出会ってしまった
突然ですが、ピンチです。
よくこうやって始まる小説があって、見る度に『そんなすぐピンチになんないでしょ。弱すぎ笑』と馬鹿にしていたりもしたけどね。
実際そういった場面に出くわすと、マジかとしか言えない。
だって私自身こんなことになると思わなかったというか?ふわふわ〜と人生を終えるんだろうなと思っていたんだけど。っていうか実際こうなるまでそうだったんだけど。
もう一度言います。
私、リィゼ=ミロフィーネは。
「やっと見つけたんだ……俺のリィ」
今とてもピンチです。
リィゼ=ミロフィーネ、が私の名前。
一応令嬢と言われる一家に生まれはしたんだけど。
………けど、ねぇ。
父に言わせてみれば『性別間違った?』らしいし、兄は私の言動に頭抱えてるし?
どうやら一般的な令嬢≠私らしい。
まぁわかるよ。普通の令嬢は天気がいいからって馬乗りに行かないでしょうし。邪魔だからって髪を切り落とそうとしないだろうし。
ちなみに、髪は母に泣いてまで死守された。
しかしまぁ、いつまでもそれが続くわけもなく。
まだ社交界に出るまでは、子供だからと許されたことさえ、10歳になった途端、禁止。10歳ってまだ子供じゃない!とぶち切れたことは記憶に新しい。
それと、馬乗りどころか自主的に外に出ることさえ禁止された。
私としては不満しかなかったけれど、社交界の令嬢たちはそれが普通。
むしろ今までの私が異常なのだと知らされた。
それを知ってからは、両親に心配をかけまいとして、社交界では令嬢を演じていた。
なんとか12の夏にはそれらしい振る舞いができるようにはなっていたけれど。
まぁキツかった。
令嬢をすることもキツかったけど、一番は周りの変化。
今まで遊んでいた友人は婚約者探しに忙しくて、人が変わっていった。
両親は私に婚約者を、と血眼で伯爵子爵家を回った。
あとは、目?
私はよくわからないけど、友人には『黙ってればそれなりに可愛い顔をしている』と言われるほど、どうやら顔は悪くないらしい。
けど言動により台無しになっていたのが、社交界デビュー前の私。
そんな私が令嬢をしているのは、前の私を知らない人から見れば『素朴な美しさの女性』だったらしく。
今までと違う視線は、私にとって不快なものでしかなかった。
そんな環境の変化により、当時の私は心身ともにボロボロ。
だからかな。
アレに心を許しちゃったのは。
15歳の冬、父の上司にあたる伯爵の家でパーティが行われた。
さすがは伯爵というか、規模は大きく、招待された人々は社交界の有名人ばかり。
ぶっちゃけ言って、場違いにも程があった。
確かに、今思えば、父の上司ではあったけれど直属ではないし、私まで招待されたというのは不自然ではあった。
けれど父はこれ幸いと私を連れていき、婚約者探しを始めた。
あっちに声をかけ、こっちに声をかけ。
それはもう隠す気がないのかというレベルで。
けれど本人はと言えば、気疲れしてしまっていた。
会場のすみの椅子に座り、背もたれに寄りかかってため息をついた。
キラキラとした社交界は私には遠すぎる。
適当な婚約者を見つけて、結婚できたらそれでいい。
むしろ私としては、縛られるくらいなら結婚もしなくていいのだけれど、それは両親に申し訳ない。
穀潰しには、なれない。
もう一度、先程よりも深くため息を着くと。
「浮かない顔だね」
上から声が降ってきた。
静かに瞼を持ち上げると、目の前に桃色のグラスが差し出されていた。
それを受け取りつつ、視線を上げると。
女神がいた。
いや、女神は違う。彼は男性だし、ドレスの代わりに軍服を着ている。
ただ、女神と見違うほどに美しかった。
スッと通った鼻梁、金髪の猫毛、サファイアブルーの瞳、形の良い唇。どこを取ってもパーフェクト。
こんな人いるんだな、と見とれていると、彼は私の隣に腰を下ろした。
「私は王族騎士団3番隊隊長、レイ=グルーフィン。貴女はリィゼ=ミロフィーネ嬢ですね?」
私はそれを聞いて驚いた。
彼は見たところ私より3、4歳上かどうかの若さだ。
その若さで隊長。しかも王族騎士団。
ちらと視線を向ければ、正装だからか、腰にはサーベルが下げられている。本物だ。
そして一番驚いたのは、何故そんな彼が私の名を知っているのかと言うことだ。
どこかであったことがある?でも記憶にない。と、ここで私は一つの可能性に思い当たった。
父よ、こんな方にも声をかけたのか。
いやいや、住む世界が違いすぎるわ。
「どうかなさいましたか?」
恐れおののく私を見て、首を傾げた彼。
そんな仕草ですら、計算でないかと疑うほど美しい。
……なんだろう、負けた気がする。
「いえ、失礼致しました。おっしゃる通り、私はリィゼ=ミロフィーネと申します。飲み物、ありがとうございます」
すっと背筋を伸ばして告げると、レイと名乗った彼は微笑んだ。
「リィゼ様とお呼びしても?」
「…はい、どうぞ」
気丈に振舞ってはいるけどね、心臓バクバクですよ。
だって私の言動一つに気を悪くしただけでミロフィーネ家を潰せるほどの権力を持ってるんだもの、この人。
本音としては、早く彼が立ち去ってくれないかなとハラハラしっぱなしである。
そんな私のことなど知ったことではない彼は飲み物に口をつける。
「暗い顔をしてらっしゃいましたが、どうかなさったのですか?」
「あぁ、いえ……お恥ずかしいことですが、気後れしてしまいまして」
正直に話しつつグラスを傾ける。フルーツの甘さが口に広がり、少しだけ落ち着いた。
「そうですか……実のところ、私も少し疲れてしまったのです」
弱々しく微笑む彼を見ていると、それはそうだろうと思う。
こんなに美しくて若く、ハイスペックな男性、婚約者探しに躍起になった令嬢は放っておかないだろう。
「グルーフィン様ほどの方でしたら、仕方ないのかも知れませんね」
「レイ、と呼んでください。…貴女は、婚約者の方は?」
名前呼びを許可されたことに戸惑いつつ、よく考えもせず首を横に降る。
「おりません」
……今思えば、ここで間違っていたのかもしれない。例えばここで『ずっとお慕いしている方が…』とでも言っておけば、何か変わったかも。
……アレの性格上、無駄な気もするが。
とにかく、この時の私は何も知らないのだから考えても仕方ない。私は否定したのだ。
すると、彼の口元に今までの微笑みと違う笑が浮かんだ。
「そうですか。早く見つかると良いですね」
瞬きをしているすきに、元の柔らかな微笑みに戻り、そう言っていた彼を、疑う方が難しかったかもしれない。
実際、一瞬のことで、私は気の所為だと思ってしまったのだから。
そのとき、彼が上司に呼ばれたのも、タイミングが良かったのかも知れない。いや、悪かったのか?
「では、私はこれで。またお会いしましょう、リィゼ様」
立ち上がった彼は、微笑みをたたえつつそう言って立ち去った。
私はほっと息をついてグラスを空にした。
この時はまだ、彼のいう『また』がこんなにも早くくるとは思いもしなかったのだ。それも、あんな形でくるとは、夢にも思わなかった。
私の元に、レイ=グルーフィンの名から婚約を申し込む内容の手紙が届いたのは、それから3日目の朝だった。