22 やる気なし魔導師、動く
朝、ヴェイセルは日の出前よりも早く小屋を出ると、大きく伸びをした。
この時間にはまだ兵も起きておらず、夜警に立っている者が眠そうにしているのが見られるくらい。
平和な時間だった。
ヴェイセルはそれから村の中を歩いて眺めていく。
兵舎は昨晩の宴ですっかり疲れ切った兵たちが寝ころがっており、ゴブリンたちが作った巣でもやつらは気持ちよさそうに眠っている。
そして村からやや離れたところにある鶏小屋では、コケッコーもまだじっとして動かない。
畑に目を向ければ、昨日植えたばかりだというのにもはやマモリンゴの芽が出ている。
浄化槽の中ではスライムがゆっくりと動いており、積まれた生ゴミの類が処理されるのを待っていた。
兵舎ができつつあるため、テントが少しずつ撤去されており、やや殺風景に見える。
そんな村を、ヴェイセルはしばらく眺めていた。
彼は魔法道具を使い続けているため、熟睡できずにいたのだ。ある程度、意識を傾けておかないと警戒にならないからである。
(うーん。警戒のできる魔物と契約するか。村も大きくなれば、放り出して逃げ出すわけにもいかなくなるし)
そもそも、ここらの兵に任せておいた今までが不用心だった、とも言える。
ヴェイセルはどうしたものかと思いながらも、やがて村中を見て回って――小さな村ゆえにすぐ終わり、再びリーシャがいる小屋に入っていった。
王都から派兵されることになっているため、それまであの事件を解決させるわけにもいかない。
戦力として期待しているのではなく、兵が多くいれば村づくりも進めやすくなるだろう、という魂胆だ。もし彼らが来たときに解決していれば、彼らは大義名分を失ってしまう。そうなったとき、おそらく王宮では対応に関して問答せねばならなくなるだろう。
だから彼らが来てから事件を解決し、後の警備ということで村を発展させる。
人を呼び寄せることの難しさを知っているからこそ、この好機を逃すわけにもいかなかった。
ヴェイセルは珍しく、動けないのをもどかしく思いつつも、そうして日が過ぎていくのを待っていた。
◇
それから数日。
北の小さな村に、南から兵がやってきた。その数は元々いた兵よりも多く、合わせて百人を超えるほどだ。
一気に大所帯となった村だが、最高責任者は変わらずにリーシャであり、その下で働くヴェイセルだ。
新しくやってきた兵たちはまずリーシャのところに挨拶にやってきた。
隊長が進み出ると、彼女の前に跪く。そんな仕草は、ここにいるやる気のない兵たちとはかなり異なっていた。
「リーシャ様。ご用命とあらば、なんなりとお申しつけください」
「うむ。頼りにしているぞ」
「ところで一つ質問がございます。よろしいでしょうか?」
「ああ。気になることがあるなら、なんだろうと言ってくれ」
リーシャが言うと、兵はちらりと視線を横に向けた。そこには、居眠りしていたり、せっせと働いていたりするゴブリンたち。
「……なぜゴブリンが村にいるのでしょう?」
「うむ。契約したからだな」
「ゴブリンと、ですか……?」
魔物の中でも最弱で、特になにかができるわけでもないゴブリン。むしろ邪魔になるので契約を解除されるパターンも少なくない。抜け殻となったゴブリンの肉体のポイ捨てが社会問題となったこともあった。
加えて、通常、魔物とは二、三匹と契約すればいいほうであり、それ以上に数を増やすくらいなら強い魔物と契約するのが一般的だ。
だからわざわざゴブリンを従える者なんてそう多くはない。
だというのに、この村にいるゴブリンの数は数十体。兵たちを総動員してゴブリンと契約でもさせているのだろうか、と彼らは思ったに違いない。
が、兵たちが従えている魔物は別にいる。
そんな隊長の疑問を打ち砕く、しかし理解しがたい言葉をリーシャは放った。
「あれは全部ヴェイセルの魔物だ」
「は……? 全部でございますか?」
「うむ。全部だ」
隊長は口をぽかんと開けずにはいられなかった。
いかにゴブリンとはいえ、数十体と契約できる魔導師がどこにいる? いや、事実そうなのだから認めねばならない。
彼はしばし呆然としていたが、律儀な性格なのだろう、すぐに頷き、納得したようだ。飲み込みが早い。
「では、これから設営に入らせていただきます」
「ああ。そうだ、兵舎があるから、そちらを使ってくれても構わないぞ」
「そちらの管理人と相談させていただきます。警備のほうはいかがいたしましょうか?」
形式上、リーシャに尋ねただけだろう。
ここにいた寡兵に比べれば、数は彼らのほうが多いのだから。それに、ランク5の魔物が出たということで、彼らが連れている魔物はランク3が多く、次いでランク4といったところだ。
それよりも弱い魔物ではまったく太刀打ちできないのである。
一応は精兵ということになるのだろうが、それでも数十人でよってたかって叩くことでなんとか倒せる相手だ。
彼らは緊張気味な面持ちであったが、返ってきたのは軽い返事。
「それならヴェイセルが警備しているから問題ないと言っていたぞ。あいつもたまには仕事するんだ」
リーシャが誇らしげに言うと、隊長は僅かばかり不安げに眉をひそめた。
彼女が危機感が足りないという可能性がないわけではない。だが、それにしても不自然なのだ。ランク5の魔物が出たとなれば、子供だってその危うさを知っている。
だというのに、リーシャは普段とさして変わらぬ様子。
(……お飾りで知らされていないということか?)
宮廷魔導師が独断で進めている可能性を感じ取った彼は、やる気なし魔導師と名高いその男と接触を取ろうと考え始めた。下手なことは言わないほうがいい、と。
だが、彼が思うよりも早く、その人物は現れた。
「リーシャ様。おつとめご苦労様です」
「なんだ、ヴェイセル。今起きてきたのか?」
「違いますよ。出発の準備をしてきたんです。これからダンジョンに赴く予定なので」
ヴェイセルはちらりと視線を向けてくる。だから隊長は、黙ってついてこい、という指示なのだと受け取った。
だから続こうとするが、彼が魔法道具を取り出すのを見て、思考を改めた。それは銀色に輝く毛皮と牙、爪だったからだ。
(……あれはフェンリルか!)
ランク5の魔物であり、実力のない魔導師であれば契約することすら難しい。まして魔法道具ともなれば、難易度は跳ね上がる。それをヴェイセルは平然な顔で使ってみせた。
こんなところで使う意図はなにか。普通は魔物と遭遇するまで、こんな高ランクの魔法道具を使いはしない。戦う前に力尽きてしまうから。
ならば近くに魔物がいるというのか。いや、そんな気配はない。
隊長は混乱しつつあったが、そこまではまだいい。平静を装っていられた。
しかしヴェイセルが魔力を込めた途端。なまじ実力があるからこそ、その規格外の技術に震え上がった。
風が吹いていた。
ビュウビュウと風音が響く中、銀に輝く狼が鎮座している。その四本の足には千切れた鉄鎖と、太い縄が巻きついていた。
それを見上げた隊長は、いつのまにかすぐ近くにいる魔導師の存在に気がついた。彼はこれまでランク5の魔物との戦いも経験していたが、このときほど息を呑んだことはない。
ごくり、と乾いた生唾を飲み込めずに喉を鳴らした隊長に告げられた言葉は、まるで予想と違っていた。
「すまない、リーシャ様には詳しいことを言っていないんだ。心配するから、ランク5の魔物がいたことは告げないよう、兵たちにも徹底させてくれ。今日の昼まででいい。どうせそのときにはいなくなっているのだから」
風の音に遮られ誰にも聞こえなかった言葉が、隊長の頭の中で何度も繰り返される。
今日の昼にはランク5の魔物がいなくなっている?
その意図を理解し隊長が頷いたときには、すでに魔導師はフェンリルの上にいた。その姿は凜々しく、とてもやる気なし魔導師のものとは思えなかった。
あの噂が間違っていたのか、と納得することでかろうじて理性を保った隊長だったが、それからも度肝を抜かれることになる。
「それじゃあリーシャ様、行って参ります」
「うむ。いい成果を期待しているぞ」
彼女と言葉を交わすと、フェンリルは風のように消えた。否。気づいたときには森の中へと飛び込んでいく姿だけが見えていた。
そんな彼を見て、
「すまないな。あいつはいつもあんな調子で。苦労をかけるが、これから頼むぞ」
とかけられたリーシャの声は、半分も頭に入っていなかった。




