1 やる気なし魔導師、左遷される
まばゆい光が舞っていた。
その光は人の形を取ったかと思えば、もやのように姿を失って、辺りを自由に飛び回っている。
その様子をぼんやりと眺めていた少年は、これが夢か現かわからなくなって、ただその美しさに見とれていた。
きっと、天国はこんなところなんだろう。そんなことを思った彼であったが、今度は別のものが見えてきた。
幼い少女の顔だった。
美しい黄金色の髪は透き通るようで、だけどこれまで見ていた光とは違って、しっかりとした実感がある。
何事かを言いながら慌てた様子の彼女を見ているうちに、少年は思わず、もっとよく見たいと思い、手を伸ばし――
◇
宮廷魔導師ヴェイセルは意識を取り戻すと、自身が柔らかなものを抱きかかえていることに気がついた。
(……うーん。この触り心地。最高だ)
居眠りをしていたのだから、きっと、これは抱き枕かなんかだろう。
そんなことを思ったが、よくよく考えてみると、ベッドに行って寝た記憶がない。
確か、日当たりのいい窓辺で長椅子に寝っ転がっているうちにだんだん心地よくなって、そのまま、まどろんでしまったはず。
ならば誰かが気を遣って持ってきてくれた?
そんなはずはない。なんせ「やる気なし魔導師」として宮廷では名高いこの人物のところにやってくる者など、限られているのだから。
「……おい、ヴェイセル。いつまで寝ぼけてるつもりだ?」
可愛らしい少女の声が聞こえると、ヴェイセルはすぐに目を開けた。そして自身が抱きかかえていたものがなんなのか、理解することになる。
黄金色のふわふわした毛で覆われた、尻尾である。
尻尾の先端から付け根へと視線を動かしていくと、やがて少女の姿が目に入る。先ほど夢で見ていた少女によく似ているが、ほんの少しばかり、あどけなさが抜けている。
さらさらした金髪に彩られた顔は、まだまだ少女らしい愛らしさを持ちつつも上品に見える。それは彼女の格好がお洒落なドレスであることだけが理由ではないだろう。
そしてその髪の中からぴょこんと飛び出した狐耳は、ちょっぴり嬉しげに、けれど困り気味に寝かされていた。
「リーシャ様、おはようございます。いい天気ですね」
「ああ、おはよう。いい天気だな……って、そんな話をしに来たんじゃない」
ちょっぴり頬を膨らませた彼女であったが、すぐに笑顔になる。
「なんでも、北に行くそうじゃないか。栄達だな!」
そう言われてヴェイセルは急に現実に引き戻されていった。
視線をすぐ横の机に移すと、そこには一枚の紙がある。宮廷魔導師ヴェイセルに対し、北の調査に赴け、というものだ。
なんでも盗賊や魔女が出たとか、魔物が暴れているだとか、いろいろな噂や事情が書かれているが、ようするに、北がしっかりと統治されるまで帰ってくるなということである。
つまり、左遷だった。
「栄達……なんですかね?」
詳しく聞けば、そこには寒村すらないという。そんな未開の地に行くくらいなら、いっそ宮廷魔導師も辞めてしまおうかとすら思っていたくらいだ。
最年少の12歳で宮廷魔導師になってから、いろいろと仕事をこなして、贅沢しなければ日がな一日寝て過ごせるだけの金もすでに稼いでいる。
宮廷魔導師を辞めたら次はなにをしようか、とすら考えていたのだが、そのうち考えるのも面倒になって居眠りしてしまっていたのだった。
リーシャはヴェイセルを見て、眉根を寄せる。
「なんだ、そんな嬉しくなさそう顔をして。うまくいけば、歴史に名を残す英雄になれるかもしれないじゃないか」
「それはありえませんよ」
「どうして言い切れる? お前が生粋の怠け者だからか?」
「もちろんそれもありますが……なんせ、俺には尻尾がありませんからね」
ヴェイセルの言葉に、リーシャは思わず狐耳をぺたんと倒してしまった。
ここコーヤン国の住人は狐の耳と尻尾がある狐人族でほぼ構成されている。しかしヴェイセルは他国の出自であるため、尻尾のない新人族であった。
そんな人物が宮廷魔導師になったこと、それも最年少だったこと自体が異例なのだが、周りの目は好感に満ちているとはとても言いがたい。
しょんぼりしたリーシャを見たヴェイセルは慌てて言葉を続ける。
「まあ、田舎と言えば田舎ですが、一国一城の主――とまではいきませんが、人の上に立つ立場になるのは間違いないでしょうね。本来なら、俺が任されるようなものではありませんし」
「うむ、そうだろう? ほら、お前もそろそろ安定してもいい頃じゃないか。その……たとえば、家庭を持って腰を落ち着けるとか……その、け、結婚とか――」
「安定というほど、俺は年を取ってませんよ?」
首を傾げるヴェイセルに、リーシャはちょっぴり口を尖らせた。まったく言いたいことが伝わっていなかったのである。
そんなリーシャであったが、一つ不満になると、また別のことも気になるものだ。
「なんだよう、ヴェイセル。さっきからずっと尻尾を握って」
「だめでしたか?」
「だめ、じゃないけど……尻尾はな、女の子の髪と一緒なんだ」
「なるほど、わかりました。崩れないように丁寧に触りますよ」
ヴェイセルは先ほどからぎゅっと握っていた尻尾を手櫛で整えていく。
「そ、そーいうことじゃない。その、えっと……誰にでも触らせるわけじゃないっていうか、えっと……」
「ああ、俺ばかりだと不公平ってことですか。でも、残念ながら俺に尻尾はないんですよ。代わりに髪でも触りますか?」
差し出されたヴェイセルの頭を、リーシャは頬を膨らませつつも、ぐしゃぐしゃと弄ぶ。何度も何度もそうしていると、そういえばこいつはこんなやつだった、と仕方なさそうに笑うのだった。
「出発はいつだ?」
「明日ですよ。随分急ですよね」
「そうか、じゃあ準備もあるだろう? こうしちゃいられないな! お前の出発を楽しみにしているぞ!」
リーシャはぱっと身を翻し、駆けていった。
ヴェイセルはその後ろ姿を見ながら、どうしてリーシャが慌てるのだろうかと首を傾げるのだった。
そして今日はまだ時間もある、もう一眠りしようかと思って横になったところで、ドアが開く音がした。
ここは書庫に併設された閲覧室ゆえに鍵もかかっていなければ、誰が入ってきてもおかしくはないのだが、わかりづらいところにあるせいで、元々利用者は少なかった。そして今ではすっかりヴェイセルのお昼寝部屋になっている。
そんなところにやってきたのは、やや小太りのおっさんであった。もちろん、尻尾も生えている。
「ヴェイセル殿! 北に行くというのは本当か!?」
寝た姿勢のままそちらに視線を向けたヴェイセルは、ため息をついた。可愛い女の子がやってくるなら喜ぶが、おっさんが来てもなんにも嬉しくない。それに、このおっさんが持ってくるのは土産ではなく、いつも面倒ごとだった。
「それは陛下のほうがご存じでは?」
「これを決めたのは私ではない。議会の連中がいろいろと動いていてな」
「はあ……そうですか」
「もちろん、お前は断るよな?」
「いえ、行きますけど?」
ヴェイセルが言うと、おっさん――コーヤン国の国王は目が点になった。
「待て待て待て! やる気のないお前が、どういう風の吹き回しだ!? 向こうに行ったら、黙って寝てたら布団もかけてくれないし風呂もないし食事も女性も出てこないんだぞ!?」
「陛下、浮気はだめですよ。奥方様に告げ口しちゃいますよ?」
「そんなことはどうでもいい! いや、よくないが、というか止めてくれ! あいつは嫉妬深いんだ! おほん。今はそれよりも……お前がいなくなると困るんだ」
「そういう台詞。女の子に言われたら嬉しかったかもしれないですね」
ヴェイセルはそんなことを言いながら、大きな欠伸をする。とても王に対する態度ではないが、これにも理由がある。
宮廷随一の魔導師であるヴェイセルには、王直々に依頼が下されることがあった。それも、国を揺るがす一大事ばかりである。
国の総力を挙げねば倒せない魔物が現れたとか、他国の暗殺者集団が送り込まれただとか、そんなものに対処しろというのが、彼に与えられる仕事である。
いともたやすく、あっさりこなしてきたヴェイセルだったが、その事実は公表されていないため、ごく一部の人間以外は知らず、「やる気なし魔導師」の名をほしいままにしていたのだ。実際、そのような大事以外は寝ているため、その称号はあながち間違いでもないのだが。
そんな彼がいなくなるとなれば、慌てるのも当然である。
国王はヴェイセルにまくし立てる。
「そうだ、お前の活躍を知らせれば、誰もが残留に疑問を持たないだろう。出世していい立場だって――」
「だめです、陛下。そんなことをすれば、リーシャ様の耳にも入ってしまうでしょう? リーシャ様、あれで恐がりですから、夜中に寝つけなくなっちゃいます」
ヴェイセルが極秘裏に始末していたのは、王の命令があるからでもなければ、命を狙われる危険が高まるからでもない。
ただ、リーシャが不安になる。それだけの理由であった。
「ヴェイセル殿! このとおりだ! 頼む!」
王はたかが一人の宮廷魔導師に頭を下げる。それも、寝転がったままで欠伸をしている、どうしようもない男に。
「まあ……どうしても困った状況なら、手伝うのもやぶさかではありませんが。リーシャ様の故国がなくなるのも困ってしまいますからね」
「すまない、助かる」
「では、そういうことで。俺はこれから出発の準備で忙しいので、いろいろあとのことは頼みますよ。では」
ヴェイセルは言い終えると、そのまま寝息を立て始めた。
王はその様子をしばらく眺めてから、退室していった。尻尾を振りつつ。