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36 雨の日は

 その日は雨が降っていた。

 やる気なし魔導師ヴェイセルは、この日も部屋でごろごろしている。


 明日明後日という日があるのに、わざわざこんな天気の悪い日に出かけるなんて、なぜ人はそこまで生き急いでしまうのだろうか、などと哲学的なことすら思ってしまうくらい、呑気な性格だ。


 しかし、そんな彼にもあらがえないものはある。

 一つは睡魔。そしてもう一つはリーシャの命令。最後に、空腹だ。


(うーん。お腹が空いてきた。どうしようかなあ)


 この男、料理を食べるのは結構好きだが、作るのは面倒だから好きではない。ミティラにお願いしようかな、なんて思いながら部屋を出ると、屋敷の中を歩いていく。


 ここに住んでいるのはヴェイセルとリーシャの二人だが、私室のほかに執務室などもあるため、人が出入りすることもある。


 兵の一人でもいれば、ミティラを呼んできてもらおうと思ったのだが、どこにも見当たらない。たまにサボりゴブリンが紛れ込んでいるが、それもなかった。


 当てが外れたヴェイセルは、どうしたものか、と頭を悩ませる。ヤタガラスに文をくくりつけた場合、濡れてぐしゃぐしゃになってしまう。


 そんなことを考えていると、ばたん、と扉が開け放たれる音が聞こえてきた。

 見れば、そちらにはリーシャがいる。彼女はヴェイセルを見つけると、尻尾をぱたぱたと振りながらやってきた。


「リーシャ様、お出かけですか?」

「うむ。出かけるぞ」

「そうですか。雨が強くなっていますから、気をつけていってらっしゃいませ」


 ヴェイセルが頭を下げると、リーシャが首を傾げた。


「なにを言っているんだ? お前も来るんだぞ?」

「ちょっと待ってください。確か、傘が一つしかなかった気がします。つまり、どちらか一人しか出かけられないことになります」


 ヴェイセルはうんうん、と頷きながらリーシャを説得する。

 ここにある私物はヴェイセルとリーシャのものだが、そもそもヴェイセルは雨の日に出かける気などさらさらないため、雨具など用意していないのだ。


 しかしリーシャは、そんなヴェイセルの手を取って引っ張る。


「ちゃんとお前も傘に入れてやるから、心配はいらないぞ。さあ行こうじゃないか」


 ヴェイセルはそこまで誘われると断ることもできず、渋々ついていくことになった。


 外に出ると雨脚が強く、地面がぬかるんでしまっている。リーシャはお気に入りの傘を広げると、ヴェイセルと一緒にその下に入った。


 これは相合い傘である。しかし、ヴェイセルのことだから甘い雰囲気なんてまったく醸し出すことはない。


 そんな彼はふと、リーシャの尻尾に目を向けた。大きくふわふわの尻尾だが、それゆえにはみ出て、このままでは濡れてしまいそうだった。


 ヴェイセルはそっと、彼女の尻尾を抱き寄せる。


「ひゃん! お、おおおお前はいきなりなにをするんだ!」

「濡れてしまうかと思いまして。すみません」

「そ、そういうことなら許してやらなくもない。その……これから、ずっとそうしている気か?」


 リーシャはほんのりと顔を赤らめながら、ヴェイセルに尋ねる。


「うーん。そうですね。……あ、そうだ。尻尾に撥水性のカバーつけましょうよ。尻尾カバー。確か、イリナが裁縫は得意だったはずです」


 ヴェイセルは名案を思いついた、とばかりに言ったのだが、リーシャはため息をついた。


 どうしていいかわからなくなったヴェイセルは、地面を踏むたびにチャプチャプ鳴る音を聞きながら、リーシャについていく。


 そういえば行き先を聞いていない。ヴェイセルはこの段になって、ようやくその事実に行き着いた。


 目的を聞こうと彼女のほうを見ると、狐耳がピンと立った。


「おいヴェイセル、あれを見ろ!」


 彼女が示す先では、ゴブリンの巣から滝のように水が流れ落ちている。そしてこんな状況でも居眠りしているゴブリンが水の流れとともに落ちて、地面にぶつかって「ゴブッ!?」と悶えている。ちょっと楽しそうなのはなんでだろう。


「うーん。壊れそうですね、あれ。もうそろそろ、作り直してもいいんじゃないですか?」

「確かに。ほかの家に比べ、あれだけみすぼらしいからな……余所から来た客が顔をしかめるかもしれない」


 そんな会話をしているうちにも、水が溢れ出している。ゴブリンたちも必死でくみ出そうとしているのだが、どうしようもない。なんせ、きっちりした天井がないのだからどこまでも入ってくる。


 そして間もなく、限界を迎えた。

 がらがらと音を立てながら、ゴブの巣が崩れていく。二人抱き合っているゴブリンも、泣きわめくゴブリンも、こんな状況にも関わらず飯を食っているゴブリンも、等しく落下していった。


「ゴブブー!?」


 巣を構成していた木の枝が地面にぶつかって大きな音を立てる。そしてその衝撃でゴブリンの頭に枝が生えていた。


(まさか、下敷きになったゴブリン、潰れていないよな……?)


 ヴェイセルはちょっと不安になるが、契約は一つも切れていないので、とりあえず生きてはいるだろう。


「ヴェイセル、あれ……」

「仕方ないですね。今日は研究所を借りましょう。レシアなら、助けてくれるはずです」


 彼女は以前、ゴブリンを集めていたから、特に嫌がることもないだろう。ゴブリンたちに巣から仲間を引っ張り上げた後、ついてくるように連絡しておく。


「ヴェイセル。この有様だと、ほかにもトラブルは起きてそうだ。さあ、次に行くぞ」


 リーシャはどうやら、村の見回りに来たかったようだ。

 ヴェイセルはこれならば、自分もついてきてよかったと思う。彼女ばかりに負担を押しつけるわけにはいかないから。


 マモリンゴはダンジョンの作物だけあって丈夫らしく、被害はまったく出ていない。アルラウネも今日はミティラのところにいるようだ。


 それから畑はなかなかにぬかるんで、駄目になってしまった作物もいくつかある。


「おいヴェイセル。あれはまずくないか?」


 畑に埋まっているユニコーンの頭がほとんど出てしまっていた。

 このままでは、外に出て活動し始めてしまう可能性がある。そうなったとき、男たちは角で刺されてしまうだろう。


「ミティラのところに行きましょう。ノームを借りようと思います」

「そんなことしなくても、魔法道具があるじゃないか?」

「あれはもう限界が来てしまったので使えませんね。この前、ゴミを埋めるのに使ったのが最後です」

「お前はいつも、しょうもないことに魔法道具を使っているな……」


 リーシャが呆れるが、ヴェイセルとてちゃんと理由があって使っているのだ。いまだに彼はゴミ処理係であり、面倒なことが多いから、少しでも楽をしようとしている。決して、サボっているわけではないのだ。


 それから戻るよりも先に、近いほうにある鶏小屋に赴くと、そちらでは雨漏りしているらしく、コケッコーたちは不快そうにしていた。


「これも直さないといけませんね」

「うむ。頼んだぞヴェイセル」

「わかりました。明日、ゴブリンにやらせます」

「自分の家も作れないやつに頼んでどうするんだ」


 リーシャは苦笑い。

 それからミティラの家を訪れると、早速イリナが出てきた。


「あ、ヴェイセルさん。どうかしたんですか?」

「ちょっとミティラに用事があってね。ちょっと中に入っても大丈夫かい?」

「はい。どうぞ。……ミティラさん、ヴェイセルさんが来ました!」


 尻尾を振りつつぱたぱたと駆けていくイリナ。


 ヴェイセルはそんな彼女のあとに続いて中に入ると、アルラウネと一緒にやってきたミティラがヴェイセルの格好を見てくすりと笑った。


「ヴィーくん、リーシャ様に引っ張られていったんでしょ」

「よくわかったな」

「だって、ヴィーくんが自分からこんな天気に出るわけないもの。ずぶ濡れだよ」


 彼女はタオルでヴェイセルの頭をぐしゃぐしゃと拭いてくれる。そしてアルラウネも手伝ってくれる。二人にかいがいしく世話を焼いてもらうと、彼はそのまま動きたくなくなった。


「あ、そうだ、ミティラに大事なお願いがあってきたんだ」

「なにかしら?」

「実は……まだ飯を食っていないんだ。なにか作ってくれないか?」

「おいヴェイセル、違うだろう!」


 お腹をぐう、と鳴らすヴェイセルに、リーシャが尻尾を立てた。

 そしてヴェイセルの代わりに説明する。


「ミティラ、ノームを貸してくれ。ヴェイセルのユニコーンが出てきそうになっている。あのままじゃ危険だ」

「そういうことなら。ノーム、お願いね」


 ミティラが呼びかけると、丸っこいモグラのような生き物が現れて、早速外へと駆けていった。


「ヴィーくん、一応ついていってくれる? ご飯は作っておいてあげるから」

「そういうことなら、任せてくれ」


 ヴェイセルはミティラから傘を借り、ノームのあとを追っていく。

 それからしばし、畑仕事をするその魔物の姿を眺める。土の精霊だけあって、こういう作業は好きらしい。完全に埋めた後に地面を固めれば完成だ。


「ノーム、お疲れ様」


 ヴェイセルが言うと、ノームはエヘンと胸を張って、それから消えていった。

 そしてヴェイセルは、ようやく仲間の救出作業が終わったゴブリンたちを呼び集める。


「よし、お前ら整列。点呼を取るぞ!」

「ゴブ!」「ゴブ!」「ゴブ!」


 ヴェイセルはそれらを聞き、はたと気づいた。


(……そもそもゴブリン何匹いたっけ?)


 しかも、ゴブリンたちは「ゴブ」しか言わないため、すでに何匹目かわからなくなっている。


(まあいいや。一匹くらいいなくてもバレないだろう)


 ヴェイセルはそれらを引き連れて、研究所へと連れていく。


「レシア、入れてくれ。俺だ、ヴェイセルだ」


 ノックすると、レシアがひょいと顔を覗かせた。


「ヴェルっち。どうしたの? リーシャ様にえっちなことして追い出された?」

「し、してない!」


 弁明するヴェイセルだったが、レシアはすぐにその後ろにいるゴブリンたちに気がついた。


 ヴェイセルの事情を聞くと、早速中に入る。


 そしてレシアはすぐさまタオルを取ってきて、ゴブリンを拭き始めた。きゅっきゅっといい音がなる。


 ヴェイセルはなんとなくそれに合わせて、ゴブリンの頭をぽんぽんと叩いて演奏してみた。ゴブリンも調子に乗ってお腹を叩いて伴奏する。もちろん、タイミングはまったくズレている。


「ヴェルっち。ふざけてないで手伝って?」

「すみませんでした」


 ゴブリンは怒られないのに、理不尽だと思うヴェイセルだった。


 そうしてゴブリンを中に収納すると、狭いということでレシアもミティラの家に行くことになった。


 これでようやく、のんびりできるなあ、と思ったヴェイセル。しかし、今度は兵が駆け込んできた。


「ヴェイセル殿! 大変です! 浄化槽が溢れてスライムが流れ出ていってしまいます!

「うーん。スライムならまた捕まえてくればいいんじゃないか?」


 ヴェイセルはそんなことを思うが、レシアにじっと睨まれた。彼女はあのスライムを時々つついたり実験に使ったりしているのだ。そういえばリーシャも気に入っていたはず。


 渋々、ヴェイセルは外に行って濡れながら、スライムを集めて箱詰めすることにした。


 しばらくして仕事を終えたヴェイセルはミティラの家に戻ると、中から賑やかな声がいくつも聞こえてくる。


 はて、一体どういう状況だろう。


 そんなことを思って中に入ると、ミティラとイリナ、リーシャ、レシアだけでなくいつの間にかエイネが来ていた。


「エイネ、なにかあったのか?」

「ご飯を食べに来たんだよ。いやー、ついつい魔法道具作りに夢中になっちゃって、食事のこと、すっかり忘れててさー。あ、そういえば雨漏りもしているんだ。今は機神兵が修理中」


 なんとも便利な魔物である。一体ほしいなあ、と思ったヴェイセルだった。

 そんな彼にエイネは、懐からとある羽を取り出した。夢中になっていたという魔法道具だ。


「フェニックスの魔法道具だよ。温風が出るんだ」


 安全だから使ってみて、とのことである。

 希少なランク5の素材の無駄遣いだなあ、とヴェイセルは思いつつそれを使用する。ちょっと熱めの風が吹いてきた。


 なにに使うんだろう。そう考えたヴェイセルは、エイネの尻尾をぎゅっと握った。


「きゃっ。ヴェルくんのえっちー」


 悪戯っぽく言うエイネの尻尾は、ちょっと濡れてしんなりしている。ヴェイセルはそこに温風をかけていくと、乾いてふわふわになってきた。


 さて、そうしていると、いつの間にか黒い尻尾がひょいと目の前に現れた。


「ヴェイセルさん、私の尻尾もお願いします!」


 イリナが言ってきたので、ヴェイセルは尻尾を掴む。

 が、そこで気がついた。


(あれ……イリナ、外に行ってなくないか?)


 ヴェイセルがそんなことを考えていると、イリナは嬉しげに尻尾をぶんぶんしながら、嬉しげにしている。


 すると、ばたばたと駆け寄ってきたリーシャがずいと尻尾を突き出す。


「仕方ないな、魔法道具の実験だからな。今回は特別だぞ? 熱くしたら駄目だからな? 繊細に扱うんだぞ?」


 ヴェイセルがイリナの尻尾と一緒にリーシャの尻尾を取ると、その上から銀の尻尾と白の尻尾まで重ねられた。


 悪戯っぽく笑うミティラに、じっと見つめるレシア。


(どうしてこうなったんだろう? どうすればいいんだろう?)


 困り果てたヴェイセルの耳に届いたのは、


「わー、この料理美味しそう。いただきまーす!」


 原因となった張本人の元気な声だった。


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