10 水源を求めて
「コケッコー!」
朝早く、日が昇り始めるとともに騒々しい鳴き声が聞こえてきた。
辺り一帯に響き渡る声に、さすがのヴェイセルも眠りを妨げられずにはいられない。
(まったく……うるせえな。誰だよ、あんなの連れてきたやつ)
などと不満に思わずにいられやしなかった。
もちろん、連れてきたのはヴェイセルである。寝ぼけた頭では、すっかりそんなことなど忘れているのだ。
ベッドで寝ていたリーシャは一晩ぐっすり寝たおかげか、すっきりした顔で起き出すと、床で寝ころがっているヴェイセルを踏みそうになって、慌てて足を引っ込めた。
そして寝ている彼を満足げにしばらく眺めた後、今日の仕事をすべく、身支度をし始めた。
それから彼女が外に行くと、早速ゴブリンたちがたたき起こされ、ゴブゴブと眠たげな声が一斉に唱和される。
抗議の声だったのかもしれないが、
「そうかそうか、お前たちもやる気だな! 今日もしっかり働くんだ、頑張るぞ!」
とリーシャは笑うのだった。ゴブリンも災難である。
とはいえ、今日は急ぎの用もない。
ゴブリンたちはのらりくらりと、昨日の家づくりで出たゴミを一カ所に集めていく。燃えるものと燃えないものなど、ゴブリンにはたいして区別もつかないので、その辺りは兵たちが行っていた。
なにか作業を行えばゴミが出るのは当然。木々の類であれば燃やすなりなんなりすればいいが、そうでないものは、どうしたものか。
とりあえずまとめておいて、あとでどうするかを考えることにしたリーシャは、コケッコーとエリンギオスの様子を見に行く。
たった一日でも魔物は大きくなるし、ほかの動物の常識は通用しないのだ。
張り切っていったリーシャだが、昨日の今日だ、特に変化もなく、平凡な魔物の姿があるだけだった。
さて、そうしてリーシャがなにかと今後のことに期待に胸を膨らませている中、心地よく二度寝していたヴェイセルは、昼が近づいた頃になってようやく起きてくると、せっせと働いていたゴブリンたちに集合をかける。
そろった緑の小鬼たちに対し、
「これから水源の調査に赴いてくれ。川や湖など、水を探してくれ。もちろん、なにか異変があればそれ以外でも報告するように」
と告げる。だが、朝から働かされていたゴブリンは不満げにゴブゴブとわめくのだ。
抗議の内容は、ヴェイセルが昼まで寝ていたこと、そしてこれからも命令を出したらさっさと寝ようとしていることに対するものだ。
(まったく、昼から働くくらいで文句を言いやがって! そこらの兵士たちだって、街のパン屋さんだって皆朝から働いてるだろう!)
彼はゴブリンが朝からリーシャに働かされていたことを知らない。
自分のことを棚に上げてヴェイセルはそんなことを思ったが、今はそれよりもリーシャのお風呂が大事だ。このままだと、ヴェイセルはどんどんベッドから遠ざけられて、終いには家の外で番兵していろと言われかねない。どこでも寝られる彼でも、外はさすがに嫌なのである。
渋々、ゴブリンだけでなく、彼も調査に赴くことになった。
そうして森の中へと足を踏み入れたヴェイセルであったが、すぐに近くからゴブリンの声が上がった。
「お、早速見つけたか!」
魔法道具で獣の力を得て一気に距離を詰めるヴェイセル。木々の合間を駆け抜け、そこで見たのは、コケッコーにつつかれて逃げ惑っているゴブリンたちだった。
……こいつら、本当に魔物かよ? 弱すぎないか……。
がっくりしたヴェイセルは、コケッコーを倒すと、ゴブリンに村へ戻るように告げた。とても当てにならないと判断したのだ。これでは水源を発見したところで、戻ってくるまでに食われてしまうのがオチだ。
ヴェイセルは仕方がないので、懐から黒い羽を出すと魔力を込め、ヤタガラスを生じさせた。その数はこれまでと違って、数十匹にも及ぶ。
それらが一斉に飛び散ると、付近一帯の情報を遠距離から伝えてくる。視覚を共有する魔法が使えるのだ。
それにより、ヴェイセルは近くの倒木に腰を落ち着けながら、辺りを探ることができる。
「うーん。こんなことなら昼飯持ってくればよかったなあ」
さすがに見たものを判断することまでは魔法道具で自動判別できないため、ヴェイセルはずっと起きていなければならない。
通常の魔導師であれば、視界を一つか二つ共有しただけで酔ったり、目眩や吐き気に襲われたりするものだが、ヴェイセルは数十の鳥を駆使しながら涼しい顔で欠伸をしている。それこそ彼の才能の証左であるのだが、端から見ればやる気なし魔導師にしか見えなかった。
そして視界の片隅に、煌めくものを見つけたヴェイセルはそちらに意識を傾ける。川だ。
きらきらと日に輝いている水は透明度が高く、これならば飲み水としても使えるかもしれない。
距離はそれほど遠くなく、汲みに行くのも、道さえ作っておけばゴブリンを使ってできるかもしれない。
となれば、そちらの調査に注力することになる。ヤタガラスは一斉にそちらに向きを変え、上流から下流まで辿っていくことになる。
下流は北西の方へと向かっていき、いくつもの支流が合流している。もしかすると、その先には海があるのかもしれない。
だが、ヴェイセルの魔法道具ではそんな遠くまで追っていくことはできないし、興味津々というわけではない。というのも川は基本的に、高地となる上流から低地の下流に流れるものであり、人類はこの土地を巡って争ってきたのだ。
なんせ上流に住む者はそこで飲み水を得て、体を洗ったり排泄物を下流へと流したりするのだが、その下流に住む者にとってはすでに汚染された水しか手に入らないことになる。これにより感染症が蔓延することになる。
というわけで、ヴェイセルは上流のほうをずっと追っていく。そうすると、あたかも空間が歪んでいるように見える場所があった。
(これは……ダンジョンか)
ある一定領域に限定して魔力が高まっており、それゆえに魔物が自然に生じることが多くなった土地をそう呼称する。そこでは通常の土地とはまるで違う景色になることも少なくない。
たいていは、その根源であるなにか――たとえば魔物であるとか――を仕留めればダンジョンは瓦解するのだが、場合によっては非常に危険な魔物が跋扈する土地になることもある。
ヴェイセルは慎重にヤタガラスを操りながら、その全貌を把握しようとする。
上空から見ると、そこまでダンジョンの規模は大きくないことが窺える。だが、外から見たのと中に入って見たのでは、大きさが異なることもあるため、それだけでは判断できない。
(直接行ってみるしかないか)
魔力を肉体で感じるのが一番確実で早い。もちろんそれでは危険が伴うため、普通は発見したばかりのときは慎重に進めていくのだが、ヴェイセルにとっては面倒な手間でしかなかった。
魔法道具を用いて脚力を強化。その速さたるや、木々の合間を駆け抜けていくと、道中にいた魔物や動物が突然の出没に腰を抜かすほど。
ヴェイセルはあっという間に現場に到着すると、ダンジョンとの境界に手を触れる。そこから魔力が高まっているため、すぐにどれくらいの規模かが判別できる。
これだと辺りにはランク1、せいぜい2の魔物しか出ないだろう。ダンジョンの中でも魔力が低い部類に入る。
とはいえ、局所的に高くなっている場合もあり、油断した兵が命を落とすことも珍しいケースではない。
ヴェイセルは早速中に足を踏み入れ、自身の目で眺めていく。
魔物はほとんどおらず、魔力をなんとか探ってみると、そこらを歩いているのはゴブリンや犬のような顔をした人型の魔物コボルトだ。どちらもランク1の魔物の中でも弱く、人を見れば逃げていくことすらある。
ヴェイセルはダンジョン内でも続く川を辿っていくと、その向こうに湖を見つけた。
湖底が見えるほど透明度が高い。どうやら、ここが源泉だったようだ。
ヴェイセルはゆっくりと近づいていく。湖の周りにはこれといった魔物の姿はない。だが、湖の中には半透明の魔物がいることがわかる。
「はてさて、どうなることか……」
ヴェイセルがそちらに近づいていくと、湖面に水が浮かび上がり、人の形を作っていく。
愛らしい少女の姿になったのは、水の精霊ウンディーネである。ランク4の魔物に分類されており、そこらの魔導師は遭遇するなり、裸足で逃げ出すかもしれない。
「こんにちは。君たちがこの湖の主かい?」
いつしか、ウンディーネの姿はそこかしこに存在していた。
こうなっては、たいていの魔導師は死すらも覚悟するかもしれない。ウンディーネは知能も高く、人に襲いかかることは多くないのだが、こうも集まって出てくるとなれば、なにかあったと見るほうが妥当だ。
彼女たちは首を横に振る。
どうやら、彼女たちが原因でこのダンジョンができあがったというわけではないようだ。
魔力への反応などから、言語が話せずとも、おおよその感情を読むことができるため、そこに敵意もないことが窺える。となれば、このダンジョンをこのままにしておいてほしい、ということかもしれない。あるいは、原因ではないのだから討伐などを行わないでほしい、ということか。
(うーん。これが北の異変に関わってるんだろうか?)
ヴェイセルが北に飛ばされたのは、盗賊や魔女の噂があることが理由だが、なにもそれだけで動かされたわけではない。やる気なし魔導師とはいえ、宮廷魔導師がたったそれだけの噂で動かされるのは、さすがに無理がある。
これより北の土地では魔物の様子が異なるそうなのだ。
そしてこのダンジョンもほかのものとは違う成因のようだ。
なにはともあれ、ヴェイセルにとってすべきことは調査よりも、「リーシャ様のお風呂」なのである。
「ここの湖を使ってもいいかい? 大勢で騒ぐことはしないし、君たちにも配慮するよ」
ウンディーネは肯定の意を示してくれる。彼女たちはいるだけで水を浄化する能力があるため、自然に住んでいるならば、共存するほうが望ましいのだ。
はてさて、ヴェイセルはそういうことになると、湖の水をすくって小瓶に入れ、帰途に就くことにした。




