何故私なのか
「まぁまぁ、そんなに固くならずに」
「ひぃっ!?」
馬車でカチコチに固まったまま向かったのは当然王宮。お城というものは私とて令嬢と呼ばれた女子である、二、三度お目にかかったことがある。
しかし、中に入るとなると令嬢とて容易でない。それこそ王宮務めでもしているか、王宮に知り合いがいて、王宮での夜会にでも呼ばれない限り、中に入ることなぞ到底できない。
が、私は忘れていたのだ。一応婚約者として隣に立つ男が、王族騎士団の副団長だということに。
王族騎士団とはその名の通り、国、もしくは国の中枢を守護する役職である。国の中枢とはそれ即ち王族のことだ。
そんな騎士団に属している彼にとって王宮とは、言ってしまえば職場の様なものだ。何度となく出入りしているのは当然で。
そんな男の婚約者、そりゃあいつかは謁見の機会があるのだろうと大体予想がつく。
しかし私は結婚する気は毛頭なく、どちらかと言えば脱走する気満々なのである。実際、先ほどその準備をしてきたのだから。
と、煌びやかな王宮を前にして恐れからクラクラとする私は、しかし回れ右をして帰ることなど出来ず、前を歩く紺色を追いかけるしかないのである。
王宮の奥に入れるなど、もしかすると最初で最後かもしれない、その内側を見られるなどもう無い機会なのだ。じっくり目に焼き付けて置かなければ…と、思うのとやるのとでは別である。
体が緊張により動かない。首を捻ることすら億劫になるほどに。
というわけで、馬車内以上に固まって歩く私の耳元で、最初のセリフが聞こえたのである。
そりゃあ叫ぶのも仕方ないと思いませんか?
むしろぎゃあと大声で叫ばなかったのを褒めていただきたいですよ。
……とにかく、慌てて振り返った私の前には、1人の男性が満面の笑みで立っていた。
深い夜の森みたいな漆黒の髪、それに合わせたような闇色の瞳は、無邪気ながらも艶やかな雰囲気を持っていた。
彼は裾の長い美しい銀色の衣装を身にまとい、その上から群青のマントをひっかけていた。
「殿下」
誰だこの男は、と目を白黒させていると、後ろからぽつり、とんでもないことを呟く声が聞こえた。
誰しもがわかるだろうが、殿下=皇太子=次期国王である。私は確かその人に謁見するために来たのではなかったか。
だから、謁見の間のような所に尊大に構えたその人を想像していたが、実際はどうだ。
カチンコチンに緊張する女性の後ろに音もなく忍び寄り、耳元で固くなるなと告げた。
そして今、人の悪い笑顔でクスクスと笑っているではないか。
………とんだ殿下様だ。
ようやく頭が落ち着いた私は、ゆっくり足を折り、恭しく淑やかに礼をとる。
「皇太子様。お目にかかれて光栄にございます」
声が震えなかったのは先ほどの驚きゆえか、それとも想像していたほどの態度をこの人が取らないからか。
しかし、その立ち姿からは、どこか気品や上に立つ者としての空気が感ぜられ、自然と背筋が伸びる。
頭を下げる私を、手を1振りで立ち上がらせると、彼は悠々と構えた。
「なに、急に呼び出したのはこちらだ。そう構えなくていい。……レイ、無理言って悪いな」
「えぇ本当に。その思いつきをもっと他のことに活かせませんでしたでしょうか」
男が口走った内容に、ギョッとして隣を見上げると、彼はこちらに顔を向けて、軽く首をすくめて見せた。
いや、『やれやれ』みたいにされても。
皇太子に対してのレイ様の態度に戸惑う私に、それを受けた当人は、また手を振ることで構わないと示した。
「レイと私は学校時代からの付き合いでね。もう慣れてしまった故、そのほうが気安い。それに、レイとて素人ではない。公では適切な態度に戻る」
はぁ、と頷いた私は、突如腰元をぐっと引かれ、横によろめく。それを易々と受け止めた隣の男は、据わった目で皇太子を見た。
「もうよろしいですか?婚約者に合わせるという約束は果たしたはずですので」
「おいおい、そう急くな。少し話すことくらいいいだろう。なぁ、ミロフィーネ嬢」
急に話をふられ、慌てて頷いた私を確認して、皇太子は満足そうに笑み、金色の男はげんなりとしたため息をついた。
廊下から謁見の間へと移った私たちは、お茶を頂きつつ軽い会話を広げていた。
と、その時、ノックがされ、色の抜けた茶色のざんばら髪の男が入ってきた。
彼が皇太子に何事かを囁くと、それを受けて皇太子の顔が渋みを帯びる。
そして、面倒くさそうに口を開く。
「騎士団のほうで新入りの魔法騎士が魔法を暴走させたらしい。多く騎士が対応に当たっているが、そうとうな暴走らしくてな………レイ、行ってくれるか」
「……はぁ……どうせカロンか誰かでしょう」
と、立ち上がりかけたレイ様は、はたと動きを止め、私を見下ろした。
無言のまま、その瞳は何かを示唆するように何度か瞬かれ、そして細められた。
彼が何かをいう前に、皇太子が口を開く。
「ミロフィーネ嬢のことは大丈夫だ。私が面倒みよう」
その言葉に、一瞬疑うような間があったが、結局は頷くこととなった彼は私の手を取ると跪き、手の甲に口付けた。
突然のことにひゅっと喉がなった。皇太子の前で何やってんだこの男は。
羞恥から赤みを帯びる私の頬を撫で、すぐ戻る、とそう言い残して名残惜しそうに出ていく彼の背中を見送っていると、扉が閉じた瞬間、皇太子が口を開く。
ちなみに、彼は部屋を出る瞬間、皇太子に「絶対触れるな」と言い捨てていた。
「で、なんで1度レイの元から逃げたの?」
紅茶を口に含んでいた私は、その問いかけに紅茶を吹きかけ、すんでのところで堪えたが、代わりにむせてしまった。
「、な、にを、」
ゲホゲホと咳き込んでいると、まるで待ってましたとでも言うように皇太子は続ける。
「二年前のある時から、あのレイがまるで抜け殻でさ。元々表情筋の発達は良くなかったんだろうけど、あの時は何ていうの、触れたら凍る、的なね?その理由を聞いたら『婚約者が居なくなった』ってんだから驚き驚き。はっはっは!」
と、カラカラと笑ってみせる皇太子に、私のほうが驚きである。
先ほどまでの凛とした空気はなんのその。砕けた態度と話し方に違和感しかない。その私の違和感を感じ取ったのか、彼は頬をかきながら「こっちの方が楽だからさ」と微笑んだ。
「で、どうして?」
再度首を傾げられ、私は渋々と口を開いた。
「……耐えられなかったんだと思います」
私は、二年前から今日まで受けている扱いについて話した。
部屋から出ることを禁止されていること、しても良いこと悪いことが多く、部屋にいては息が詰まりそうだったこと。
全て話し終えた時、皇太子は何とも複雑な顔をしていた。
「…いやぁ、わかってはいたんだけど。あいつの性格は人によっては苦だろうね」
「苦しいなんてものじゃないですよ?旧友が会いに来るって言っても、その友人が男だと知った瞬間怒るし、私の手首握りしめてあざ作るし、それ見て笑ってるし…」
ぶつぶつと呟いた私の言葉に、皇太子は、わぁ…と乾いた笑いを浮かべた。
「んー。でもそれ、あいつなりの最上級の愛情表現なんだよね。壊滅的にわかりづらいけど。見てて痛いくらいミロフィーネ嬢のこと愛してるーって思ってるのわかるし」
その言葉に口を開けたまま固まってしまう。目から鱗どころではない。目から魚が3匹ほど出てくるくらいには驚きだ。
愛してる?あれで?
信じられない。ちょっとおかしいんじゃないかと思う。
ぽかんと固まる私に、彼はやっぱりかぁと笑う。
「本人は気が付かないものだし、表現がアレじゃあね」
仕方ないよ。と苦笑いした彼は、けれど紅茶を1口喉に流すと、真面目な顔をして、少しだけ微笑んだ。
「でも、俺はあいつが君を見つけるために尋常でない努力をしてるのを見てたからさ。あの時は国中探し回るって言うから、慌てて止めて。それなりの地位があれば情報も入ってくるし、見つけやすいだろうって言ったら、二年で副団長だよ?血の滲むような努力って、あぁいうものを言うんだろうな」
……それは、私も思っていた。
二年ぶりにあった時、以前はなかった剣だこや傷であれたボロボロの手。綺麗な頬を走る傷跡。あれだけの痕跡が物語っている。
でも。
「…わからないんです。私はきっと、そこら辺にいる令嬢の一人でしかなくて、どうしてそんなに思ってくれるのか、私に何の価値があるのか…」
するりと零れた言葉は、ずっと胸にあった疑問と不安。
誰かに答えを示して欲しかった。
レイ様とずっと一緒にいる彼ならば、私に教えてくれるのでは、と期待を込めて見つめるが。
「それは…」
皇太子が口を開いた時、先ほどレイ様と出ていった茶色の男性が入ってきて、再び皇太子に耳打ちする。
わかった、と頷いた彼は、立ち上がると私に笑いかけた。
「すまないが、もう時間だ。この話の続きはまた次回にしよう。レイがいる場所まで送っていこう」
結局、1番知りたかった疑問は、解けることなく胸に落胆をもたらしただけだった。
皇太子直々に送ってもらうなど、と恐縮したが、面倒みると言った以上、約束は果たすと押し切られた。
しずしずと廊下を皇太子に連れられ歩く。
少しだけ気まずいのは、先ほどの疑問をぶつけた際、皇太子が戸惑った表情を見せたからだ。
双方が黙ったまま歩き続け、ふと顔を上げると、見慣れた後ろ姿があった。
この空気から抜け出せる、とほっとして、口を開こうとすると、後ろ姿の彼の向こうに、別の影があることに気がついた。
レイ様が影になりよく見えないけれど、その身に纏う衣装から、高貴な女性であると察しがつく。
こちらに気がついたレイ様が振り向くと、その顔が見えた。
緩く波打つ夕日色の髪、深い森の瞳。
……………息が止まるかと思った。
堂々とした自信を讃えた笑みを浮かべる彼女の顔は。
細部の違いはあり、美醜で言うならば彼女のほうが格段に美しいが。
…………私に似ていた。まるで、歪んだ鏡のように。
彼女のほうも、私を見て驚いたように目を見開いたが、やがて私の隣に視線を移すと、とても嬉しそうに、美しく笑った。
「クラウス様」
レイ様の隣を離れた彼女は、皇太子の前で歩みを止めた。
それで、皇太子の名がクラウスであることを知った。そして、皇太子を名前呼びにできる彼女がどういった人なのかも。
皇太子は、自分に寄り添った彼女の腰元を支えると、私に彼女を紹介した。
「ミロフィーネ嬢。この女性はクリスタ=コンコルド。……私の婚約者であり、妃となる女性だ」
「…ミロフィーネ様、よろしくお願いしますわ」
…あぁ、どうしてだろう。レイ様を、振り返れない。
どうしてかわからないけど。どういう目で、彼女を見てるのか、知りたくなかった。
だって、さっきの彼女と話している時の彼は、心なし楽しそうで。
私の問いかけに戸惑った皇太子の表情。
私と似た顔の皇太子妃。
彼女に向けたレイ様の雰囲気。
これらが示すのは、何?
あぁ、ダメだ。頭が働かない。
「……リィゼ、ミロフィーネ…です。よろしくお願いします」
乾ききった喉は、声を出すという仕事をなかなかしてくれなかったけど、どうにか絞り出す。
頭を下げると、気が付かれないようにきゅっと唇を噛む。
私は、何なんだろう。
ねぇ、レイ様。貴方はどうして、私を選んだの。




