52 腹ぺこ魔導師、頑張る
迫るドラゴンを見て、イリナは大慌てになる。彼女は戦いの経験が豊富なわけではない。そしてケルベロスの上ではゴブリンが邪魔をしているため、そちらも動かせない。
ヴェイセルはイリナから距離を取るためにドラゴンのところへと向かっていくと、牙を剥き出しにして襲ってくる相手を見据える。
きっと、ヴェイセル程度なら丸呑みにしてしまうだろう。大きな口は、満たされない食欲を反映していた。
だが、お腹が空いているのはヴェイセルも同じこと。これは戦いなのだ。
「悪いが、お前の食事をいただく!」
ヴェイセルは軽く跳躍してドラゴンの背に乗ると、魔力を込めた手を近づけて、魔物の中に宿っている精霊を引っ張り出そうとする。
だが――。
「うわっ!」
ヴェイセルは振り落とされてしまい、ドラゴンは大きく吠える。
彼は地面からその竜を見ながら、実感したのだ。
精霊は魔力を好む性質があり、強い魔力を感じれば肉体を捨ててでもそちらに向かってしまう。
だが、このドラゴンはそれすらも超えた食欲でいっぱいだったのだ。つまり腹ぺこなのである。
ヴェイセルはその相手を見て、ふと口の端をつり上げた。
「そうか、お前もお昼寝から目覚めて、飯を食っていないんだな。だが、いつまで耐えられることか。特上の魔力を浴びせてやる!」
ヴェイセルは迫ってきたドラゴンを回避すると、咄嗟に手で触れる。その一瞬で、彼の身から溢れ出す膨大な魔力がドラゴンを魅了する。
動きが鈍ったところで、ヴェイセルはさらに追撃しようとする。が、ドラゴンは前足を思い切り打ちつけようとしてきた。
彼は咄嗟に距離を取ると、節約している場合でもない、とフェンリルの魔法道具を使用する。
途端、彼の近くになんであろうと縛る縄グレイプニルを生じさせると、勢いよくドラゴンに絡みつかせた。
ランク5の魔物の攻撃だ。強力なドラゴンといえども、束縛されては微動だにできない。
「観念するがいい」
ヴェイセルはその魔物に手を触れる。
膨大な魔力が伝わると、精霊が抜け出てきそうな雰囲気があった。
「ォオーン……」
ドラゴンは悲しげに鳴く。もうこのままではどうなるのか、理解していたからだろう。
ヴェイセルはふと、手に魔力を込めるのをやめた。そして魔法道具の使用も。
そんな彼のところに、イリナがやってくる。
「ヴェイセルさん、倒したんですか?」
「いや、生かしているよ。……こいつがいなくなったら、誰もこの植物の世話をすることもなくなるだろうし、襲ってきたのも俺が無法にも入っていったからだ。こいつはただ、飯が食いたかっただけなんだよ。腹が減るのを憎んで、ドラゴンを憎まずというやつだ」
ヴェイセルはそう言うと、うんうんと頷く。
このドラゴンがダンジョンの成因なわけでもないし、これといった害があるわけでもないなら放っておいたほうが、むしろ自然な環境である。
そんなヴェイセルだったが、次の瞬間、ドラゴンの尻尾を打ちつけられた。
「いてえ! こいつ、なにしやがる! ぶっ倒してやる!」
思わず魔法道具で攻撃しようとしたヴェイセルだったが、ドラゴンはのそのそとその場を去っていく。
単にヴェイセルに敵わないと見て離れたのか、それとも思いが伝わったのかはわからない。だが、ずっと愛着を持って育てたこのブドウを捨ててしまうことはないだろう。
「さあ、挿し木する分だけもらっていこうか」
ヴェイセルは早速、ブドウを選ぼうとするが、いくつかの実をつまんだところで、手を止めた。
「味見しないんですか?」
「うーん。ゴブリン、おいで」
ヴェイセルに手招きされるがままにやってきたゴブリンは、口にブドウを放り込まれると、早速皮ごといってみる。
途端、パンッ! といい音が響いた。
「ゴブッ!?」
驚くゴブリン。無理もない。このブドウは仰天ブドウと呼ばれるダンジョンの作物である。
魔物に食われないよう、爆発するように進化してきたのだろう。しかし、大食ドラゴンのような口内が丈夫な個体であれば、気にせずに食ってしまうようだ。
しかし……
「ゴブリン、ぐったりしているな」
こちらはダメだったようである。食べてそのうまみと衝撃にびっくりするもので、好む貴族もいるそうだが、ゴブリンの口には合わなかったようだ。
仕方がないので、ヴェイセルは持ってきた容器の中で潰して、その液体を舐めてみる。いくつか試してみるも、そもそも彼は料理などしないため、加工した際の善し悪しはわかっていない。とりあえず何本か、よさそうなのを持っていくことにした。
「よし、これでリーシャ様も満足してくれるだろう」
ヴェイセルはそう思ったが、はたと気がついた。
「あれ、これじゃあ腹が膨れないぞ。俺のご飯、どうすりゃいいんだ……」
「大丈夫ですよ! 頑張ったヴェイセルさんにご褒美がありますから! ミティラさんも今頃きっと、おいしい料理を作って待っていますよ」
「それは楽しみだ。……うん? それって、俺がここに来る必要なかったんじゃ……」
ヴェイセルが真実に気づいてしまうと、イリナは狐耳を立てた。
「さっき言ってたじゃないですか! 明日も、明後日も、おいしい食事をするために来たって!」
「そういえばそう言ったっけ」
「ですから、来た甲斐があったんです!」
力説するイリナに、ヴェイセルは押されて納得するしかなかった。「それに……二人きりですし。えへへへへ」というイリナの呟きは、ヴェイセルとゴブリンの腹の音に被って、聞こえなかったようである。
それから仰天ブドウの枝を箱に詰めたヴェイセルは、ケルベロスに乗って帰途に就く。目的も達成したので、ほくほく顔だ。
(さて、ミティラの料理はなんだろうなあ)
それを思い浮かべ、ヴェイセルは涎が出そうになるのを抑えるのだった。
◇
イリナのケルベロスに乗って帰ってきたヴィレムは、上機嫌なリーシャに迎えられた。
「どうだった? いいものは見つかったか?」
わくわくした顔の彼女を見ているとヴェイセルは、
(うーん。たまに働くのも悪くないかな。本当にたまに、だけど。できれば一週間のうち六日くらいは休みがほしいな)
などと、珍しいことを思うのだった。
彼にとって、それほどまでに彼女の笑顔は奮起材料なのである。
「とてもいいものが取れましたよ。見てください」
ヴェイセルはそう言いながら、イリナから受け取った箱の中身を見せる。ぐったりしたゴブリンがいた。
「……これがなんだ?」
「間違えました。こっちです」
別の袋の中を見せると、そこには黒いぴかぴかの果実のついた挿し木があった。リーシャは狐耳をぴょこんと立てた。
「なるほど、仰天ブドウか」
「ご名答です。というわけで、次はワインを作りましょう。シードルとミード、ワインがあれば、そこそこ酒類としての品揃えとしては悪くないんじゃないでしょうか」
それだけでは出し物としては少し物足りない感じはあるが、酒好きの村人ならば、直接買うよりもずっと安上がりで普段は口にできないものが飲めるのだ。きっと来てくれることだろう。
「うむ。そうだ、ヴェイセル。ミードが一応できたんだが、味見しないか?」
「ご飯前なのですが……胃の中が空っぽなので、すぐに酔っ払っちゃいますよ」
「そっか。せっかく作ったんだけどなあ……」
リーシャは狐耳を倒し、しょぼんとしてしまう。さすがに彼女のために働いてきたヴェイセルに無茶を言うことはしないのである。
「ちょっと酔っ払ってしまっても、無礼講ということにしてもらえますか? リーシャ様が作ってくれたんですから、楽しみにしていたんですよ」
「本当か? じゃあ味見を頼んだぞ?」
嬉しげなリーシャはにこにこしながら、養蜂場で働いていたゴブリンを呼ぶ。そうすると、やつが瓶を抱えて持ってきた。すっかり飼い慣らされているようだ。
きらきらと綺麗な黄金のミードが、ガラスの瓶の中できらめいている。それは見ているだけでも心が動かされてしまう美しさだ。
笑顔のリーシャが注いでくれると、それだけで最高のエッセンスになるのだった。
「それでは、いただきます」
ヴェイセルは早速、蜂蜜酒を口にする。
濃厚な甘みが広がっていき、思わず唸ってしまう。
「随分と甘いけれど、すっきりしている。果汁とかと合わせてもいいな」
「そうか、うむ。それなら出し物としても申し分ないな」
「ええ、リーシャ様、お祭りが楽しみですね」
「気が早いぞ。これからワインセラーも作らないといけないんだからな。まだまだやることはいっぱいだぞ?」
そんなことを言いつつも、リーシャは尻尾をぱたぱたと振っている。
ミードを呑みながらリーシャを見ていたヴェイセルだったが、甘みが強いため、満腹感がやってきた。そうなれば、次の欲求は決まっている。
「ふああ……眠くなってしまいました。では、無礼講ということで。お休みなさい」
ヴェイセルは欠伸をしながら、近くでマモリンゴのなっている木々の側にアルラウネの姿を見つけると、そこまで行ってごろりと横になった。日向ぼっこにはいい天気だ。
イリナとリーシャは、ぽかんとしながら、アルラウネに撫でられているヴェイセルを眺める。
「お腹空いていたって言っていたんですが……どうしましょう? 夕飯、作っておきます?」
「朝食のほうがいいかもしれないぞ?」
リーシャがそんな冗談を口にする。さすがに夜になれば、アルラウネも光合成をやめて家に入るだろう。
「まったく、仕方ないやつだな」
リーシャは嬉しげにそんなことを言い、イリナはヴェイセルのところまで駆けていくと、その横にぴったりとくっついた。
リーシャが慌て、
「おい、イリナ。なにをしているんだ?」
と問うと、彼女は機嫌よく尻尾を振る。
「無礼講なんですっ」
そう返されてはリーシャもなにも言い返せない。仕方がないので、反対側にくっついた。
「うむ、無礼講だから、仕方ない。今日は無礼講なんだから」
居眠り魔導師にくっつきながら、頬を緩めるリーシャであった。




