2 やる気なしの名の元に
出立の日。
ヴェイセルは王宮の前で大勢の者たちに見送られていた――なんてことはなく、城壁の外で、数人の門番たちによって、なにか問題を起こさないかと見張られていた。
数台の馬車があるが、中身がどうなっているのか、ヴェイセルは把握していない。というか、結局居眠りしているうちに今日になっていたのだ。最低限の荷物を持ってくるのが精一杯である。
さて、主役であるヴェイセルは一番最後に、約束の時間より少しだけ遅れて到着したのだが、誰も彼を見ても挨拶にすら来やしない。
とはいえ気にしていないヴェイセルは、同行する者たちをのんびりと眺める。
いまいち冴えない感じの若い兵。禿頭を撫でている中年のおっさん。あんまり風呂に入ってなさそうな、鎧すら身につけていない男。
(……これは、いらない兵を押しつけられたな。それにしてもよくもまあ、こんなにもやる気のない人物を集めたものだ。きっと、王宮のやつらにはやる気なしセンサーが搭載されているんだろう)
と、ヴェイセルは自分のことを棚に上げて思うのだった。
「やあやあ、君たち。俺が乗る馬車はどこだい?」
ヴェイセルが声をかけると、いかついおっさんが出てきた。この人物は、ほかとはまるで違う。ヴェイセルのやる気なしセンサーが働いていた。
(こいつはやばい。間違いなく熱血で頭まで筋肉でできてるパターンのやつだ。なんでこんなやつがここに――。扱いを間違えたら、間違いなく働かせられる!)
ここは一つ、威厳でも見せておかねば。
ヴェイセルは一つ咳払いをする。そして上から下までその男を眺める。
男はまるで筋肉の塊のような肉体で、ひ弱そうなヴェイセルなど一ひねりできそうな印象を受ける。頭には狐の耳が生えているが、しかし尻尾はなかった。
「てめえ……そんなに尻尾がねえのが気になるってのか!」
男が怒気を含めてヴェイセルに言う。
一応の上司に向かってなんて言いぐさだ、とヴェイセルは思った。
(というか俺だって尻尾ないんだけど)
そう言おうと思ったヴェイセルだったが、それではきっと、同胞のような扱いを受けてしまうだろう。そうなったら、このタイプは日夜問わずやってきて、公私を混同し仕事を押しつけるに違いない。
だからヴェイセルはなんとか自身の威厳を保ちつつ、この場を切り抜ける策を考える。
やがて彼は不敵な笑顔を浮かべ、つかつかと男に歩み寄っていく。
「それを気にしているのは――あんた自身だ」
ヴェイセルは自分よりもかなり背が高い男に相対する。見上げる形になっているので、見えるのは顎だ。
(……そり残しあるじゃねえか。やばい、気になる)
一度気になると、そればかりが気になって仕方ない。
「ああ!? お前になにがわかるって言うんだ! 言ってみろ!」
男はずいと顔を近づけてくる。
そり残しがアップになった。引っこ抜きたい衝動を抑えつつ、ヴェイセルは手を男の胸に当てる。
軽く力を加えると、男がそれだけで押し戻された。驚く男の顔からヴェイセルは顔を背けつつ、
「そり残……あんたの今の重心はここだ。尻尾がなくなった分、前に移動している。なのにあんたはいまだ同じ姿勢を取り続けている。……これが、あんたが囚われている証拠さ」
男にその事実を突きつけた。すると彼は自分でも知らぬうちに拘泥していたらしく、目を丸くする。
「……なにもんだ。お前」
「宮廷魔導師ヴェイセル。君らの上司だ」
「そんな宮廷魔導師いたか?」
おっさんは本気で悩み始めた。どうやら、命令がうまく伝わっていなかったようだ。
(……上司の名前も伝わってないってどういうことだ。いや、俺が宮廷魔導師として知られてないのはいい。だが……国王のおっさん! ちゃんと連絡しておいてって言ったのに!)
ヴェイセルは不満たっぷりに、国王の姿を思い浮かべる。
しかし、彼のやる気なしは長所でもあった。すぐにどうでもよくなったのである。
気を取り直したヴェイセルは早速、そり残しのおっさんに尋ねる。
「で、俺の馬車はどこだ?」
「ああ、すまねえ。俺たちも聞いてねえんだ。あそこの馬車にお偉いさんがいるから、そこで聞いてくれ。案内するぜ、俺はジェラルド。ヴェイセルが言うように尻尾が気になっててな、宮廷のひ弱どもに馬鹿にされたからよお、ぶん殴ってやったら、北に飛ばされることになった。……さあ、行こうぜ」
「いや、俺一人で行くからいい」
やっぱりこいつ頭の天辺まで筋肉が詰まってるパターンのやつだ、と思ったヴェイセルは、おっさんを押しのけて、一人で歩き始めた。こんなのと一緒にいたら絶対揉め事が起きる、と。
そうして馬車のところまでやってきたヴェイセルは、中へとひょいと顔を覗かせる。そこには一人の人物がいた。
「おお、ヴェイセル。遅いじゃないか! 遅刻だぞ!」
「……なんでリーシャ様がいるんですか?」
馬車の上でお座りしていたリーシャは、ぱたぱたと尻尾を振っている。今にもヴェイセルのところに行きたがってるのだが、足が痺れているようで動けないでいた。
そんな様子を誤魔化すように、リーシャは自慢げに胸を張る。
「お前に任せておいたら一面荒れ地になるだろう?」
「まあ……否定はしませんが」
「だからな、今回は私が監督者として行くことになったんだ! 最高責任者だぞ!」
リーシャが高らかに宣言する。
ヴェイセルはなるほど、と思った。だから上司の名前がヴェイセルとして知られていなかったのだと。
「これから行く先が、私たちの所轄の領地になるんだ。なにしろ、開拓者が土地を得るという伝統があるからな!」
堂々たるリーシャに対し、ヴェイセルは心配げにため息をついた。
「それは、なにもかも任されるってことですよ。責任の重さわかってます?」
「お前がそれを言うなよー。……も、もちろん。やるからにはちゃんと頑張るぞ?」
「黙って寝てたら暖かい布団もかけてもらえませんし、風呂だって用意されませんし、食事も女性も出てこないんですよ?」
「お、おおおおお前! 女性とはなんだ、女性とは!」
顔を赤らめるリーシャ。ヴェイセルはあのおっさんめ、なんてことを言うのだと国王のせいにするのであった。
「ほら、あれです。リーシャ様のお父上、よく女性に着替えを手伝ってもらったりしてるじゃないですか」
「ああ……そうだな。ヴェイセルもその……そういうのがいいのか?」
「どうなんでしょうね? 確かに楽そうではありますが、すぐに鬱陶しくなってしまうかもしれません」
「うむ、お前はそういうやつだったな」
満足げなリーシャを見ていて、けれどヴェイセルは言わねばならないと決意を固くする。
「今ならまだ引き返せます。俺のほうから言っておきますから、王宮に戻ってください」
「……やだ」
「強情張らないでくださいよ」
困ったヴェイセルが彼女のところに行くと、リーシャはぎゅっと、ヴェイセルの衣服を掴んだ。そしてうつむきがちになる。
「だって……ヴェイセルだけ行ったら、会えなくなっちゃうもん」
ぎゅっと握る強さが強くなる。
その顔を見ずとも、どんな表情をしているか、ヴェイセルにはわかった。だから、自分がなんとかできることであれば、なんとかしてあげたいと思うのだ。
「仕方ないですね。俺がなんとかしますよ。宮廷には遠く及びませんが、とりあえず暖かいものが食べられるくらいには」
ぱっと顔を上げたリーシャは、満面の笑みを浮かべていた。その姿に思わず見とれたヴェイセルだったが、次の瞬間、リーシャが倒れ込んできた。
抱きつかれたヴェイセルは、思わず心臓の鼓動が早くなっていく。
触れる少女の柔らかさに、どことなく甘い香りに。理性と煩悩がせめぎ合う。
懊悩するヴェイセルに、リーシャの声が届いた。
「いたた……痺れちゃった」
感動のあまり抱きついた、なんてことはなかったのだった。