7 お姫様、尻尾を振る
朝、リーシャは目を覚ますと、いつもと寝心地が違うことに気がついた。王宮を出てから粗末な宿に泊まってきたが、それとも違っている。
そこでようやく、自分が馬車の中で寝泊まりしていることを思い出した。
となれば、床が堅いのは道理である。
だが、異変はそれだけではない。なんだか軽い圧迫感があるのだ。
リーシャはその原因を知るべく、体をもぞもぞと動かした。そうすると、尻尾がうまく動かない。
どうなっているのかと、振り向くようにそちらに視線を向けると――リーシャの尻尾を抱きかかえて幸せそうに眠っている男の姿があった。
(私の尻尾は抱き枕ではないぞ!)
そう言わんとしたリーシャであったが、あまりにもヴェイセルが幸せそうにしているものだから、そんな気持ちはあっという間にしぼんでいった。
そうなると今度は、
(うむ、それだけ私の尻尾を気に入っているということだろう)
などと満足してしまうのがこの少女である。
だけどやはり年頃の乙女なので、こうも無造作に扱われると、
(もうちょっと、丁寧に扱ってくれてもいいんじゃないか。女性として扱ってくれても……)
という気分にもなってしまう。
リーシャは狐耳を前後にぱたぱたと揺らしながら、そうして懊悩していた。
が、そんな悩ましくもちょっぴり嬉しい時間はいつまでも続かない。軽くノックの音が聞こえたのだ。
「起きてるぞ。誰だ?」
「リーシャ様。ミティラです。入っても?」
「ああ、構わないぞ」
ミティラは中に入ってくると、寝ぼけ気味のリーシャを眺める。彼女の着替えなど、日常の雑事を手伝っていることもあって、ごく自然にやってきたのだが……。
「まあリーシャ様、もうそんな仲になったのですね」
視線はリーシャの尻尾に向けられている。
「ち、ちちち違うぞ! そんなんじゃない! こいつが勝手に抱きついてきたんだ! おいヴェイセル、お前もいつまでもそうしてるんじゃない!」
慌ててリーシャは尻尾をぶんぶんと勢いよく振ると、大きな尻尾は力任せにヴェイセルの腕を脱出し、彼の手を払い顔をぶっ叩き、大暴れする。
何度も叩かれたヴェイセルはようやく目を覚まし、そこで荒ぶっている金色の尻尾を見て、今日もリーシャ様は元気だ、と大きな欠伸をした。
◇
リーシャの着替えがあるから、と馬車を追い出されたヴェイセルは、寝癖もそのままに、欠伸をしながら歩いていく。
「人間は起きてすぐ動けるようにはできていないというのに、どうしてこんなことになったのやら……」
ヴェイセルは王宮で寝ていた頃を懐かしく思う。いつも昼過ぎまで寝ていたから、早くから起こされると、リズムが狂うのだ。
これまで重要な任務もこなしてきた彼は、数日寝なかったり、昼夜を逆転させたりと環境を変化させても最善の状態に移行できるよう、訓練も積んでいる。
しかし、それとは話が別で、眠いものは眠いのだ。
原因は間違いなく、このいつでもどこでもすぐに寝られる特技を持つ男が、寝ようと思っても寝られなかったことだろう。
隣にリーシャがいると思うと、とても安心する一方で、緊張もしてしまったのだ。一国を滅ぼさんとやってきた魔物よりも、ずっと手強い相手である。
(……このままでは寝不足で死んでしまうんじゃないか)
そんなことすら思うヴェイセルは、めいっぱいに空気を取り込むべく欠伸をする。
と、ささやかな幸せすら許されないのだろう、寝起きの頭に響く声が聞こえてきた。
「ゴブゴブ! ゴブ!」
見れば、鳥の巣ならぬゴブの巣は一晩の間にいろいろ改修されて、各ゴブリンが住みやすいようにバルコニーだとかリビングだとか、空間が分けされている。といっても、全部小枝などを組み合わせただけなのだが。
「くそ、燃やしてやる、あんなもの」
ヴェイセルは悪態をつきつつも、燃やすとなれば周辺に被害が出ないようにせねばならないため、その手間を考えるとすぐに面倒くさくなった。
どこか寝られる場所はないか、と考えたところで、そもそもここに顔見知りがほとんどいないことに思い当たる。
(まったく、上司に挨拶くらいしにきてもいいだろう。いや、それはそれで面倒くさいな)
などとろくでもないことを考えていたヴェイセルは、リーシャの荷物がある馬車に辿り着いた。
早速ヴェイセルは、
「やあ、失礼するよ。アルラウネ、寝床を追い出されてしまったかわいそうな魔導師をかくまっておくれ」
と中に入っていく。
アルラウネは困ったように彼を見るが、ヴェイセルはさっさと横になってしまう。
「あ、そうだ。陛下に手紙を書いておかないと。アルラウネ、公式な書状用の紙に、今から言うように書いてくれ」
この迷惑な来客は寝転がったまま、アルラウネにそんな注文をつけた。
これに関しては、まともな仕事であるから、アルラウネも文句を言わずに筆を用意する。
「お元気ですか、陛下。盗賊を捕まえました。これで全員です。詳しいことは彼らから聞いてください」
ヴェイセルはそれだけを言うと、寝返りを打つ。
すらすらと筆を走らせていたアルラウネは次の言葉を待っていたが、一向に続きは出てこない。
「書けた? それじゃあ、サインを入れるよ」
ヴェイセルはアルラウネから紙を受け取ると、懐からペンを取り出した。宮廷魔導師に配布される魔力感応式ペンで、色や質感から個人の識別ができる代物だ。
それでさらさらと署名を書き加えると、ヴェイセルは魔法道具を取り出して、ヤタガラスに書状を咥えさせて、空に放った。
面倒なことはおっさんや陛下がなんとかしてくれるだろう。
そう思って、ヴェイセルはアルラウネの花弁を枕代わりにして、寝転がった。
◇
暖かな陽気の中、心地よくなっていたヴェイセルは、目覚めるとにこやかなミティラの顔を見て、もうお昼ご飯の時間かな、と起きたばかりにもかかわらず、胃袋を期待に膨らませつつあった。
「ねえヴィーくん。どうしてアルラウネの上に寝ているの?」
「いや、その……嫌じゃなかったよな、アルラウネ?」
ヴェイセルが助けを求めるように尋ねると、アルラウネは頬を染め、恥ずかしげに頷きつつ、顔を逸らした。押しに弱い性格の魔物だった。
「あのね、ヴィーくん。誰彼構わずそういうことするの、よくないと思うよ」
「誰にでもするわけじゃないさ。ミティラの魔物だからだよ」
「もう……誰にでもそんなこと言ったらだめよ」
ミティラは銀髪をくるくると弄びながら、立ち上がるヴェイセルに視線を向ける。こちらもなかなか押しに弱い主人だった。
「それで、お昼ご飯のお誘い?」
「もう、私はヴィーくんのお母さんじゃありません。……リーシャ様からの命令よ。『お前は当てにならないから、家は私が作る。その間に、付近の調査に行くといい』だそうよ」
「うーん。それ、俺がやらなくてもいい仕事じゃない?」
「でも、ご指名だから。リーシャ様のね」
そう言われると、ヴェイセルは渋々調査に赴くことにした。
馬車を出てみると、兵たちと緑の小鬼たちが盛んに動き回っている。そしてそれを指揮しているのは、金髪の少女。
「そうだ、その調子でどんどん組み立てるがいい!」
ゴブリンに向かってそんな台詞を吐く姿はヴェイセルよりよほど様になっている。
(あれ俺の魔物なんだけどなあ……まあいいや)
楽しげにしているリーシャのところに行くと、ヴェイセルはビシッと姿勢を正す。
「このヴェイセル、付近の調査に赴くお役目を拝しました。つきましては、その……ゴブリンをお借りしたいのですが」
すっかり下手に出るヴェイセル。宮廷魔導師の威厳などあったものではない。いや、もともと存在していなかったものだが。
「しょうがないな、貸してやろう。何匹だ?」
「四十匹くらい……」
「ダメだ、十匹」
「そこをなんとか、二十匹に」
「じゃあ十五匹な。ほら、さっさと行ってこい」
ヴェイセルは十五匹のゴブリンを集めると、それらに板を持たせた。そして自分はその上に乗って寝転がる。
「よーし、出発。ゴブリン進行!」
合図とともに、ゴブリンがえっさほいさと声を上げながら動き始めた。
兵たちはその様子にあきれかえっている有様である。
彼の様子を見ていたリーシャはミティラに、
「あそこまで行くとやる気なし魔導師もいっそすがすがしいな」
と感心するのだった。