Act27-不安
――午前一〇時。
「ほら行くよ誠也ー」
玄関先でかかとを靴に入れながら、まだリビングで準備をしているはずの弟へと声をかける。
返ってきたその声は、何かに遮られたようなくぐもった声だった。
「待って……まだ輪つなぎが……」
「まだそれやってたのね」
わざと聞こえるように、はぁとため息をつく。
私たちのもとに一通の封筒が届いてから約一時間。パーティーの準備は毎年早めに終わってしまうので、今年は少しくらい外出してもいいか、と誠也と相談し、「HM計画」とやらが行われている会場に行ってみることにした。
誠也はお兄ちゃんの埋め合わせとして、先ほどまで足りない具材やパーティーグッズなどの買い出しに駆り出されていたが、戻ってきてからは懲りずにまた輪つなぎを量産している。
私はその間、料理の仕上げをしたり推理小説を読んだりと多忙な一時間だったが、幸い、出かける時の持ち物が携帯端末くらいだった――どうせすぐ戻ってくる――ので、こうして弟よりも先に玄関に到着することができた。
「よし、おっけー」
そう言いながら玄関まで走ってきた誠也。すっかり輪つなぎから解放された弟の顔を、三時間ぶりに見る。特にこれといった感想は無いのだけれど。
野球部のキャプテンなだけあって、茶色く日焼けした肌に、坊主頭からそのまま伸びてきたくせっ毛の赤髪。いずれまた坊主頭にしなければならないのだろうが、この寒い時期にそれを強要するのは酷というものだろう。
それよりも私が気になったのは、誠也の後方――リビングへと続く扉が開いたままで、そこからカラフルな輪っか達がこちらを見ていること。あんなに飾る必要は無いだろう。間違いなく。
「あとで片付けなよ」
「……はい」
珍しく素直な誠也に違和感を覚えつつ、行ってきまーすと心の中で呟きながら玄関のドアを開けたところで、あることに気づく。
「どした?」
ドアを開けたまま固まった私を見て、誠也から訝しげな視線が送られる。
「鍵――無い。多分お兄ちゃんが持っていってる」
「じゃあ佐倉先輩に借りるしかないな」
”佐倉先輩”というのは、よくお兄ちゃんを学校に行くように説得しに来る芽衣さんのことだ。芽衣さんは私が所属しているテニス部のOGでもあるため、本来は誠也のように”先輩”呼びしなければならないのだが、幼なじみの親しみを込めて私は芽衣さんと呼んでいる。
「んーそうだね。誠也ちょっとここで待ってて、走って行ってくるから」
「りょーかい。輪つなぎ作って待ってる」
「やめなさい」
最後に釘を刺し、二軒の家を挟んで右隣にある芽衣さんの家を目指す。
◇◆◇◆◇◆
自宅から数秒で着く距離なので、誠也に輪つなぎを作らせる時間を与えるまいと走り抜け、ブレーキをかけるのももどかしくインターホンを鳴らす。
ピンポーン。
わずかな間の後、若い女性の声がインターホン越しに響く。
『どちら様ですか?』
聞き慣れない声だが、うっすらと記憶にある声。おそらく芽衣さんの母親だろう。
「如月香澄と申します、芽衣さんいらっしゃいますか?」
「あら、香澄ちゃん!? ちょっと待っててねー!」
玄関のドアの向こうから、廊下を走るドタドタという音が聞こえる。一体どうし――
ガチャ!
「久しぶりーーー! 香澄ちゃーーーん!」
「うわぁ!?」
ドアが開くと同時に何者かに抱きつかれ、私は身動きが取れず、半ば悲鳴のような声を上げることしかできなかった。
拘束はそのまましばらく続き、私の肺の中の酸素量が絶望的になったところで、何とか解放される。
「あら、ごめんごめん」
「けほっ、けほっ。どうしたんですかいきなり……」
改めて芽衣さんの母親を見ると、昔よく遊んだ時の面影は減っているが、あの頃の元気の良さはまだまだ健在のようだ。
「いやぁ、何年ぶりだっけ?」
「九年は経ちましたね……」
この人と最後に遊んだのは、私がまだ五歳の時。九年の月日が経てば、互いに全く別人のようになっていてもおかしくはない。
「最近どう? 蒼汰君と誠也君は」
「相変わらず元気ですよ――いやそうじゃなくて」
ただの世間話に移りかけたところで、本題を思い出した私は唐突に話題を切り替える。
「芽衣さんはいらっしゃいますか?」
「芽衣なら朝早くに出かけて行ったよ。確か翔弥君と陽詩ちゃんも一緒だったと思うけど……どうしたの?」
「ちょっと兄が出かけてしまいまして、芽衣さんに預けていた合鍵をお借りしようかと思って伺ったのですが……」
芽衣さんの母親は少し考える素振りを見せた後、「ちょっと待っててね」と言い残して戻っていき、また数十秒後に姿を現した。
「んー、もしかしてこれ?」
その手にあったものは、紛れもない如月家の合鍵。
「そう、それです! ありがとうございます!」
「いえいえ、芽衣には言っておくから。安心して行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます!」
ひらひらと手を振る芽衣さんの母親に背を向け、来た道を再び走り抜けた。
◇◆◇◆◇◆
「ほら、誠也行くよ!」
「へーい」
誠也が輪つなぎ制作に戻ることなく、外で携帯端末をいじりながら待っていたのは褒めるべきだろうか。
ガチャリ。
ともあれ、パーティーの時間を考えると、家には早めに帰ってこなければならない。お兄ちゃんは仕方ないとしても、私と誠也までもが不在だったら、久しぶりに帰ってきた両親は号泣するかもしれないからだ。
久しぶりに自宅の鍵を回す感触に浸るのも叶わず、愛用の赤い自転車へと飛び乗る。
――この時の私たちは、あの黄色い封筒が何を意味するのか。また、それがもたらす影響について全く知るよしも無かった。




