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Act1-日常

 一二月三一日。明朝。

 針のように冷たい空気が肌を刺す中、俺は愛用の錆びれた自転車を駆ってとある施設へと向かっていた。


 例年であれば大晦日という年中行事の名のもとに、夕食や正月に向けた買い出しに酷使される多忙な日だ。加えて、数日間だけ両親が帰ってくる貴重な日でもあるため、誠也(せいや)香澄(かすみ)も毎年のように張り切って準備を整える。


「えぇ、お兄ちゃん出かけるの!?」


 それだけに、俺が突如呟いた外出宣言は、香澄が自分で持っていた皿を取り落としそうになるほどの衝撃だったらしい。

「悪い、今年はどうしても外せない用事があってな」

 右手で「すまない」のポーズを取りながら答える。

 それを見た香澄は驚いた表情から、すぐに悲しそうな顔に変わってしまった。

「そっか……じゃあパーティにも参加できないの?」

 だが香澄は特に詮索することなく、表面上の言葉だけを受け取って答えた。心なしか、香澄のトレードマークである茶髪のポニーテールも元気がないように見える。

「うーん……」

 顎に右手を当て、わざとらしく考える仕草を取る。

 両親が滅多なことで帰宅しない如月家では、一家が揃って食事をする=パーティという扱いになっている。


 年に数回しかないこのパーティで誰かが欠席するという事例は今までに無く、香澄の先ほどの驚きは、単に俺が参加できないという一点だけに由来するものではなかった。

 もちろん、俺とて貴重な一家団欒の機会を逃すのは気が引けるが、今回ばかりは仕方がないと昨日の夜に割り切っていた。

 故に、考える前から決めていた答えを口にする。

「多分、そうなるかな」

 ある程度オブラートに包んだつもりだが、それが素っ気なく聞こえたのか香澄ががっくりと肩を落とす。

「うー、残念」

「あぁ、ごめ――」

「まぁ、明日のお正月はみんなで集まれるからいっか!」

 しかし、さすがは我が家のムードメーカーとも言うべき存在。俺の謝罪の言葉を明るい声が遮る。


 対して、俺の心中は一層暗く沈んでいくばかりだった。

 ――明日も……帰れないんだ。

 一瞬、そんな返答が脳裏をよぎった。


 それこそ、「とあるプロジェクトに参加するからしばらく帰れない」と、本当の事を言ってしまえば全てが解決する。俺ですら聞き慣れなかった単語を、二人が理解できるとも思えないからだ。

 香澄に伝えた”外せない用事”という点は同じだし、別に嘘をついているわけではない。

 だが、俺の弱い心がそれを拒んだ。

「そ、そうだな」

 俺は、香澄がさらに落ち込む姿を見たくなかった。

 どちらにせよ、正月に帰れないことはいずれバレるし、香澄が後で落ち込むことに変わりはないのだが、それは俺の目の前ではない。


 昔から、嫌な事に対して目を背けることは得意だった。


 と同時に、それはコンプレックスでもあった。

 自分の弱い心を克服するためにと始めた剣道でも、特に目立った改善は見られず、こうして高校生になった今でも抱え続けている自病だ。

「お兄ちゃん、どうかした?」

「ん、あ、あぁ。ちょっと考え事してた」

 香澄に呼びかけられて、思慮の世界から現実へと戻る。

 そこで会話が途切れ、何とも形容し難い雰囲気がリビングに流れる中、まさに僥倖と言うべきか、飾り付けをしていたはずの弟・誠也がカラフルな輪つなぎを抱えて合流した。

 如月家の双子である香澄と誠也は、事あるごとにどちらが早生まれであるかを競っているが、実を言うと香澄の方が早かった。これは出産を見届けていた俺が言うんだ、間違いない。


 この数分間のやり取りを何も知らない誠也は、相対している俺と香澄を交互に二度見した後に一言。

「あれ、香澄、蒼汰兄、どうしたんだ?」

 誠也本人は至極真面目な質問をしているのだろうが、俺と香澄の目に映ったのは、誠也の声をした、輪つなぎに絡み付かれたかのような妖怪だった。

 香澄と顔を見合わせ、俺が二人分の感想を代弁する。

「……いや、お前こそどうした。妖怪みたくなってるぞ」

「そうかな? この輪っか作るの結構楽しくてつい……」

 心中で、子どもか! と軽くツッコミを入れ、おそらく同じ結論に至ったのであろう香澄と同時に噴き出す。 

 この場で、誠也だけが訳がわからないと言いたげな表情をしていた。――気がした。

 ともあれ、思わぬ乱入者によって雰囲気が晴れやかになってきたところで、”妖怪輪つなぎ”から手元の腕時計に視線を移す。


 ――時刻は七時を少し回ったあたり。


 俺は「そろそろ時間かなぁ」、などとわざとらしく呟いてから、和やかな家族の会話を締める。

「じゃあ、そろそろ行ってく……行くからな。誠也のことよろしく頼む」

「りょーかい。行ってらっしゃい」

「え、何!? 蒼汰兄出かけるの?」

 二人とも予想通りの反応を見せてくれた。

 誠也に関してはまた一から説明するのも面倒なので、香澄にアイコンタクトだけで「頼む」と伝えて、踵を玄関へと向ける。

 後方では、「というわけで、買い出しよろ」とだけ告げる香澄と、「ちょっと待て、訳がわからん」と反論する誠也の会話がまだ続いている。


「さて、と」

 俺は、果たしてこの場所に戻ってこられるのだろうか――。


 先ほども、”行ってくる”と言いかけて、あえて”行くからな”と律儀に言い直したことは、帰還できる自信を持てない事の現れだった。

 不安と焦りを胸に、俺は如月家の玄関を後にした。

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