痛い、花びら
病室に入るとトモヒロはベッドに半身を起こして、文庫本を読んでいた。
窓のカーテンがすべて開いてるせいで、日の光が彼の体をきれいに縁取っている。その神々しさにあたしは思わず足を止めた。どうしていいのか分からなくて、しばらくじっと佇んでいると気配を感じたのか、不意にトモヒロが顔を上げた。
「レイコ」
と、軽く彼はあたしの名前を呼ぶ。その軽さに救われた気がして、あたしは笑顔でベッドサイドに歩み寄った。彼はパタリと文庫本を閉じ、あたしに向き直る。あれ、しおりを挟まなくていいの? そう言おうとしたけれど、それより早くトモヒロの手があたしのセーラー服の肩に触れた。
「春だね」
と言って笑った彼の指先には、ほのかな色合いの桜の花びらがあった。ここに来る近道で公園を通る。その公園には大きな桜の木があり、風が吹くたびたくさんの花びらが舞った。その一枚があたしの肩に乗っていたのだ。
「春だよ」
と、あたしも笑った。
帰り道も、公園を通る。
桜の木の前であたしは足を止めた。大きく風が吹いて、たくさんの花びらが無情に空に舞う。それはあたしの長い髪につきまとい、次に頬に、それから肩にと、優しい蹂躙を繰り返す。
不意に泣きそうになったのは、しおりを挟まないまま閉じられた文庫本を思い出したから。
もう、続きを読まないの? それとも、読めないの?
君は諦めてしまったの?
あたしはピンクにかすむ空を見る。
桜吹雪が痛かった。
(おわり)