Act65-転化
ジリリリリ……。
閉め切ったカーテンの隙間から差し込む陽光で明るく照らされた部屋に、あらかじめ八時に鳴るようにセットしておいた目覚まし時計の騒音が響きわたる。
窓の外では小鳥がさえずり、それが一日の始まりであることを否応なしに物語っているかのようだ。
「ふぁぁぁ……」
そんな情けない欠伸に混じって、玄関先から元気な声が聞こえてくる。
「お兄ちゃん、行ってくるねー」
「……行ってくる」
カツ、カツという靴の軽快な音とともに響く、妹の香澄と弟の誠也の声。いつも元気なはずの誠也がやけに静かなのは、口喧嘩か何かで香澄に負けたからだろうか。
ともあれ、二人はまだ中学二年生。楽しい時期だ。
「おう、いってらぁぁ……」
寝起きの体に鞭打って、消え入るような声で返答する。自室と玄関にはそれなりの距離があるため、聞こえていたかは定かでないが。
キィとドアが開き、閉まると同時にオートロックによる施錠。
俺が家主(扱い)になっている如月家には家の鍵が一つしかなく、それを俺が管理している以上、妹弟が学校に行っている間はプチ留守番をしていなければならない。スペアの鍵? そういえばどこに行ったかな。
先ほどまでの喧騒(?)が一気に静寂に変わったのを確認した俺は、眠気を遮断しつつ、布団を押しのけ上体を起こす。
「さて……と」
ここである疑問が生まれる。
――何故、俺は妹弟と共に出かけないのか。
平日の朝八時。この世のほとんどの人間が外出するはずの時間。目的はもちろん、学校、会社、ハローワークetc……。
だが、どれにも属さない人間もちゃんと存在する。
それが俺。一七歳の引きこもりです。
去年の今ごろなら、ここで「あぁっ!遅刻だ遅刻」とか言って焦ったものだ。
だが今は違う。
カーテンの隙間から僅かに陽の差す自室の中を、ヤドカリよろしく布団を伴ったまま数メートル移動し、定位置に到着。
機動兵器のコックピットを思わせるいくつかの機器類を、手馴れた動作で順に駆動させていく。
傍らに置いてあるファンが排熱し、スリープモードで起動していたPCに光が灯り、「クロニクル・オンライン」の鮮やかな文字が描き出され、準備の完了を告げた。
「確か昨日はこのクエストまで終わったから……今日はここかな」
無数に表示されるエリアマップの光点を凝視しながら、目的の場所を探し当てる。
最後に、アバターのステータス画面をチェック。
「HPよし、装備よし、周りよし。さぁゲームを始め──」
あれ?
俺の手元にあったはずのゲーミングコントローラーが、準備確認の終了とともに何者かによって奪われた。
しかし、その「何者か」を九割がた理解していた俺は心の中でため息をつきながら、首を縦に九〇度ほど向け、ほぼ真上を振り仰ぐ。
そこには、右手に俺から奪ったコントローラー、左手に部屋の片隅に隠してあったはずの通学カバンを携え、ご立腹の様子がひしひしと伝わってくる幼なじみの姿があった。
「──よう」
「よう、じゃないでしょぉがぁぁぁ!」
左手のカバンが俺の頭上に加減なく叩きつけられる。……だが残念、そのカバンには何も入っていないのだ。
ぽす、ぽす、という手応えの無い音に気づいたのか、今度は自分が持ってきたカバンに持ち替える。おそらく教科書ぎっしりだ。
「ちょっと待って! それはマジで危ない!」
両手を上げて降参のポーズをとりながら、必死に説得。
さすがに自分のしようとしていたことの重大さに気づいたのか、彼女の持つカバンはすんでのところで静止した。
「まったく……」
腰に手を当てながら、幼なじみはわざとらしくため息をつく。
彼女の名前は佐倉芽衣。整った顔立ちに、さらさらな茶髪をセミロングに切りそろえた、まぁ客観的に見れば「美少女」だ。
学校ではもちろん人気者。部活はテニス部で全国大会出場。おまけに生徒会役員まで兼任するのだから、「非の打ち所がない」ということわざを体現したような存在だった。
幼なじみだから、というのもあるかもしれないが、俺が不登校になってから彼女は何かとお節介を焼いてくる。今の状況がいい例だが、とにかく手段を選ばない。
「今日こそは学校行くんじゃなかったの?」
すっかり見慣れてしまった訝しむような視線を受け流しながら、咄嗟に浮かんだ言い訳を口にする。
「ちょっと熱が……」
「ふーん……?」
“熱があるのにゲームはできるんだ”という眼差しでこちらを睨んでいる。別にここで、「俺にとっての排熱剤はゲームなんだ!」などと言い訳をすることもできたが、無益な争いは生みたくない。
わざとらしく一息つき、真剣な言葉で返した。
「お前だって、俺が引きこもりになった事情は知ってるだろ?」
するとさっきまでの威勢から一転、芽衣は何かを考えているような表情に変わった。
「わかるけどさ、でももういいんじゃない? 別の人格がいたって、蒼ちゃんは蒼ちゃんだよ」
「俺はクラスのみんなに、なんて説明すればいいんだよ……」
”別の人格が生まれた”。
そんなことを自ら口にする人間なんて、間違いなく変人扱いされる。
俺だって特に成績が悪いわけでは無かったし、帰宅部だったけどそれなりに友達もいたわけだし、別に好んでこんな引きこもり生活を始めたわけではない。
まぁゲームが好きな点は否定しないが。
とにかく、“あの一件”があってから、俺は学校に行きにくくなった。
「……いいから、今日はほっといてくれ」
「わかった。翔弥も待ってるだろうから、できるだけ顔だしなよ?」
返答を待たずに、芽衣は俺の部屋を後にした。
ガチャリという音を最後に静寂に包まれた部屋の中で、一人呟いた。
「できるだけ、な」
ーーそういや、鍵のスペア持ってるのあいつじゃねぇか。




