5 現れし魔物たち
「ヴィーくん、ねえ起きて」
そんな声が聞こえるも、ヴェイセルはごろりと寝返りを打った。そうすると、体が痛む。痛いのは腰だけじゃない、全身だ。寝ている床が堅いのだ。
「うーん。枕、枕……」
「なに寝ぼけてるんだ、ヴェイセル。起きろ」
ヴェイセルはぼんやりとしていたが、次の瞬間、彼は顔を柔らかいもので叩かれた。やけにふわふわしたそれが何度も何度も顔をはたくと、ヴェイセルもようやく目を覚ます。
そして目の前で揺れている尻尾と、それに合わせて小さく動く尻が見える。
「リーシャ様、おはようございます」
「ああ、おはよう……って、そんな尻ばっかり見つめるなよ、もう」
「そんな……リーシャ様が向けてたんじゃないですか」
ヴェイセルは大きく伸びをしてから、リーシャの尻尾をまじまじと眺める。そうすると彼女はさっと尻尾を背後に隠してしまう。
「ヴィーくん、鼻の下伸ばしてて、かっこわるい」
ミティラに言われると、ヴェイセルは彼女のほうに向き直った。
「そう拗ねるなよ、ミティラの尻尾もちゃんと見るからさ」
「そんなことされて嬉しいの、リーシャ様くらいよ」
「わざわざ起こした理由、それじゃないのか」
「当たり前じゃない。魔物、そろそろ生えてきてるよ」
畑に植えていた魔物がどうなったのか、ヴェイセルは重い体を動かして、渋々見に行くことにした。
馬車から降りると、兵士たちがテントを張っているのが見えた。彼らは今晩、あの中で過ごすのだろう。
しかし、ヴェイセルはそういうわけにはいかない。リーシャから、住むところをなんとかするように仰せつかっているのだ。
そのための計画通りにいけばいいのだが……。
畑を見たヴェイセルは、緑色の頭が生えてきているのを見つける。一定間隔で魔石を埋めたところから出てきているそれのところまで行って、ヴェイセルは腰を落とした。
そして両手でしっかりと緑の頭を掴み、
「よっこらせ!」
一気に引っこ抜く。
出てきたのは緑色の小鬼、ゴブリンである。耳と鼻が大きく、三、四頭身しかない。陽気な表情のせいか、腰蓑と棍棒を握っているが野蛮さは感じられなかった。というか、ちっとも頼りになりそうに見えない。
「まあ、こうなるよなあ……」
「ヴェイセルは魚の骨を埋めてたからな。当然だろう」
リーシャは肩をすくめる。
ヴェイセルも予想できていたとはいえ、落胆は隠せない。
ゴブリンは、「ほかの魔物の条件に合致しなかったらできる」いわばハズレなのだ。
力も知能も低く、契約して使える魔法は棍棒を生み出すくらい。土の中に石があるから、ゴーレムなど石の魔物でもできないかなあ、という淡い期待は見事に打ち砕かれた。
「ゴブゴブ」
そんな声を上げているゴブリンに、ヴェイセルは命じる。
「よし、埋まってるゴブリンを引っこ抜いてくれ」
「ゴブ!」
命令されたゴブリンは、ほかの埋まっているゴブリンを引っこ抜き始めた。一体引っこ抜くのに随分時間がかかるが、少しずつ頭数が増えていくため、全部が揃うのに時間はかからなかった。
そんなゴブリンに集合の命令を出して一カ所に集める。数十体ものゴブリンが集まってくると、何事かと、兵たちも見に来た。
「お前たち。住むための家を作ってくれ。頼んだぞ! 材料はすぐ近くの森から取ってきてくれ」
ヴェイセルが命じると、ゴブリンたちが声を上げながら、あちこち散らばっていく。リーシャは楽しげにそんなゴブリンを眺めている。
それを見届けたヴェイセルは、呆然としている兵たちの隣を横切って、再び馬車に乗り込んだ。
そのあとを追っていくのはミティラ。
「ヴィーくん。本当に大丈夫なの?」
「戦いは数だって言うだろう? うん、きっと大丈夫。なんとかなるって。俺を信じるな、あいつらを信じろ」
「ヴィーくんは信じちゃだめなのね」
彼女は苦笑いするしかない。
なんせヴェイセルはごろりと横になってしまうのだから。
「なあミティラ」
「なにかしら?」
「床が堅いんだけど……尻尾貸してくれない?」
「そういうことは、リーシャ様に頼んでね」
彼女はヴェイセルの隣に腰掛けて、これ見よがしに銀の尻尾を振ってみせる。リーシャのものとは色合いが違うが、こちらも美しい毛並みだ。
ヴェイセルはそれを見て、
(うーん。俺もあれくらいふわふわした魔物を従えていれば、枕にするんだけどなあ)
などとばかげたことを考えるのだった。
ミティラは馬車の中から、外の様子を眺める。動くゴブリンを見ているリーシャは尻尾を振ったり、応援したりしていた。
そんな彼女を見て、すぐに飽きそうね、とこれまた苦笑いするのだった。
◇
「おいヴェイセル! 話が違うじゃないか!」
と、飛び込んできたのはリーシャである。
ごろごろしていたヴェイセルは、急な彼女の訪問にゆっくりと反応するも、リーシャの尻尾がピンと立っているのを見るなり、あまり刺激しないようにきびきびと対応することにした。といっても、普段の彼に比べて、という程度なのだが。
「どうしたんですか、リーシャ様」
「どうしたもこうしたもあるか。外を見るがいい」
リーシャに引っ張られながら馬車の外に連れ出されたヴェイセルは、そこにあるものを見て口をぽかんと開けた。
それはさながら巨大な鳥の巣。
木の枝を組み合わせて作った塊である。そのあちこちから緑色の小鬼が顔を覗かせている。そして機嫌よさげに「ゴブゴブ」と鳴いている。
ヴェイセルは先ほど、魔物に命じた言葉を思い出す。
(家を作れとは言ったが……人間の家とは言ってなかった!)
ゴブリンたちは、ヴェイセルの言葉を「(ゴブリンが)住むための家を作ってくれ」と解釈したのである。
これは明らかにヴェイセルのミスである。が、よくよく考えてみると、それ以前の問題の気がしてくる。
人の家を作れと言ったところで、このゴブリンたちができるのか? 否。やつらにそんな知能はない!
これではリーシャに怒られてしまう。ちらりと彼女の様子を窺うヴェイセル。
背を向けているため見えるのは彼女の尻尾なのだが、毛はやや逆立ち気味である。
(これは怒ってるよなあ。絶対怒ってるよなあ。まずい、これはまずいことになった!)
どうしよう、どうしよう、と考えるヴェイセルだったが、すでに日は沈みかけている。今から家を建てるなんて無茶はとてもできない。
いや、やろうと思えばできるかもしれないが、夜中にできあがったところで、すでにリーシャは寝ているから意味がない。
「なあヴェイセル」
「はい」
「今晩、私はどこで寝ればいいんだ?」
「その……馬車の中で我慢していただくことは……」
ヴェイセルはおそるおそる、リーシャを見る。尻尾の様子は先ほどと変わっていない。
「馬車には扉がないから、寒いよな?」
「このヴェイセル、リーシャ様が寒くないよう、精一杯努めさせていただきます」
ヴェイセルはリーシャが見てもいないというのに、背筋を伸ばした。
「うむ。よい心がけだ。一晩中、頑張るといい」
リーシャの尻尾がゆっくりと下がっていく。ヴェイセルはほっと一息ついた。
そんな彼女はくるりと振り向くと、ヴェイセルの横を通り過ぎて、馬車の中に入って座り込む。
「ほら、寝る準備をするぞ」
「はっ! ただいま! 少々お待ちください!」
ヴェイセルは慌てて駆けていき、ミティラを探しつつリーシャの荷物のところに行くと、アルラウネが荷物番をしていた。
「も、毛布! 毛布をくれ! リーシャ様の毛布!」
アルラウネはそんなヴェイセルを見て小首を傾げるも、荷物の中から毛布を出してくれる。
「よかった、リーシャ様の毛布……!」
安堵の表情を浮かべるヴェイセル。
「ヴィーくん。リーシャ様の毛布抱きかかえてなにしてるの? ちょっと引いちゃうかな」
振り向けば、ミティラが眉をひそめていた。
「待ってくれミティラ。君が思っているのは勘違いだ」
「ヴィーくんがリーシャ様の毛布を抱きかかえて恍惚としている、としか言ってないけれど」
「さっきより増えてる!? というかそんな状況じゃないから!」
ヴェイセルが焦ると、ミティラはくすくすと笑う。
そこでようやくヴェイセルはからかわれているのだと気がつくのだ。
そんなミティラを見ていると、ヴェイセルはなんだか焦燥感が一気にかき消えていく心持ちになる。
「っと、それどころじゃないんだった。リーシャ様が待ってるんだ」
「うん、そうだろうね。これも持っていくといいよ」
ミティラが渡してくれたのは、狐のぬいぐるみである。
「リーシャ様のお気に入り。汚しちゃだめだよ?」
「ありがとう! おかげで助かった! 君は最高だ!」
「もう、調子がいいんだから」
はにかむミティラはちょっと嬉しげに尻尾を揺らしていた。