41 水の少女とおとぼけ魔導師
北の空を機神兵が進んでいく。
その上に寝ころがったヴェイセルは、流れゆく雲を眺めていた。
なんとも平和な時間であったが、急に押し潰されるような力が加わって、慌てて体を起こした。
「降下しているから、気をつけてねー」
どうして周りの少女たちはいつも、行動を起こしてから注意喚起するのだろうか。自由すぎるのではないか。これではおちおち寝てもいられない。
ヴェイセルはそんなことを思っていたが、やがて眼下に視線を向けた。そこにはウンディーネの湖がある。
それから機神兵の上に載せている水槽を見る。そこでは救い出したウンディーネたちが狭そうにしながらも、動き回っていた。
やがて機神兵が大地に降り立つと、乗客は皆が飛び降りる。そして機神兵が水槽を湖へと傾けた。
水が流れ出し、ウンディーネがはしゃぎつつ湖へ戻っていく。これにて一件落着ということになるだろう。
「うーん。それにしても今日は忙しい一日だった。よく働いたなあ」
こんなにも疲れることになるとは、出かけたときには思ってもいなかった。とはいえ、これで目的も果たしたはずだ。
「そういえば、ランク6の魔物いなかったな」
リヴァイアサンは確かに強い魔物だが、ランク5だ。
エイネに任されていた約束はまだ果たされていない。といっても、そちらはそもそもいるのかどうかも怪しい。
「まったく、ヴェルくん。ちゃんと仕事して?」
「ちょっと待ってくれ。それに関しては、俺に非はないんだが……。たまには頑張って朝から働いている魔導師を褒めてくれ」
ヴェイセルが言うと、エイネは視線をリーシャに向けた。そうすると彼女はちょっと顔を赤らめて、それからヴェイセルのほうをちらちらと窺う。
一歩踏み出そうとしては止め、また一歩踏み出そうとして……。そんなことをしていると、ヴェイセルを後ろから抱きしめる存在がある。
「ヴィーくん、いい子いい子。頑張ったね。偉い偉い」
頭を撫でるミティラは、すっかり子供をあやすような態度だ。
普通ならちょっと小馬鹿にされていると感じるところだが、まさしく優しげに思われるのは、この少女の魅力のせいだろうか。
そんなミティラにヴェイセルは、
「そうそう。俺は今日頑張ったし、とっても偉いぞ」
なんて調子に乗ってみる。偉ぶれば偉ぶるほどに、宮廷魔導師の威厳はなくなった。元々欠片もありゃしなかったが。
それを見たリーシャは、ぷくっと頬を膨らませた。
「なんだヴェイセル。鼻の下を伸ばして。だいたい、お前より私のほうが偉いじゃないか。お前が今日やったことは――」
そこまで言ったリーシャは、急に顔を赤らめた。
ヴェイセルが今日やったことは、湖の調査と海でのウンディーネの救出。一方でリーシャにしたことに関しては、お子様水着も破廉恥水着も似合うと言い、水着を掴んで消し飛ばした。
だけど、リーシャには抱きかかえられた思い出もあった。そして救い出してくれた真剣な彼の表情も。
だから次の言葉も出てこなかった。
が、そうしているとレシアまで無表情でヴェイセルの頭を撫で始める。
「偉い偉い。ヴェルっち偉い」
「もうちょっと感情込めてほしいものだがなあ。ゴブリン撫でているときのほうがまだうきうきしているじゃないか」
「じゃあヴェルっちもつるつるにしてみる?」
「俺に似ていると言っていたゴブリンで満足してくれ」
確かリーシャは、しゅっとしてつるんとしていると評していたはず。
ヴェイセルがそんな二人に撫でられていると、イリナも慌ててやってくる。そして嬉しげに加わると、
「えへへ、御利益たっぷりです。えへへへへ」
尻尾をぶんぶんと振りながら、ヴェイセルの頭を撫でたりお腹を撫でたり、好き放題だ。
終いには、肩に乗っていたウンディーネまで、ヴェイセルの頬に小さく口づけをした。
「ヴェイセル! お前は、アルラウネだけでは飽き足らないというのか!」
「なんのことですか? そうだ、もうウンディーネのお願いも叶えたってことでいいんだよな?」
ヴェイセルが小さな水の少女に尋ねると、頷いた彼女はそのままぎゅっと抱きついてきた。
(うーん。これは……もしかして、一緒にいる時間が長かったから、俺の魔力に慣れてしまったのかな?)
彼の膨大な魔力は精霊を引きつけてしまう。魔物に宿っている精霊にはそこまで影響はないと踏んでいたが……。
(いや、そもそも魔力を好むのは魔物の中にいる精霊であって、魔物ではない気がするな)
だとすれば、魔力に引きつけられた場合、肉体を捨てて精霊となってくっついてくるはずだ。
では、なぜこのウンディーネは離れようとしないのだろう?
ヴェイセルが首を傾げていると、なにかが繋がる感覚があった。それは精霊契約を済ませたときのもの。
「……え?」
ヴェイセルが思わずそちらに視線を向けると、小さなウンディーネは彼の首を伝って反対側の肩に行ってしまう。
彼が首を右に左に動かすも、ウンディーネも合わせて動くため結果は変わらない。
このウンディーネの本体はここの湖にいるから、きっとこの分裂した部分だけが一緒に来ることになるだろう。となれば、戦力にはならないし、ヴェイセルがウンディーネの水の魔法が使えるくらいになるだけだ。
ランク4の魔物となれば、いつでも肉体を消しておくことができるため、彼女にとっても負担にはならない。
「なるほど。恩返しということか。ろくな魔法が使えないのを見かねて、助けてくれることになったんだろう。ありがたいなあ」
うんうんと頷く魔導師に、周囲の少女たちは呆れ果てた視線を向けるのだった。
◇
村に戻ってきた頃にはリーシャは疲れてすやすやと眠っており、ミティラに抱きかかえられて家へと戻っていった。イリナはそれを手伝い、エイネは機神兵の整備に向かう。
そしてヴェイセルは、出発したときからずっと伐採しているゴブリンに視線を向けた。
「うーん。頑張るなあ。進んでないけど」
それらのゴブリンは「ゴッブッ! ゴブッ! ゴブブッ!」と気合いを入れて石の斧を振るっているが全然木は倒れない。
兵たちが指導しているため、手順を間違えて木の下敷きになることはないのだが……。
「このペースだと、何ヶ月かかるだろうか?」
そんなことすら思ってしまう。
けれど、ゴブリンなら仕方あるまい。きっと、リーシャだって怒りはしないはずだ。彼女は無茶を言うが、できないことをやれと怒ることはない。
ヴェイセルはさっさと家に帰って寝てしまおう。そう思ったのだが、なにか忘れている気がする。
そんな彼の衣服の裾をレシアが引っ張った。
「ヴェルっち。ゴブリンの巣は?」
「あ……」
そういえば、頼まれていた。どうでもいいなあ、という思いがなかったわけではない。だが、今回は本当に忘れていたのだ。
「済まないレシア、今日はもう疲れて動けないんだ。もう少し、期限伸ばしてくれないか?」
「じゃああとで、ゴブリン磨くの手伝って?」
どうやらゴブの巣は崩壊したため、レシアの研究所に入れることにしたようだ。
疲れて動けないと言っているのに、ゴブリン磨きをさせられるなんて、なんという仕打ち。
「浄化槽に放り込むのじゃだめ?」
「あれだけの数、なんとかできる?」
いくらスライムが多いとはいえ、あれほど多くのゴブリンを入れれば、泥だらけになってしまう。かつて、なんでもかんでも突っ込んでスライムがくたばっていたのを思い出す。
けれど、ヴェイセルはぽんと手を打った。
「ウンディーネの力を使おう。水を浄化できるはず」
それならば、多少はスライムの負担も減るはずだ。
レシアはそんなヴェイセルを見て思案するように尻尾をゆらゆらと動かしていたが、
「仕方ない」
と、合格点をくれるのだった。
やがて晩になると、ヴェイセルはゴブリンが列をなして浄化槽に入っていくのを眺めながら、ウンディーネの力を使う。
そんなとき、彼女はぴょこんと現れて、ヴェイセルの肩の上に乗って一緒にゴブリンを眺めるのだった。
湖まで汲みに行っていたが、これで飲み水の確保は楽になった。
もし、ウンディーネが嫌でないなら、それ専用の貯水槽を作ってもいいかもしれない。
「どうかな、ウンディーネ? お願いできる?」
ヴェイセルが頼むと、その少女は水の体をふにゃりと動かして頷いた。
ならば、次は貯水槽を作ろう。
ヴェイセルはどんな風に作ってもらおうかな、と兵たちを当てにして考え始めるのだった。
 




