Act6-残された者たち
――同時刻、如月家。
「なぁなぁ香澄」
「んー、なーに?」
鼻歌交じりに料理を盛り付けていた私は、手を止めずに首だけを声の主へ向けた。
兄が出かけてから早くも二時間。赤いくせっ毛に輪つなぎが絡まるのもものともせず、せっせと輪つなぎを量産している誠也を見て噴き出しそうになるが、何とか堪える。
もちろん、そんな気苦労を知るよしもない誠也は何事もないかのように口を開いた。
「結局、蒼汰兄は何の用事だったんだ? デートか?」
「お兄ちゃんに限ってそれは......」
「まぁ、引きこもりだしね」
もしも百歩譲って可能性があるとすれば、幼なじみの芽衣さんくらいだ。引きこもりがちの兄を迎えに来てくれる――抵抗されてるけど......――し、昔から私や誠也の面倒も見てくれる姉のような人。
しかし私は、そんな否定的な考えを表には出さずに、あえて平静を装って続けた。
「いや、もしかしたらあるかもよ……?」
きっと私は今、平静を装いきれずに、悪戯っぽい笑顔を浮かべて話しているのだろう。話題を振ってきた誠也ですら若干引き気味だ。
とはいえ、良く言えば素直、悪く言えばバカ正直の誠也がこの思わせぶりな発言に釣られないはずがない。案の定、輪つなぎを作る手を止め、私の立つキッチンへと全力疾走で詰め寄ってくる。
「香澄、何か心当たりがあるのか!?」
犯人を追い詰める歴戦の刑事の如き形相で問いかけられる。……が、ここまで大げさに釣られるとは思わなかったので、上手い返しが見つからない。
とりあえず、ぱっと頭に浮かんだ台詞を口にする。
「……まぁ待ちたまえワトソン君、焦らずにゆっくり考えようじゃないか」
右手の人差し指をピンと立てながら放ったこの言葉は、最近読んだ推理小説で出てきたもの。そう、シャーロックなんちゃらだ。
誠也の役回りが歴戦の刑事から探偵の助手へとランクダウンしているものの、「何か心当たりがあるのか!?」の返しとしては、ある程度流れに沿っているといえよう。
何よりも、学校では野球バカで通っている誠也が、どこまでこの手のネタに精通しているのかが気になるところだ。
だが、ワクワクしながら返しを待っていた私の心境は、あっという間に落胆に変化することになった。
「ワトソン君って誰? 香澄の彼氏か?」
誠也を試すどころか、あらぬ疑いをかけられた。
「あー、えっとね……」
ホームズを一から説明するのも面倒なので、心中で「ごめん、お兄ちゃん」と呟きながら適当な解説。
「ワトソン君っていうのは、お兄ちゃんのクラスに転入してきた留学生なんだって。私も最近知ったんだけど」
咄嗟に文章を考えながら話したため、途切れ途切れになりつつもどうにか言い切る。
しかし、そんな苦し紛れの言い訳を目の前にしても誠也は疑うことなく、「へぇー、今度会ってみたいなぁ」なんてことを言いながら輪つなぎ制作に戻っていった。
一件落着。
兄の人間関係にあらゆる尾ひれが付いたものの、どうにか誠也の口撃を凌ぐことができた。
一見アホなように見えて、ちょっとした失言に食いついてくるのが弟の面倒なところなので、この短時間で追い返せたのは救いだった。
ピンポーン
「……っと」
事後検証を脳内で繰り広げていた私は、玄関のインターホンによって現実に引き戻される。
盛りつけの際に手が汚れていたことに気づき、すかさず弟を利用。
「誠也、頼んだ」
「えーめんどい」
「文句言わない」
「へいへい」
数秒にも満たぬ息のあった口論の末に、諦めた誠也は輪つなぎ同伴のまま玄関へと向かっていく。娯楽の時間を邪魔された不機嫌さ故の抵抗心だろうか。
幸い宅配便の類ではなかったため、誰かと対面して醜態を晒すことはなかった。
だが――。
誠也がリビングまで持ち帰ってきた大きめの封筒は、私たち二人の宛名が書かれたものだった。
「なぁ香澄、これなんだろ」
見慣れぬ黄色い封筒に臆することなく、誠也はあらゆる方向から眺めている。
中身が透けないことがわかると、すぐさま封筒の上部をフリーハンドで破り始めた。
「珍しいね、私たち二人になんて」
中学二年生の私と誠也に宛てた配達物なんて、最近は「〇〇高校の説明会にぜひ来てください!」とか、「効率の良い勉強を! 〇〇塾より」の類のものがほとんどで、読む前からゴミ箱行きが確定しているため、こうやってじっくり開封するのは実に久しぶりのことだった。
ビリッ。
「……開いた」
「破った、ね」
軽口の応酬を交わしながら中身を見る。
四等分に畳まれた大きめの紙を開くと、人体実験がなんちゃらと書かれている数行の文章と、簡潔な地図が描かれていた。
その中でも一際目立つのが、タイトルの「HM計画」の表記。
「えいちえむ計画?」
「なんだろね」
この双子の底知れぬ好奇心は、既に兄と近しいレベルにまで成長していたが、それを二人が知る術は無かった。