Act49-疑念
「ゾウとかピエロとか出てこないかなー」
黄色と赤色を基調とした、サーカス団のテントを彷彿とさせるデザインの建物を見ながら、誠也が素直な感想を漏らす。
「ねぇ……やっぱり帰らない?」
「え? 今さら何言ってるんだよ。あんなに乗り気だったじゃん」
「そうだけどさぁ……」
誠也は気づいているのだろうか。この建物の中から発せられている不穏な空気に。
私には、このサーカス団のテントのような見た目が、内部で行われている実験を隠蔽するような意図があるようにしか思えない。
あの封筒に入っていた紙で見た、「人体実験」の文字。
その意味が、今ここに来て初めてわかったような気がした。
「早く入ろうぜー」
「はぁ……、わかったよ」
本当にテントを模しているつもりなのか、入り口は自動ドアの類ではなく、暗幕のようになっていた。
完全に仕切られていて中からの光が見えない分、恐怖心がより駆り立てられてしまう。
喜々として幕をくぐっていく誠也とは対照的に、私の不安は助長されていくばかりだった。
「あら、どちら様ですか?」
「ひゃっ!?」
突然かけられた声に、私の心臓が大きく跳ね上がる。
振り向くと、白衣を着た優しそうな女性がこちらを見据えていた。その目に敵対の色は無く、むしろ何かを歓迎しているようにも見えた。
「えと……あの……」
驚きと緊張でフリーズしてしまった私を見た女性は、突然聞きなれない単語を口にした。
「あ、もしかして補填被験者の方ですか?」
「ほ、ほてん……ひけんしゃ?」
首を傾げながら、カタコトに反芻する。
「……黄色い封筒を読んでいらしたんですよね?」
要するに、さっき家に届いた封筒の中身をしっかり読んでいれば、”補填被験者”が何たるかを知っているはずだということだろう。
しかし、姉弟揃ってせっかちだった私たちは、「HM計画」の文字と、ここの住所だけを読んで飛び出してきたため、大事な文章を見落としていたらしい。
「すみません、見出しと住所のところしか見てないです……」
恥ずかしいが、嘘をついても仕方のないことだ。
それを聞いた女性は、怒るどころか苦笑とともに数枚のコピー紙を差し出してきた。
「あの封筒の中身のコピーです。これから説明会があるので、よく読んでおいて下さいね」
わざわざ念を押され、ただ「はい」と頷くことしかできなかった。
「あと、一応これもどうぞ」
渡されたのは一枚の名刺。
「HM情報課三班所属の四宮という者です。これからよろしく」
言いながら右手を出してくる。
「如月……香澄です」
女性に倣って右手で握手を返す。
「じゃあ、色々あると思うけど頑張ってね。如月さん」
ひらひらと手を振りながら受付に戻っていく後ろ姿を見ながら、最初に出会えた女性が優しそうで良かったと、私は心から思った。
「誠也、これ読んで!」
エントランスをうろついている弟に向けて呼びかける。この長々とした文章を理解できる頭が弟にあるか微妙なところだが、読まないよりはマシだろう。
「なになにー? うわっ、俺そういう長ったらしい文章無理」
「文句言わないで読みなさい」
「まじかよ……」
私も細かい文章を読むのは苦手だ。
だが、足りない頭でも二人いれば何とかなるだろう。
……多分。
◇◆◇◆◇◆
『それでは参加者の皆さん、チュートリアルを兼ねた説明会を行いますので、中央ホールにお集まりください』
私が受付の人からもらったコピー紙の半分程度を理解したところで、静かなエントランスに、事務的な口調での放送が響きわたる。まるで病院の館内放送のようで、少し気味が悪かった。
それに触発されたように、周りで待機していた数十人の男女が荷物片手に移動を始める。
「私たちも行こっか」
「そうだな」
「誠也、これ覚えた?」
四宮と名乗った女性から受け取った数枚のコピー紙を、誠也の目の前でひらひらさせながら尋ねる。
「いいえ全く。むしろ別のこと考えてた」
「はぁ……」
私ですら半分ほど暗記したのに……。誠也の協調性の無さにはいつも落胆させられる。これでも野球部をまとめるキャプテンなのだろうか。
「もういいよ、行こう」
「なんか申し訳ない」
誠也が私に対して行う謝罪に珍しさを覚えつつ、エントランスとホールをつなぐ一直線の廊下を進んでいく。
時折目に入る部屋の入り口には、「第〇情報管理室」や「第〇会議室」といった、企業ビルでよく見かけるようなものから、「イベント案企画室」や「被験者観察室」等の、おそらくここの施設にしかないであろう特殊な部屋もあったりした。
加えて、一切の立ち入りを許さない警備。
長さ約一〇〇メートル、幅五メートルほどの廊下に、目視だけでも三〇台近くの監視カメラがある。
――わかっていたことだけど、ここは”異常”だ。
人命を借りて実験をしている以上、どんなに安全に配慮しても、やり過ぎということは無いと思う。
「なぁ香澄」
少し前を歩いていた誠也が、私の心の囁きをを察したのだろうか。足を止めて振り返る。
「不安なのはわかる。俺も怖いよ」
「うん……」
「けどさ、なんであんな封筒がわざわざ俺たち宛に届いたと思う?」
誠也の珍しい真面目な口調に気圧されながらも、どうにか「わからない」とだけ答える。
「俺バカだけどさ、ここに来るまでにずっと考えてたんだ。それで、一つだけ出た答えがある」
私は、何故か誠也の言う「答え」を聞いてはいけないような気がした。それだけ、今の誠也には異様な気配が漂っている。
しかし、そんな私の考えを知るよしもない誠也は、「答え」を声にした。
「俺は……、この計画に蒼汰兄が関わってるんじゃないか、って思ってる」
「え……嘘……」
私の心臓がトクンと跳ねた。
「もちろん、確証はない。けど、昨日蒼汰兄の部屋に行った時に、机の上に赤い封筒が置いてあったんだ。俺たちがもらった黄色い封筒と同じ大きさだと思う」
言葉を探すように少し考えてから、続きを話す。
「あの紙に書いてあったけど、この人体実験で使われる世界って、いわゆる”オンラインゲーム”みたいなもんなんだろ? もし蒼汰兄が人体実験のことを知らなかったんなら、飛びついてもおかしくないよ」
言われてみれば、確かにそうだ。
お兄ちゃんは小学生の時からずっと、何かしらのオンラインゲームを常にやっていた。私も誠也も特に興味は無いので触れなかったが、例えば「新しいオンラインゲームの試遊会に来ませんか?」なんて誘い文句を使われたら、ふらっと出かけてしまう可能性は十分にある。
でもーー。
「だとしたら、お兄ちゃんは私たちとの時間より、ゲームを取ったってこと?」
年に一回しか行われない、家族のパーティ。
今朝、お兄ちゃんが出かける理由について言及しなかったが、もし「ちょっとゲームの試遊会に行ってくる」なんて言ったら、私は間違いなく引き止めていただろう。
「まぁ、そうなるのかな……」
その言葉を最後に誠也も考えるのをやめたのか、私を置いてすたすたと歩き出した。
「お兄ちゃん……」
取り残された私は、どうしても色んなことを考えてしまう。まだ確信が無いだけに、あまり疑いたくない。
だが、今の私の心は恐怖よりも怒りの方が勝っていた。
誠也に追いついた時には、既に廊下とホールを隔てる壁一枚を残すのみだった。
「本当にいいのか?」という問いに対し、「うん、もう大丈夫」の答えを返し、二人で重そうな扉を開けた。




