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懐かしい表情

 あれから、私が頷いたことに満足したのか、彼は部屋を出ていった。1人取り残された私は、全身の力を抜いてソファにもたれた。

 それからのことは、呆然としたままでよく覚えていない。けれど、気がつくと私はモニカさんの部屋の前にいて、驚いている彼女に全てを話していた。それから、彼女は震える私と一緒にいてくれて、私は彼女の部屋で眠った。

 朝、部屋に戻り、着替えを済ませて下に降りると、レイ様の姿はなかった。今日はどのドレスで、という指定がなかったことから、不思議には思っていた。

 ただ、事実として、朝からレイ様と顔を合わせなくていいことに、少なからず安堵していた。

 ここに来て初めての1人での食事をとり、部屋に戻る。いつもなら、モニカさんが話しかけてくれるのだけれど、今日は姿が見えなかった。起きた時には既にいなかったから、仕事をしていると思っていたけれど。

 代わりに、ロムさんが部屋の入口に待機していた。


「モニカさんは、どうしたんですか?」


 なんてことないふうに尋ねると、ロムさんは静かに口を開いた。


「レイ様とともに、郊外へ出かけています」


 相変わらず、微笑むこともなく淡々と告げるロムさんとは、なんとなく距離を感じる。感じるだけでなく、実際にあるんだろうけどね。

 そっか、モニカさんいないのか。今日は暇だなぁ。散歩には、言えばロムさんもついてきてくれるんだろうけど、それはなんとなく申し訳なかった。

 ふう、と息をついて窓際に座る。

 鳥の鳴き声が聞こえて、部屋の中の静寂が耳につく。気まずいと思うのはそのためだろうか。

 不意に、視界の隅でロムさんが動いた。

 目を向けると、ドアが薄く開いていて、誰かと話しているようだった。

 どうやら、お客さんが来たようだけれど、通すか迷ってるようで。

 ロムさんがちらりと私に目を向ける。そして、「少しくらいなら大丈夫だろう」と、外の人に声をかけるのが聞こえた。

 そして、ドアが閉まると、ロムさんが私の所まで来て、一言。


「貴女に来客です」


 驚きに目を見開く。来客、と聞いて思いつくのは1人だけ。けれど、昨日レイ様に会うなと却下されたばかりだったのに。

 そして、はたと気がつく。

 まだロムさんには話が通っていないのだ。レイ様が話をする前に、彼が来てしまった。

 行っても良いものか、少し悩む。けれど、せっかく来てくれたし、何しろ久しぶりに会いたいという気持ちが強かった。昨日の恐怖を忘れたわけではなかったけれど、気がつけば私はドアを開けていた。






 ロムさんに連れられ、私は玄関へと向かった。

 玄関につくと、丁度馬車が止まるところだった。

 その中から、1人の男性が降りてきた。茶色のクセ毛、そばかすの目立つ顔。彼は私を見ると、満面に笑を浮かべて、両手を広げた。


「リィゼ!久しぶりだな!!」

「リリック!!」


 私は、リリックの胸へ飛び込んだ。彼は危なげなく受け止めてくれて、頭を撫でてくれた。

 頭一つ分以上高い彼の顔を見上げると、懐かしさが胸に広がる。


「お前すげぇな!こんな屋敷に住んでんのかよ!ま、お前は可愛い顔してるしな〜」


 にっ、と笑ったその表情は、最後にあった3年前と変わらなくて、妙に安心した。

 リリックは、私の頭を撫でると、体を離して言った。


「俺、今年から王都で働くことになったんだよ。王族騎士団っつの?ここの主もそうだったよな。挨拶に来たんだけど……」


 リリック、王族騎士団に入ったの!?旦那様が隊長の私が言うのもなんだけれど、めちゃくちゃ敷居が高いんだよ!?すごい!

 私は、興奮しつつ、口を開く。


「レイ様は、今日郊外でお仕事だよ」

「げっ、マジか……」


 明らかに落胆した様子のリリックに、私はクス、と笑ってしまう。

 久しぶりの空気に、肩の力が降りる。

 この和やかな雰囲気の中に、もう1人、ヴィオラがいれば、と思ってしまうのは、贅沢かな。


「リリック。そろそろ行きますよ」


 2人で笑っていると、馬車の中から綺麗な男性の声が聞こえた。

 2人で馬車を振り返ると、中から黒いローブに身を包んだ男性が降りてきた。

 リリックより、少しだけ低い背。レイ様とおなじくらいかな。彼は私を見て微笑んだ。

 ローブに隠されてはいるものの、とても端正な顔をしているのがわかる。金色の長い髪をローブからだして腰まで下ろしていた。柔らかい雰囲気ながら、その瞳は紫で、闇を思い起こさせた。


「リィゼ。こいつはまぁ、俺の友人みたいなもので、学者のアレンっつーんだ」


 軽く紹介してくれるリリックに頷きつつ、アレンさんにお辞儀をする。


「リィゼです。リリックとは、幼なじみで…」

「聞いておりますよ。リリックの言う通り、可愛らしい方ですね」


 ふわりと微笑まれて、顔が熱を持つ。

 これはまた、私の周りにいなかったタイプの男性だ。

 反応できずにいると、アレンさんは私の手を取って、手の甲に口付けた。びくりと肩を揺らすと、彼は気を悪くした風でもなく手を離し、馬車に戻る。そして、乗り込む前に一言。


「またお会いしましょう。美しいお嬢さん」


 アレンさんが乗り込むと、リリックが慌てたように。


「じゃあな、リィゼ!久しぶりに会えて嬉しかったぜ!また来るから、その時はもっと話そうな!」


 と、言い捨てて馬車に乗り込んだ。何をそんなに急いでいるのかわからなかったけれど、時間からして、仕事に向かう前に寄っただけかも、とも思った。

 走りゆく馬車を見送ってから振り返ると、直立不動のロムさんがじっと私を見ていた。そして真顔で一言。


「……あぁいった笑い方もできるのですね」


 真顔で何を言ってるのかな?というか、……私のこと?!

 あぁいったとはどういった?!どういう顔のこと!?変な笑い方してた?!

 固まる私などお構い無しに、ロムさんは「戻りますよ」と言ってスタスタと中に入ってしまった。






 夜7時。いつもならレイ様が帰ってくる時間だけれど、今日は8時を過ぎても帰ってこなかった。ついでに言えば、モニカさんも帰ってこないわけで。ロムさんもあれから一言もしゃべらないし、息が詰まりそう。

 1人で食事を終えて、寝巻きに着替える。ちなみに、この時には使用人さんも仕事を終えて部屋に戻っている。つまり1人だ。

 まだ眠るのには早いから、ベッドに腰掛けて、難しくて理解もできないくせに倫理学の教本に目を通していた。

 すると、ドアがノックされる。時計が示すのは10時5分。何気に文字を追うことに夢中になっていたようだ。ちなみに、本の内容は説明できない。理解してないから。

 返事をすると、すらりと長身の彼が入ってきた。

 目を軽く見開き、本をサイドテーブルに置いて立ち上がる。

 少し気まずそうに視線を下に向けているのは、紛れもなく、今日初めて会うレイ様だった。

 お互いに何も切り出せないまま、少しの沈黙が流れる。先に口を開いたのは、レイ様だった。


「…モニカに、諭された」


 ……え。モニカさん、何を。

 無言の私に何を思ったのか、レイ様は視線を落としたまま。


「…昨日、怯えていたと」


 ギクリとした。確かに、昨日私は怯えてモニカさんに相談した。心配してモニカさんがレイ様に言ってくれたのだろう。

 しかし、主であり、このような性格のこの人に意見するとは、並大抵の人ではできない技だ。モニカさんかっこいい。

 けれど、少し体が強ばるのを感じた。

 もし、それによって彼が怒ったら、また腕を掴まれるのではないかと身構えるけれど、目の前に立つ彼は、気まづそうにするだけで。

 レイ様のこんな表情は、初めて見るためか、何かおかしな気持ちになった。そして体からも力が抜けていく。

 昨日あんなに恐怖を感じた彼が、全く怖くない。不思議な人だ。時に恐怖を感じるのに、いつもはそれを微かとも見せないのだ。

 ……わからない。

 レイ様という人が、まったくわからない。

 私の様子を伺う瞳が、昨日私を見下ろしていた瞳と同じものだとは、到底思えなかった。


「………少し」


 一言、ぽつりと呟くと、レイ様は私に歩み寄った。無意識に、1歩引いてしまう。それを見て、1度彼は歩みを止める。そして、遠慮がちにゆっくりと、近寄ってきた。

 彼は私の前まで来ると、一つの箱を目の前に差し出した。

 なんだ突然、と目を瞬くと、レイ様は私にそれを握らせた。

 開けろ、と目で訴えてくるので、小箱を開ける。すると、綺麗な花の飾りがあしらわれた、シルバーの華奢なブレスレットが入っていた。

 あまりの綺麗さに、じっと見入ってしまう。細かい飾りには、緻密な作りで、一見しても高級だろうとわかるくらいだった。


「元々、贈ろうと思い、出先の店に作らせておいた。リィが気に入るかはわからなかったが、……似合うと、思って」


 そう言った彼の気遣いが、嬉しいと思った。我ながら、ものに釣られた感があるし、昨日あんなに怯えていたくせに、と思うけれど、今は恐怖を感じない。し、嬉しいんだから仕方ない。

 それに、ブレスレットのデザインはめちゃくちゃ好みだった。くそぅ。

 だから私は、悔しいという気持ちも込めて、何も言わずにブレスレットを手に取った。そして、自身の腕とともに彼に差し出す。

 レイ様は何も言わず、少しの間私の腕を見ていたけれど、やがてブレスレットを受け取ると、私の腕に付けてくれた。

 私がそっとブレスレットに触れると、レイ様はその手を取って。


「……抱きしめてもいい?」


 と、私を引き寄せた。

 ちょっと言っていいですか。何故聞くと同時に引き寄せるのかな。どうせ抱きしめるなら聞くな。聞くだけ無駄だ。そして聞くなら答えを待て。

 レイ様の腕の中で固まる私の髪に、彼が顔を埋めるのがわかる。


「あの?」


 どうにか身をよじって顔を上げると、彼は熱を瞳に宿していた。


「……喜んでくれたならよかった」


 それを聞いて、怪訝そうな顔をした私を見て、何故か可笑しそうに笑った彼は、また私を抱きしめて、髪に顔を埋めた。

 私は、彼を押し返そうとレイ様の胸に手を当てる。シャラりと音を立ててブレスレットが揺れる。私は、レイ様の腕の中で、そっとブレスレットに触れた。









 ブレスレットを付けた時と、それに触れた時、無意識に微笑んでいたことに、レイだけが気づいていた。

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