40 海中調査
海。それは女性を開放的にする魅惑の場所である。
ヴェイセルは波打ち際をチャプチャプと歩きながら、はしゃぐ少女たちを眺めていた。
エイネは比較的近いところで尻尾を揺らしながら犬かきをしているし、反対にレシアは砂浜にパラソルを立てて涼んでいる。
そしてイリナとミティラはヴェイセルのすぐ近くを一緒に歩いていた。
のんびりと、平和な時間が過ぎていく。だが――
「おいヴェイセル! お前はここになにをしに来たんだ!」
リーシャが叫ぶ。
はて、なにをしに来たのだろうか。ヴェイセルはしばし考える。
「水浴びですかね?」
「違うだろう! ウンディーネを探しに来たんだ!」
「そういえばそうでしたね。ウンディーネ、ほら、リーシャ様が探してくれるそうだから、行ってらっしゃい」
ヴェイセルは肩に乗っけていたウンディーネをリーシャの頭の上にぽんと乗せた。なかなか悪くないらしく、ウンディーネは気に入ったようだ。
「ヴェイセル。お前というやつは……」
「あ、すみません。頭の上はいやでしたか?」
「そうじゃない! 任されたのはお前だろう?」
「元はと言えば、リーシャ様が俺にやれと言ったんじゃないですか……」
ヴェイセルはがっくりとうなだれる。
そうすると、ミティラがリーシャの手を取って、ヴェイセルと腕を組ませた。
「リーシャ様は、こう言いたいのよ。『ヴェイセル。一緒に来てほしい。お前がいないと寂しいんだ』って」
ミティラはそんなことを言いながら、二人をくっつける。
ヴェイセルはいまだに衣服を纏っているとはいえ、ほとんど素肌の少女が左からくっついてくる。そして後ろからは、ミティラが首に手を回しつつ、ぎゅっと、ぎゅっと肌が押しつけられる。
ヴェイセルは頭に血が上って、どうしていいかわからなくなる。
「ヴェルくん、泳がないの? 浮き輪上げようか?」
海から上がってきたエイネがそんな呑気なことを言うのに、ここぞとばかりにヴェイセルは頷く。
「泳ぐ。よーし、早速水の中を調べるぞ」
ミティラやリーシャに悩まされているくらいなら、まだ動いたほうがいいと判断した魔導師は、早速魔法道具を使用する。
一瞬で魔力が流れ、彼の肉体を覆うように薄膜が形成され、呼吸も自由自在になる。宮廷魔導師の名は伊達ではない。世界一の魔法道具の技術を持っていると言えよう。
きっと、そんな姿は魔導師としては立派なはずだ。
だが、彼が手にしているのはエイネからもらった女性モノの水着である。やはりしまらないのだった。
水の中へとヴェイセルが駆けていくと、
「えーいっ」
エイネが思い切り彼の背中を突き飛ばした。
もつれ合いながら、水の中へと入っていく二人。
「ぷはっ。いきなりなにするんだよ」
「せっかく女の子が一緒に遊ぼうって抱きついたのに、ヴェルくんは嬉しくないの?」
エイネが小首を傾げる。
嬉しいと言っても、嬉しくないと言っても、いずれにせよ非難されそうな質問である。
そこでヴェイセルはふと、うまく切り抜ける方法を思いついた。
「俺は今、リーシャ様から水中の調査を命じられているんだ。ですよね、リーシャ様」
そうして彼女に視線を向けると頷いていたが、波打ち際からこっちに近寄ってくる気配がない。
「リーシャ様、泳げないんですか?」
「お、泳げないわけないだろう!? 泳いだことがないだけだ。泳げるもん!」
リーシャは胸を張って、てくてくと近づいてくる。が、砂に足を取られ、すてんと転んでしまった。
「きゃあっ」
「リーシャ様、落ち着いてください。膝までの深さしかありません!」
じたばたするリーシャを抱き起こしたヴェイセル。
リーシャは恥ずかしくなって顔を赤らめたが、さらにヴェイセルに抱かれていることに気がつくと、丸くなってますます赤くなった。
リーシャはあまり離れようとする気配がない。ヴェイセルはどうしようかな、と思っていると、いつしかやってきていたレシアがリーシャの頭にくっついていたウンディーネをひょいと取ってしまった。
「リーシャ様。泳げなくても大丈夫」
「そ、そんなことないもん。そんなことないんだから!」
リーシャが弁明する中、レシアは魔法道具を使って、水の中へと入っていってしまった。
ヴェイセルはほっとする。レシアがやってくれるなら、彼女の代わりにパラソルの下でお昼寝しようと。
パラソルだって、使ってあげないとかわいそうだ。
そんな魔導師であったが、いつの間にかぐいぐいと引っ張られていることに気がついた。リーシャが沖のほうへとずんずんと向かっていっているのだ。
「レシアに負けていられないぞ。さあ、行くぞヴェイセル」
やがて意を決したリーシャは水の中へと「えーいっ」と飛び込んだ。魔法道具は一応使えているらしく、水の中でも問題なく呼吸できているようだ。
しかし……彼女はそのままずぶずぶと沈んでいき、やがて海底に辿り着いてしまった。
海中を歩くリーシャの近くをヴェイセルは泳いでいると、リーシャが頬を膨らませて引っ張る。渋々、ヴェイセルも海底を歩くことになった。
さて、ウンディーネの探索だが、やはりヴェイセルはやる気なし魔導師で、自分で探す気などさらさらない。
懐から魔法道具を取り出すと、ヤタガラスを生み出した。こちらも薄膜でコーティングしているため、なんとか水中でも活動できる。
それらを用いつつ、尻尾を揺らして頑張るリーシャの近くを呑気に歩くヴェイセル。
やがて、河口からやや離れたところに、歪んでいる空間が見えた。ダンジョンである。
どうやらそこは水を吸い込むような形になっているらしく、黙っていれば引き込まれてしまいそうになる。
ヴェイセルはひとまず、全員に連絡しつつ、リーシャを小脇に抱きかかえて海上に上がった。
新鮮な空気が素晴らしい。だが、不満げな視線が向けられる。
「ヴェイセル。もうちょっとマシな持ち方はなかったのか」
「ええと、それじゃあ、おぶって差し上げましょうか?」
「な……っ。それじゃあ、その……抱きつくことに……ヴェイセルの破廉恥!」
そんな理不尽な。
嘆く魔導師に、レシアが特に遠慮することなく告げる。
「たぶん、あそこにいるって」
仲間がいるはず、というウンディーネの言葉を代弁したようだ。いつも魔物を調べているから、多少はわかるのかもしれない。
「うーん。ダンジョンだし、俺が一人で行こうか?」
「ヴェイセルさんが行くなら、私も一緒に行きます!」
イリナが元気よく犬かきしながら近づいてくる。彼女はなかなか泳ぐのが得意らしい。
それを見たリーシャは、
「仕方ないな。ヴェイセルに任せたらいつ終わるかわからないからな。私も手伝うぞ」
なんて言うのだが、皆の視線が彼女に集まってしまう。
「な、なんだよう……」
「ヴェルくん、あたしは海上にいるね。いつでも釣り上げられるように、機神兵を待機させておくよ」
エイネが合図を出すと、機神兵が勢いよく飛んできて、あたかも船のようにぷかぷかと浮かぶ。
そしてリーシャの胴体に縄を結んだ。
「なにかあったら、これでいつでも引っ張ってあげる!」
「これじゃあまるで飼い犬じゃないか!」
「ヴィーくん、さあ、早く行きましょう」
ミティラがヴェイセルの腕を取って大胆に水中へと向かい始めると、「あーっ」と声を上げてリーシャもダンジョンへと向かって泳ぎ始め……られたらよかったのだが、またしても沈んでいく。
リーシャはイリナとレシアに支えられながら、そうして五人は海中のダンジョンへと飛び込んでいった。
さほど魔力が高くなっているわけではないから、強い魔物がいるわけではないだろう。しかし中は暗く、いつ敵が襲ってくるかもわからない。
ヴェイセルは警戒しながら進んでいく。
そうすると渦の中心付近にウンディーネがいることが明らかになった。が、その渦に沿って動く存在がある。
ウミヘビのような姿をしたそれはランク5の魔物、リヴァイアサン。水着の原料となった魔物だ。
(なんでこんなところに……どこかから紛れ込んできたのか?)
北のダンジョンはさほど魔力が濃くなくとも、強い魔物が頻繁に見られているが、この場合、どこか海を漂っているうちにやってきた線が濃厚だ。
どうやら、あのリヴァイアサンがいるから、ウンディーネが逃げられなくなって、元の湖に帰れなくなっていたようだ。
この渦を起こしているのもあの魔物だろう。
ミティラがどうするのかと視線を送ってくる。だからヴェイセルは戦う必要はなく、ウンディーネだけ引っ張ってくればいい旨を合図した。そうするとレシアは小さなウンディーネを預けてくる。
一人のほうが都合がいい。
ヴェイセルは魔法道具を用いて勢いに乗り、ウンディーネのところまでやっていく。まだ、リヴァイアサンには気づかれていない。
ウンディーネたちはヴェイセルの肩に乗ったウンディーネを見ると、迎えが来たのだと嬉しげにする。
それを見たヴェイセルは早速、ウンディーネたちをも巻き込んだ水流を発生させ、一気に海上目がけて突き進んでいく。
が、そこまで目立った動きを起こせば、リヴァイアサンとて気がつかないはずがない。
ぐんぐんと近づいてきて、ヴェイセルへと獰猛な牙を向けてくる。
(くそっ。これほど多くのウンディーネを動かすとなると、魔法道具が持たない……!)
しかし、敵はすぐそこまで迫ってきていた。悠長なことなど言っていられない。
ヴェイセルは咄嗟に全出力で魔法道具を使用、水流を生み出して緊急回避する。
リヴァイアサンは急に動いた彼らの動きを見失って、真っ直ぐに突っ込んでいった。
その隙になんとか逃げたいところ。しかし、ヴェイセルが手にしていた水着はその時点で砕け散ってしまっていた。
(ならば、あいつを迎え撃つ!)
ウンディーネたちに先に進むように合図しつつ、ヴェイセルはたった一人、リヴァイアサンに向き合いながら、魔法道具を使用する。
生み出したのは蜘蛛の魔物アラクネの強靱な糸だ。
そしてヴェイセルは魔法を使用する。使ったのはゴブリンの魔法。棍棒を生み出すものだ。
それらを結びつけ、リヴァイアサンが向かってくるとタイミングを合わせて投擲。なんとか歯に引っかけると、飲み込まれそうになるギリギリで引っ張って相手の動きをずらす。
反動でヴェイセルは敵に叩きつけられそうになるが、なんとか魔法道具で身体能力を上げてその場を凌ぐ。
長くは持たない。戦いの都合ではなく、息が続かないのだ。
この隙に、リーシャ様が逃げてさえくれれば――そう思ったヴェイセルだが、顔を上げればすぐ近くに、イリナとミティラに支えられながら沈んでくるリーシャの姿があった。
どうしてリーシャが。
考えるまでもない。心配だからやってきたのだ。
この素直じゃないお姫様は、いつだってそう。
レシアはすでにウンディーネを連れてこの場を離れている。だから、ヴェイセルはすることはあとは彼女たちとともに逃げることだけ。
リーシャがぎゅっとヴェイセルを抱きしめると、彼女の胴体に巻きつけられている縄が引っ張られ始める。
だが、そこまで速度は出ず、リヴァイアサンはどんどん近づいてきていた。
このままでは――。
ヴェイセルはこの場を打開する策を考え、すぐに思いついた。
(失礼します!)
ヴェイセルはリーシャの水着に手をかけた。
「!?」
驚くリーシャ。しかし、ヴェイセルは止まらない。
リーシャの水着――すなわち魔法道具の出力を最大に。瞬間、すさまじい勢いで水がせり上がっていく。
リヴァイアサンの姿がどんどん小さくなっていく。
海上はもうすぐそこだった。
「ぷはあっ。皆無事か!」
ヴェイセルは辺りを見回すと、機神兵に上がりつつあるイリナとミティラ、それからウンディーネを連れて近くに浮かんでいるレシアの姿を認める。
それから、抱きしめているリーシャの姿を確認。
すると――彼女はなにひとつ、その身には纏っていなかった。魔法道具である水着は、その限界を迎えて砕け散ってしまっていたのだ。
「リーシャ様、その……」
「ヴェイセル、無事でよかった」
ぎゅっと抱きついてくるリーシャ。しかし、すぐに表情が変わる。
そして視線を下に落とすと、どんどん顔が赤くなっていった。
「ヴェイセルの破廉恥!」
尻尾ではたかれたヴェイセルは、逃げるように機神兵の上に移っていったリーシャの姿を眺めながら、どうしていつもこうなるのだろうか、と首を傾げた。
リヴァイアサンももはや追ってきていない。ウンディーネもすべて集まったようだ。
「……帰ろうか」
すっかり疲れ切った魔導師は、機神兵の上に寝ころがると、そう呟いたのだった。




