68 春風とともに
うららかな陽光の中、やる気なし魔導師は今日もお昼寝していた。
冬が過ぎ去って間もなく、まだ肌寒さを覚える温度であるが、そよそよと吹きつける風が心地いい。
そのままいつまでも寝ころがっていたい気分であったが、ふさふさした尻尾に叩かれると、目を開けてそちらに視線を向ける。
「リーシャ様。一緒にお昼寝どうですか?」
「そうしたいのはやまやまなんだがな。やる気なし魔導師が適当な報告書を書くから、その対応をしなければならないんだ」
彼女はヴェイセルを見つつ、一枚の紙をひらひらさせる。
そこには王からの返信が書かれている。ちょうど一年が経過したため、この開拓村の状況などをまとめて送った報告書に対するものだ。
「うーん。リーシャ様が送った一年の収支報告書に問題はなかったんですよね?」
「当たり前だ。お前と違っていい加減なことはしないからな」
「さすがはリーシャ様です。はて、ではなにが問題なんでしょう? 俺は問題提起されるほど、長い文章は送っていないんですが」
「だから質問が大量に来ているんだ。なんだこの報告書は」
ヴェイセルは欠伸をしながらまじまじと眺める。
そこに書いてあるのは、「○○ダンジョン。異常なし」といった羅列と、それに対する仔細の要求である。この返答の如何では、派兵の中止も考慮しなければならないとのことだ。
「単純明快で素晴らしい報告書じゃないですか。形式に囚われるのはよくないですよ」
「そうじゃない。情報がなにも書かれていないんだ」
「そう言われましても……どんな魔導師が調査に行ったって、結果は同じですよ。結論は不明なんですから」
「だからといって、これはないだろう?」
「あれ、リーシャ様が確認を取ったはずですが」
「お前が期限ギリギリまでやらないから、仕方なく承諾したんだ。形式的に概要だけ先に送るということにしてな。私の信頼にも関わるんだぞ?」
「それは大変ですね」
「まったくだ。というわけで、早速作業を始めるぞ」
「ここで、ですか?」
ヴェイセルが首を傾げたときには、リーシャの魔物である天狐が道具一式を咥えて持ってきていた。
リーシャは台の上に紙を乗せて筆を執る。
「まずは最初のダンジョンだ。あそこはウンディーネがいたな」
「ええ、ゴブリンに水汲みをさせていますし、管理にも問題ないでしょう」
「……懐かしいな。お前が水浴びに乱入してくるのを思い出した」
「仕方ないじゃないですか。リーシャ様のピンチだと思ったから、駆けつけたんですよ」
「お前が来るときは、だいたいろくでもない機会だがな」
そんな賑やかな話をしつつ、リーシャは尻尾をぱたぱたと揺らしていた。天狐はすっかり丸くなって欠伸をしている。
思い返せば、あれからいろんなことがあった。
魔女の館ではマモリンゴが取れたし、ユニコーンがいたダンジョンでは女装させられた。灼熱地帯では鉱石が取れたし、あれをきっかけにエイネとレシアも来てくれることになった。海中の調査では皆で海水浴を楽しんだし、レシアと釣りをした滝では、嫌がらせ魔導師との対決もしている。コガネバチを捕まえたときは、ゴブリンにつまみ食いとばかりに料理を食われてしまったし、温泉を出してエイネやレシアと一緒に入ったり、雪が降って洞窟に避難したり、いろいろな思い出がある。
「……結局、寒冷化の原因はどうなったんだ?」
「さあ、どうなんでしょう?」
「それを調べるのがお前の仕事だろう」
「とはいえ、春になったら雪も解けてしまいましたから。元どおりになっているんじゃないですか?」
「そうか、なにもわからないということだな。なら、調べに行こうか」
すらすらと筆を走らせていたリーシャは、ダンジョン調査のまとめを書き上げると、ヴェイセルに視線を向けた。
「……今日はせっかく天気がいいですし、やめておきましょうよ」
「お前は悪天候でも、同じことを言うじゃないか。まったく」
呆れ気味のリーシャに引っ張られながら、ヴェイセルは渋々、彼女と一緒にダンジョンに赴くことになる。リーシャは一人でも行くだろうが、危険なところに一人で行かせるわけにはいかない。それに二人でいるのは悪くなかった。
リーシャが荷物を片づけてくると、いよいよ天狐に乗って二人はダンジョンに向かい始めた。
北はまだ雪解け水が残っていて、足元がぬかるんでいる。天狐が駆けるたびに泥水が跳ねていた。
木々の合間からは野生のゴブリンがひょこっと顔を覗かせるも、天狐を見ると慌てて逃げていく。
「なあヴェイセル。こうして二人で出かけるのも久しぶりだな」
「そうですね。最近は皆で出かけることが多くなりましたから。……実はなにか、胸のうちに抱えていた不満があったりするんですか?」
「そういうわけじゃない。開拓村が賑やかになって、私も喜ばしく思っているぞ。……ただ、たまには昔を懐かしく思っただけだ」
リーシャはこてんと倒れ込んで、ヴェイセルに体を預けた。
北に来たばかりのときは家なんてなかったから、馬車の中で寝泊まりをしていた。そんなとき、ヴェイセルは一緒に寝てくれたのだ。
このやる気なし魔導師でも、こうして触れていると頼もしく思えるものである。もう少し、配慮してくれればとは思うのだが、それはこの魔導師の柄ではない。
けれど、さすがにこの雰囲気を察して、お互いにそのまま無言になるのだった。
やや足をゆっくりにしていた天狐も、やがてダンジョンに辿り着く。リーシャとミティラの二人と一緒に水浴びに来たところだ。果たして、ウンディーネたちはどうしていることか。
天狐と一緒に進んでいくと、やがて湖が見えてくる。しかし、これまで見てきたときとは違って、岸辺まですっかり水浸しになっていた。雪解け水が流れ込んできたのだろう。
「ウンディーネも流されていないといいけれど」
ヴェイセルは契約している個体を呼び出してみると、小さな水の人型が彼の肩の上に乗った。そしてぴょんと水の中に飛び込むと、やがて数体のウンディーネを連れて戻ってきた。
どうやら無事らしい。
「すっかり雪が積もっていたけれど、大丈夫だったかい?」
尋ねてみると、湖の表面は凍っても中まではそうならなかったらしい。
さて、そうして話を聞いてみると、あの寒冷化でダメになってしまった植物なども少なくないようだが、ダンジョンが活性化してきて自然は豊かになったそうだ。
「寒冷化後も影響を受けているということは、やっぱり一過性のものでなく、ダンジョンは全部繋がってると見てよさそうですね」
「となると、大元を探さないといけないな」
「……それはまあ、追々やっていきましょう」
「その言葉を当てにするなら、また来年になってしまうじゃないか。今年こそ調査を進めるんだ。そうして開拓者として、正式にこの土地をもらう」
リーシャはそう宣言する。
始めに開拓村に来たときに言っていたことだが、諦めてはいなかったようだ。
「このヴェイセルも、リーシャ様を応援しています」
「なにを言っているんだ、お前は。私だけじゃなく、お前も一緒に治めていくんだぞ? ……それとも、私と一緒は嫌か?」
リーシャはうつむきがちになりながら、チラチラとヴェイセルを見る。期待と不安で揺れる尻尾を見て、ヴェイセルも嫌だなんて、言えるはずがなかった。
「いいえ。リーシャ様。これからも一緒に過ごす日々を楽しみにしています」
ヴェイセルが微笑むと、リーシャの狐耳がぴょんと跳び上がった。
そして顔を赤らめた彼女は、「やる気を出してくれて嬉しいぞ」なんて誤魔化しながら、ぶんぶんと激しく尻尾を揺らすのだった。
春一番の、心温まる一日であった。




