思いのほか私の心も抉った。
逃げたくなる?ううん。逃げたい。私は、この感情の行方すらわからないのに、ここに居たくない。
ぐっと力強く握られた右手は、骨が軋むほど痛いのに、そんな痛み些細に感じられた。
「……俺から離れるのか、リィゼ」
「……………私を連れ戻したのは貴方でしょう?」
流石は騎士団の副団長。視線で射殺されそうだ、と場違いにも思うほどの威圧。でも、私も負けてられない。
彼にすれば、私など怯えた子犬に過ぎないのだろうけれど、子犬だって時には噛み付く。
「………………今は、出来ない」
レイ様がポツリと呟いた低音に、どくん、と心臓が跳ねる。
……………やっぱり。
私とは、出来ないのね。
彼は私をずっとここに閉じ込めていた。
ここから出したくないのであれば、婚約者などという浮ついたものでなく、妻としてしまったほうが確実なのに。どうしてそれをしないのだろうと考えていた。
これが、答え。
彼は、私とは結婚できない。結婚したいのは、彼女だから。けれど彼女はあの人のもの。流石にレイ様にもどうしようもなかったのだろう。
こくり、と喉が鳴って、それが胃に下がった途端、頭が一気に冷静になった。
………………分かっていたことなのに。
分かっていて、賭けをした。彼が頷くことなんてないって。いつまでも彼が追いかけてくれていたのは、私じゃない。
彼女の面影を纏う私なのに。
「落ち着いたら、必ず」
気遣わし気に覗き込まれた青い目。
この目が、とても綺麗だと思っていた。初めてあった日からずっと、宝石みたいだって。
でもね、もう、分かんないんだよ。今もそう思えてるのか。
「落ち着くって、何がですか?」
なんてことないように笑いながら問う私の前で、レイ様が立ち上がる。
そして、私の隣に腰を下ろすと、私の肩を抱いてソファに倒れた。
突然のことにぽかんとする私は、どうやら彼の上に倒れている状態。
レイ様は、ぱちぱちと目を瞬く私の髪を撫でるようにして後ろに退けると、私の額に口付けた。
「………泣くな」
そう言われて頬や瞼を確認してみるけれど、濡れてなどいない。なのに、何故泣いてるなんて思ったんだろう。彼を見上げれば、見たことのない表情で。
あ、違う。私は、見たことがある。いつか見た、あの喪失感に苛まれたような、何かを失くした切なそうな顔。
「…………聞いても、いいですか?」
「…ん?」
今なら、まだ間に合う。まだ想いが浅いうちに逃げるべきなのに。
どうして、聞いてしまったんだろうか。
「どうして、私を選んでくれたんですか?」
「……………特別だから」
まだ、大丈夫。
「リィゼは、自分で思うより特別なんだと、知ったほうがいい」
……………初恋を、閉じられる。
だからねぇ、レイ様。
揺れないで。私を通してでも、直接でもいい。ずっと、クリスタ様を見ていて。
他の令嬢たちがそうであるように、私も、諦めを覚えられる。




