Act2-女子高生
「……おっと」
正面から来た自転車とぶつかりそうになったところではっと我に返り、逡巡を払いのけるように首を振る。
一度地に両足を置き、心を落ち着けるためにふぅと一息つくと、それが白く可視化されては消えていく。見紛う事なき真冬の空気。
俺は「HM計画」の招待状に同封されていた小さな地図だけを頼りに、東京都心から大きく逸れた郊外を目指していた。
周りに建物の類は無く、道を示す二つの線ばかりで描かれた地図上に、唯一赤い丸で示されたポイントには、「HM研究所技術班特設ドーム」と明記されている。
「本当にあんのかこんなドーム……」
第一、こんな僻地にドーム施設を建設して一体なんの意味があるのだろうか。
元々別の目的があって作られたものを、「HM計画」用に改装したのか、またはこの計画のためだけに用意されたかの二択だが、考えうる限りの可能性からして後者だろう。
まず、立地のせいもあってか公共交通機関は一切通っておらず、移動手段は車や自転車及び徒歩のみ。
野球やサッカー等のスポーツをするにしては移動が大変だし、かといって何かイベントを開催するにしても、どれほどの参加者が僻地に足を運ぶかなんてたかが知れている。
交通の便は悪い、大きさは中途半端。用もなく人が訪れるとは到底思えない。
だが――と一旦間を置き、考えを切り替える。
”人が訪れない”。それは穿った見方をすれば、”誰にも知られない”ということ。半極秘で行うにはもってこいだろう。
仮定と結論が一致したことに安堵しつつ、何度見ても分かりにくい地図に沿って、再び自転車を漕ぎ始めようと前傾姿勢を取った時だった。
「きゃぁぁぁ!! どいてぇぇぇ!!」
可愛らしい悲鳴に何事かと振り返ろうとするが、首が条件反射に追いつく前に、ガシャン! という耳障りな音とともに後輪に軽い衝撃。
「うおっ……と」
幸い、俺は右足をペダル、左足を地に置いていたため、少しよろけただけで済んだ。
対して、突然のバックアタック(?)をかましてきた相手は、追突の反動で大きく転倒、負傷したのであろう右足を押さえて蹲っている。
薄いピンク色が入ったワイシャツに、チェックのスカートを身につけている。肩から下げている通学カバンからは、クマのキーホルダーが顔を覗かせていて、今時の女子高生といった趣だ。
放っておくわけにもいかないので、自転車から降り、少女の元へ駆け寄る。
改めて近くで見ると、結構な美少女だ。
茶色がかったショートヘアに赤色のヘアピン。人形のように整った顔立ちを膝の痛みでしかめているとはいえ、普段女性と接する機会の無い引きこもりが相対したら間違いなく萎縮してしまうだろう。
ともあれ、この非常事態だ。今だけは羞恥心も影を潜めてくれているようで、自分でも驚くほどすんなりと話しかけることができた。
「おい、大丈夫か?」
言いながら、右肩をとんとんと叩く。
久しぶりに家族や芽衣以外と会話したなぁなどと感動するが、肝心の返答がない。
代わりに仕向けられたのは、軽蔑と敵意が程よくミックスされた視線だけだった。
「……いたいよ」
少女のまともな第一声は、目に涙を浮かべながらの事実申告だった。
「あぁ、見りゃわかる」
対してこちらは、うっすらと血が流れている少女の膝を見た後だったので、痛みは言われるまでもなく理解していた。
むしろ俺としては、ほぼ敵意MAXの視線をむけられていること自体が痛い。お互い様だ。
「……いたいんだよ」
わざわざ二度目の申告。
当然、俺の心の声を聞き取ってくれているはずもないので、例の視線は継続中。
しかし、こうも繰り返されると、何だかぶつかってきた彼女より、ぶつかられた自分が悪い気がしてくる。人間の心理って怖い。
「はぁ……悪かったよ」
何故か無意識に謝罪していた。
「うん、よろしい」
すると、まるでその言葉を待ってましたと言わんばかりに、少女の視線が友好的なものに変化し、続いて満面の笑顔。
――あれ、俺被害者じゃなかったっけ?
オンラインゲームのアバター並に読み取りやすい表情に逆に戸惑うが、むしろ素直な子なんだなと割り切る。
どことなくほわほわした雰囲気を見ていて怒気を削がれた俺は、反駁の言葉を喉元で止めた。
「立てるか?」
言いながら右手を差し出す。いつの間にか、怒りの感情が思いやりの感情へとすり変わっていた。
怪我をして跪く少女に手を差し延べる姿は、一見すると映画のワンシーンか何かと勘違いされそうだが、当人たちにその気があるかというとまた微妙なところだった。
少なくとも、彼女に気が無いことは明確だった。
その証拠に、差し伸べたはずの俺の右手は、彼女の左手によってパシン! という快音を残して叩き落とされ、ヒットポイントに赤い紋章もとい痣が刻まれることとなった。
「痛ッ! 何すんだよ!」
一瞬でも気を許したのが間違いだった。怒りが再浮上してくる。
「おあいこー、えへへ」
「…………」
――この子の頭には何かが咲いてるんだろうか。
人間社会の中で、相手の怒りを鎮めることができるというスキルは武器になると、どこかで聞いたことがある。
彼女の場合は、無意識に多用しているため少し勿体無い気もするが。
ともあれ、これ以上話してるとこちらにも花の種を植えられかねないと判断した俺は、まくし立てるように口を開いた。
「んじゃ俺は行くぞ、もうぶつかってくるなよ」
自転車に跨り、今度こそ漕ぎ出すべく両足をペダルにかける。会場での集合時間もあるため、これ以上のタイムロスは洒落にならない。
それなのに――。
「ちょっと待ったぁー」
お気楽少女は逃亡を許してくれそうになかった。
本当にケガをしていたかすら疑わしいほどの速度で身を起こし、俺の上着をしっかりと掴みながら引き止める。
「......あのな、俺は急いでんの。わかる?」
肩ごしに振り返り、教師が出来の悪い生徒に説くように簡潔に伝えた。
しかし彼女は全く動じていないようで、短い茶髪をさらりと揺らしながら小首を傾げつつ、反撃の一言。
「いしゃりょーは?」
――......お、おう。
どこの世界に膝を擦りむいただけで慰謝料を請求するやつがいるんだ。あ、目の前にいた。
このままでは解放の余地なしと考えた俺は、上着のポケットからハンカチを取り出し。
「ちょっと待ってろ、動くなよ」
「ひ、ひゃい?」
何のことやらと言いたげな声色で返答する彼女をよそに、自転車から降りて彼女の膝の高さに目線を合わせる。
別のポケットから取り出したティッシュで軽く血を拭いた後、持っていたハンカチを巻いて止血。
テレビか何かの見よう見まねだが、幸い上手くいったようで、止めどなく流れ出ていた血は今やピタリと止まっている。
「あ、ありがとう......ございます」
「ん、あぁ。気にするな」
「このハンカチ、洗って返します」
「いや、持ってていいよ。それより、一人で行けるか?」
「うーん......」
先ほどぶつかってきた速度からして、何かに急いでいたように思える。
このやり取りによって用事に遅れたなんて言われたら目も当てられない。
「何か用事があるんじゃないのか?」
しかし杞憂だったようで、代わりに彼女が取った行動は予想外のものだった。
「あ、思い出した」
――忘れてたんかい。
心中でツッコむ俺をよそに、背負っていた通学カバンの中から何故か見慣れた書類一式を取り出し、その中から、今まさに俺が持っているものと同じ地図を取り出した。
「この場所に行きたいんだけど……よくわからなくって」
彼女は右手で小さな地図をこちらに見えるように持ち、左手で赤い点を指差す。
間違いない。俺と同じ目的地だ。
どうしようかと迷ったものの、ここまでやったら最後まで送り届けようと覚悟を決めて口を開く。
「あー、ならついて来い。連れてってやる」
「ほんと!?」
”袖すりあうも他生の縁”。そんなことわざを編み出した古人を、俺は何故か恨む羽目になった。